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保育者として大切にしている、子育てのコツと信念


子どもの頃から、自分より小さい子と遊ぶのが大好きで、
いつからともなく幼稚園の先生になりたいと思っていて、
無事に念願の保育者になって、
場所を変えながら、十数年に渡り何百人の子どもたちと関わってきた––––。


そんな一保育者が、右往左往して、学んで、失敗して、そうしてまだ道半ばだけど一旦辿り着いた子育てにおけるコツと、大切にしている信念について、お話してみようかと思います。


まずは、子どもとかかわる時のコツについてです。


■大切にしている子育てのコツ■


それは、ほめないこと!


「え?」と思われるかもしれませんが、私はこの意識が重要だと感じています。

ほめてはいけないのではなく、

“安易に”ほめない

という心構えでいる、ということです。

子育てに関する本や読み物を見ると、

•叱らない
•ほめて伸ばしましょう
•オーバーにほめましょう
•否定しない
•いけないことはしっかり叱る
•望ましくないことには反応しない

などなど、いろいろな見方や考え方が書かれていて、場合によっては『本によって真逆のことが書いてある…どうすればいいの…』なんてこともあるかもしれません。

子育てに関する様々な情報に、必要以上に振り回されることなく、少し肩の力を抜いて子どもと接しやすいのが、先ほど述べた「ほめない」という方法です。

決して、ぞんざいに扱うとか、無視するという意味ではありません。

ほめる代わりに、

まずは全てに共感する

ということに置き換えます。

言葉がけというのは案外難しいもので、子どもをしっかり認めるつもりでほめ続けていると、思わぬ弊害が生じることがあります。

それは

•ほめてくれないならやらない
•ほめてくれない相手の前ではやらない
•ほめてもらうため(だけ)に頑張る

といった姿につながりやすいということです。

これはつまり、行動の動機が「ほめてもらう」という外的要因に偏り過ぎてしまうと、起こりやすくなります。

そのため、ほめるかわりに、まず一旦全てに共感することに置き換えるだけで、

•ぼく/わたしのことを分かってくれた
•認めてくれた
•こう感じてもいいんだ

というように、子どもは安心感と自己肯定感を感じやすくなります。


共感するとは


具体的に言うと、

•「できたよー!」→「できたね」
•「やだ!」→「嫌なんだね」
•「やりたくない」→「やりたくないんだね」
•「分かんない!」→「分からないね」
•「何で?」→「何でかな?不思議だよね」

と、基本的には、オウム返しでOKです。

このワンアクションを行ってから、本当に伝えたいことを伝えます。やらないといけないことや、やってほしいことについて、グッと伝わりやすくなるかと思います。

例えば、おもちゃの片付けを嫌がる子には、こんな風に伝えます。

嫌なんだね。でも、おもちゃを散らかしっぱなしだと、踏んで壊れちゃうかもしれない。そうならないようにおもちゃをしまいましょう」
嫌なんだね。でも、楽しく遊んでくれたおもちゃを、おもちゃの家に帰してあげよう」

といった感じです。

共感した後の、片付けるための理由づけは、その子が納得しやすいものがいいと思います。

ほめるのが苦手という方でも、まずは形式的にでもオウム返しをするだけで、共感してくれたことは子どもにもある程度伝わるので、なかなかいい方法なのです(笑)


大人もそうですが、子どもだってもちろん、まずは自分のことを受け入れてもらいたいのではないでしょうか。

「嫌だ」と思ってしまったことは、もう仕方ないんですよね。それを、何で嫌なのか問い詰めたり、罰を与えたり、子ども自身を否定するような言い方になってしまうと、嫌だと感じたこと自体を否定されたと感じてしまいます。

感じてはいけない感情、というものがあるわけではないはずです。

大切にしたいのは、嫌なことがあっても、理由を知って、自分の気持ちを何とかコントロールして、切り替えられた、というそのプロセスですよね。


子どもに教えられたこと


さて、保育者をしていて実感したことの一つで、面白いというか、驚くべきことがありました。

子どもたちは、「まずは自分を受け入れてくれるかどうか」ということを、どうやら本能的な部分で察知しているようなのです。

幼稚園教諭をしていた時のエピソードです。少人数のほのぼのとした幼稚園でした。(プライバシーに配慮して一部変更しています)


