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役立たずでも愛されていい

ごきげんよう、CHIKOです♡


ミスディオール展のお供は、レディディオール。



レディディオールはとても難しいバッグだ。

あまり収納できないし
中の物は取り出しにくいし
重いけど肩には掛けられず
(ショルダーストラップは付いてる)
何より合わせる服をとても選ぶ。

レディディオールを持つ時は
バッグを起点に服を考えないと必ずダサくなるし

デザインはとっても可愛いけど
お値段は全然可愛くない…



そんなレディディオールは
バッグとしてはほぼ役立たずで
正直あってもなくても良い物かもしれない。


でも、なぜ私がレディディオールを持っているか、


それは役に立たなくても愛されていい!ということを
見るたびに思い出させてくれる芸術品だから…





私たちは小さい頃から、

ちゃんとしなさい!
言うことを聞きなさい!
人に迷惑はかけちゃだめよ!

などと色々言い聞かされて育ちます。


それが親や先生たちの”愛”でもあるのですが、

いつしか
『役に立たなくちゃ、自分には価値がない』

という思い込みに
すり替わって拗らせてしまう女性が
沢山いることに大人になってから気付きました。




でもね、
レディディオールの役立たなさと
美しさに惚れ惚れするたびにこう思うのです…


役に立つかどうかなんていう”代替可能”なモノよりも

レディディオールじゃなきゃ嫌だ!!という

“代替不可能”な愛される理由を持っているモノの方が

存在価値として強いのだ、と。



人の役に立つことも大切なことだけど、
役に立つかどうかで振る舞いを決めることは
所詮他人の価値観に支配されるということ。



自分の価値を
役に立つというところのみに依存してないか?

私たちはレディディオールより
もっと貴重な一点モノなのに

誰かに認められようと
必死になることは本当に重要か?




自分の価値や魅力度を高めて行った先に
自然と誰かの役に立てる時がくる…

そんな生き方や在り方が自然なのではないか?



そんなことまで想わせてくれる、
実用性は二の次!な芸術品、レディディオール。


今の私にはなんだか可愛すぎて
いつまで素敵に持ちこなせるか分かりませんが

いつかレディディオールが似合う
チャーミングな女性になれるよう
大切に愛でながら使いたいと思います。




ではでは〜(*´ω`*)



P.S.
いつもと違う感じのインスタ投稿でしたが
いかがだったでしょうか?
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いつも本当にありがとうございます。
あなたのお陰で、私もハッピーです。



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