反骨心大全
日付が変わる前に書き終えたいという謎のこだわりによって、20分ほどでなんとなくのモヤモヤの所在地を突き止め、文字通り書き殴った。ビジネスと自己啓発に対する稚拙な文句が並べられている。
再度編集して文量を増やすことも、できるといえばできるが、付け加える形にする。
何をそこまで毛嫌いしていたのかというと、最適化を目指す、と掲げている思想に対してであって、私は賛同できないから、ここまで嫌悪感を抱いている。
企業が毎日のように不祥事が絶えず、そのたびヤジを飛ばすという構図は、令和の時代も変わっていない。鋭利な言葉はいつ何時も頭上を飛び交っている。見上げてしまえばいつでも確認できてしまう。
多少の過失を許してほしい、とまでは言わないが、周囲をガチガチに固めて監視者が常にいる環境で、自分らしくいるというのは到底達成できないと私は気づいた。
自分らしさにはある程度の自由を兼ね備えていないと、余白をどこかに持ち合わせておかないと悠々自適とは言えなくなる。
数年前は、ビジネス書、自己啓発のブームに流され、タイトルの「自分らしさ」に引っ張られ、読み耽っていた時期がある。
当時は体からエネルギーが溢れ出すような感覚があったかもしれないけど、あれは錯覚だったんだ、その一連の流れも作られた道の上を歩かされていたんだ。
こうすれば良い、普段の行いを改善すれば良い、、読んだ内容をまとめていくと、大体同じことばかり言ってることに気づいた。言い回しや表現技法、届け方を工夫してユニークさを演出しているに過ぎなかった。
本当に必要とされるのは、世間の風に流されるままになるフットワークの軽さじゃなくて、冷静に今何が行われているのかを俯瞰で判断しつつ、自分の状態を鑑みることができるか、ではないか。
「何でもかんでも思いついたら即行動しないと置いていかれる」「即行動が人生を明るくしていく鍵だ」
うるさいな、自分の軸すら大切にできないのに、なんとなくに流されて生きてたまるか。
どう転んでも、行動しないと意味がないとぬかしよる。アウトプットにしか頭が向いていない人間に面白みがあってたまるか。
複雑な感情と退廃的な弱さすらも拾い集める大きさ、側から見ると遠回りに思える言動にこそ本質が含まれる。
他者に向けたベクトルばかり気にしたところで、待っているのはドヤ顔をした競争社会だ。便利に扱われて捨てられる。
外向けを強めるための準備など、中身がないくせにやったって無駄にしか思えない。
中心点に向けて、強くて太いベクトルを何本も引っ張る。それさえできれば、金銭的に豊かになれないとしても、心が満たされていくだろう。
私はそれで良い。金銭的な裕福さをゴールに設定してない。お金をたらふくこしらえて何が得られるのだろうか。いささか疑問である。この疑問に対する答えを書いてくれるような自己啓発本なら気が向いたら読みたいね。
堅苦しい外向けの文書はしばらくは目にしたくない。
エッセイ、漫画、雑誌、アニメ。最高だね。これからも私をよろしく。
自分を甘やかしてご褒美に使わせていただきます。