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その罪を独りで背負う覚悟をもってこそ、人は痩せられるのかもしれない【更新70日目】

ファスティングを実施して以来、久々に体重を測りました。
だいたい3週間ぶりです。

ファスティング終了直後の体重は、上記の記事にあるとおり60.8kg。
対して、今日の計測体重は61.1kg。
とりあえずリバウンドは生じていないことがわかる数値ですね。
断食明けにドカ食いせずここまできた自分、我ながら大したもんです。

一応ファスティングが終わってからは、ごはんの食べ方を結構気をつけていて、今日はそのことについて書いてみたいと思います。
食べ方といっても、きちんとしたダイエットハウツーみたいなものを書くつもりはなく、単なる心構えというか、食に対する今の基本的なスタンスみたいなものを書きたいなと。
ちゃんとした方法論とかをお探しの方は他を当たることをおすすめします。

それでは、どうぞ。

糖質は主食じゃありません、おやつです

「糖質は主食ではなく、おやつ」。
これをめちゃくちゃ意識するようにしています。
というか、もう意識すらしていないかも。自分の中で当たり前になりすぎていて。

最近、我が家では「燃えるゴミの日だけ炭水化物を夕食に食べる」という原則を採用しています。
ぼくらが住む地域では、燃えるゴミは週2回。ですからお米やパスタを夕食の一品として食べるのも、週に2回です。
それ以外の日は基本的に、野菜と肉・魚しか食べていません。
ちなみにそのせいでいつも腹ペコとかってことは全然ないです。後述することとも関わりますが。

今の我が家において、炭水化物の位置づけは「週に2回のごほうび」みたいなものなんですね。
カレーやチャーハン、オムライスは、ときどき巡ってくる特別メニュー。単なる食事の一品というよりは「スペシャルなごはん」です。
前々から「糖質っておやつなんだよな」という発想自体はもっていたのですが、もうちょっと行動に結びつきやすい仕組みづくりみたいなものをしたいなと思い、ファスティング開始直前くらいに上記のルールを案出しました。
我ながら結構いい思いつきだと思う。

そして、おやつであるからには、まったく食べないということもありません。
どうしても食べたいな、と思ったときには我慢しすぎず食べる。
朝起きた瞬間から「今日は絶対ラーメンが食べたい!!」と思ってしまった日にはいさぎよくラーメンを食べますし、甘いものが食べたいと思えば次のごはんに差し支えないくらいに嗜みます。
そうして糖質が足りてないことへのイライラをこまめにつぶしていくことで、精神の安寧をはかっています。

毎食きっちりお米やパンや麺類を食べていたときよりはもちろんのこと、やたらストイックに肉と野菜だけの生活にこだわっていたときよりも、体重は抑えられているし、気持ちにもゆとりがあるように感じています。

食べるときは他人を巻き込まず、自己責任で

今日の記事で書きたかったのはむしろこちら。
ファスティング中に気がついて、いたく反省したことでもあります。

先の冬ごろ、我が家ではずいぶんとカロリーオーバーな生活が常態化していました。
諸々理由はあったのだと思うのですが、今考えると大きな原因の一つは「共犯者を立てることで、カロリーオーバーの背徳感をごまかしていたこと」ではなかったかという気がするのです。

つまり、「ラーメン食べたい……ケーキ食べたい……でも今食べたら食べすぎになる……」といった葛藤が生まれたとき、それを一人で処理せず、

「ねえねえ、今日のご飯ラーメンにしちゃわない?」
「せっかく金曜日だし、デザート食べちゃおっか?」

といった提案をパートナーにして同調を誘うことによって、自らの欲望を正当化していたフシがあるなと。うん、最低な話ですね。

誘ったぼくのほうは「誘えばパートナーも喜ぶだろう!」というおためごかしで自分の「食べたい」をごまかしているし、パートナーのほうもぼくに誘われているぶん食べることへのハードルは下がっていたはずです。
そりゃあカロリーオーバーも加速していくわけだよなと。さながら「赤信号みんなで渡ればなんとやら」じゃないですか。
ファスティングを断行せざるを得ない状況をもたらしたのも、元はといえばぼくの卑劣な心だったかもしれない。
自分の欲望には自分でまっすぐ向き合って、自分できちんと対処しないと。

ということで最近は、どうしても甘いものが食べたい、あるいはがっつりとした食事がしたいと思ったときには、一人でパッと食べるようにしています。
我慢すればするだけ食欲は変に膨れ上がるので、出た芽はなるべく早く摘むといったイメージで。
これをやっているからこそ今は食べすぎずにいられているのかな、という気がします。
もちろん暴飲暴食を招くストレスみたいなものが極小だからというのもあるでしょうが、まぁそれはそれとして。

おわりに

「自分の欲望を叶えるために他人を口実に使う」って、案外ありがちな話なのではないかと思っています。
自分が何かをしたいと思ったときの背徳感を、「誰それのためにやってあげる」という体を装うことでごまかすーー。
何を隠そう、子供の頃のぼくはそんなふうにしてしばしば自分の行いを正当なものだと周りにアピールするようなやつだったような気がします。

しかしもうぼくは大人です。少なくとも、誰かによってやりたいことを禁じられたりすることはない立場にはあります。
そうである以上、自分の欲望は自分で満たしていいし、それにつきまとう責任は自分だけで負えるはずです。
甘いものを食べたいと思ったら一人で食べていいし、それによって体に及ぶ影響についての責任だって自分で負っていい。
わざわざ他人を引きずり込むなんてことは別にしなくたっていいし、相手に迷惑がかかるならしないほうがいいでしょう。

ラーメンを食べたいと思ったら、一人で。
二人で食べたほうが絶対においしいと思う日に限っては、二人で。
そういう気構えでやっていくのが、健康に暮らすうえで大事なように思います。

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