言の葉の行方ver.2
その手紙を読んで、僕は後悔した。男の過去に興味はなかったが、それよりも文章から漏れ伝わる会えない娘への思いが募っていて、他人の僕まで切なく感じられた。丁寧に綴られた字体からも男の一途で真面目な思いが伺えたが、その切ない思いの強さに僕はひどくうろたえる事になった。今さら手紙を戻すこともできず、かといって宛名の娘さんの行方も分からない。僕はそれから答えのない無理難題を意図せず引き受けた我が身の愚かさを悔いるように日々をやり過ごしていた。でもそんな日々が半月も過ぎた頃、僕はさらなる苦境に追い込まれる事になった。
その日、夕方遅くに部屋に戻った僕の目に映ったのは、赤茶けた古い郵便受けに無理矢理押し込まれたような分厚い手紙の束だった。厚すぎて収まりきらなかったのか封書の下半分が投入口に挟まれたような格好で、郵便受けに斜めに突き立っていたのだ。一見してあの男の手紙だとすぐに分かった。そして僕はこの状況にひどくうろたえた。
きっとこの男は前の手紙が戻されなかったので、娘のもとに無事に届いたと信じたのだろう。思いが募った分だけ、今度はこんな重厚な手紙を書いたのだろう。しかも裏面には男の住所まで丁寧な字で書かれていた。もう臆す事も身を隠す事もない、そんな男の覚悟が伺い知れた。そんな手紙が二通も、今僕の手元にあるのだ。逃げ出したい、そんな衝動が唐突に脳裏を駆け巡った。日々を無為に生きる自分にとって、重すぎる重荷を背負わされたような心地がした。でも既に男にはここの住所は知られている。その気になれば僕の存在も容易に知る事ができるだろう。この男の執着の力があれば、僕のような軽い存在は一溜まりもないに違いない。
何とか宛名の娘さんの行き先を探し当てて、この手紙さえ渡してしまえば良い。始めの封筒を開けたことは正直に謝ろう。自分宛だったと思ったと言い張れば、よもや訴えられる事もないだろう。何よりこの男とこれ以上の関わりを持つことが、何よりも不安で怖かった。一途で必死な人間ほど恐ろしい者はないことは、人の歴史を見ても明らかだ。でもこの部屋の前の住人など、どうやって探し当てれば良いのだろう? 周りにさしたる知り合いもなく、近所づきあいも何もない僕にとって、人探しという行為はひどく難しい仕業のように思えた。SNSで彼女の名前を検索してみたが、似たような名前は数多くあっても名前だけではどれが彼女だとも、また違うとも言えない。今のご時世では住み家が分かるような画像も載せなければ、そんな記事も書かない。どれを開いても画面には流行の店の料理や景色が映し出されるだけで、正直どれも特徴に乏しく同じように見えた。
僕にはこの男への恐怖心もあったが、それ以上に男が放つ娘への焦がれる思いが羨ましくもあった。だから何とか男の娘にこの手紙の存在を、父親の思いを知って欲しかったのだ。罪を犯したとはいえ、男が娘に会えないままこの世を去ってしまうのはひどく不憫な気がした。恋い焦がれるような熱き思い、それは僕がついぞ感じた事のない尊いだと僕には思えた。とにかく手紙を読もう、こうなれば一蓮托生だ。僕は共感とも同情とも言い難い、見知らぬ男への不思議な感情を抱えたまま、部屋への階段を上がった。何かの覚悟のような落ち着きがあって、不思議と僕は落ちついていた。ただ手紙の中身が気がかりで、僕は少しだけ鼓動が早くなるのを感じていた。
(イラスト ふうちゃんさん)
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