〈引っ込み思案のケンタくん〉

ケンタくん(仮名)は、年度途中で転園してきた、5歳の男の子です。前に通っていたところは、一学年が100人を超えるような規模の幼稚園で、どうやら集団の中で圧倒されてしまい、困ったことがあっても言えなくて、人知れず涙を流していたこともあったそうです。

転園に際して、お母さんはケンタくんが大人数の中ではまた埋もれてしまうと考えて、少人数の幼稚園を探されていたとのことでした。

手続きを経て、早速通い始めたケンタくん。確かに、何をするにもちょっと自信なさげな様子です。「僕ね、あのね、あのね…。」と話そうとするもうまく話せないこともありました。

担任の私は、

まずは全てに共感する

を、ケンタくんに発動しまくりました。

•「ぼく、引っ越ししてきたの」→「そうなんだね。引っ越ししてきたんだね」
•「なわとび、難しくてあんまりできない」→「なわとびって難しいよねぇ」
•「今日はパパお休みなんだ」→「パパ、お休みなんだね。いいね」

なんてことないやり取りも、まずは何も判断せず、ただただ受け入れてみたのです。

ケンタくんが、ニコニコの笑顔で走って登園してくるようになるまで、3日とかかりませんでした。1週間も経つ頃には、「これがあのケンタくん?」と思うほどに変わっていました。

そして、持ち前の素直さと、凛々しいお顔立ちで背も高いケンタくんは、クラスの友達からも「一緒に遊ぼうよ!」とお誘いのオンパレード。嬉し恥ずかしといった感じで、すぐにクラスにもなじむことができました。


さらに–––。


変わったのは、ケンタくんだけではありませんでした。毎日生き生きと園生活を楽しんでいるケンタくんを見て、お母さんも変わったのです。

心配で心配でたまらなくていつも不安そうだったお母さんが、ケンタくんから「今日はこんなことしたんだよ!」と報告されると、まさに

全てに共感していた

のです。

そうだったんだね、大変だったんだ、びっくりだね、ケンカしちゃったのね…。そうやってケンタくんを丸ごと受け止めてくれたことが、きっと担任の私よりも何倍も何十倍も、ケンタくんの“キラキラの笑顔”を引き出したのだと思います。


■子育ての信念■


子どもの思いに共感し、受け止める、その大前提には、

きっとこの子は大丈夫

という、ある意味根拠のない自信、言うなれば信念をもっています。

保育者として、「子どもたちにこうなってもらいたい!」という思いが強い時期もありました。

でも、両親も違う、生活環境も違う、性格も違うわけで、誰一人として同じ人はいません。一保育者の思いで、「こうなってほしい!」と方向づけることは、保育者のエゴなのではないか、と次第に思うようになりました。


今つまづいていることがあるけど、きっと自分なりの方法で乗り越えられる

友達とのかかわりでうまくいかないことが多いけれど、この子なりにいろいろ経験して、必ず合う人も現れる

集中力が続きにくいけれど、きっと没頭できる好きなことが見つかる


こんなふうに、その子がその子なりに育っていくプロセスを信じます。もしかすると、それが叶うのは何年も後のことかもしれません。

でも、今はそのプロセスの途中にあると考えると、その時々で感じたり考えたり悩んだりすることも、全て受け止めてあげたいと思うのです。

きっちりと伝えなければならないのは、自分や人を傷つけないことと、社会で必要な最低限の常識や言葉遣いなどです。

マイナスな感情なども、一旦受け止めた上で、適切な表現方法や回避方法を一緒に見つけていけばいいのです。


■最後に■


今回お話した、保育者としての子育てのコツと信念は、保育者に限らず、親子のかかわりの中でも大切にしてほしいなと思います。

ケンタくんの例でもあげたように、お母さんやお父さんや保育者などが、自分を条件なしに信じてくれているということが、何より子どもたちを輝かせる、そんなふうに思っています。

私は、それを、子どもに教えてもらいました。



今日のこのnoteが、少しでもどなたかのお役に立てれば嬉しいです。

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