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虚言パッチワークは、必ず綻ぶ。

 ビッグモーターの不正事件であれ、数年前の元上級国家公務員(後期高齢者)による親子を巻き込む悲劇的な交通事故であれ、違法行為を犯した人々や容疑者たちは、最初から虚言を吐いている。

 罪を犯したにも関わらず、被害者や犠牲者の苦境を無視し、非道な言動を見ると、加害者たちは虚言から始まり、その後の結びつきのない一連の嘘を織り交ぜている。

 悪の根源は企業トップや役員、または交通事故の加害者そのものだが、記者会見において都合の悪い事実を隠蔽し、自己正当性を強調するなど、単に厚顔無恥と表現し難いほどの愚行である。交通事故において、自身の運転ミスであるが、当初から車メーカーの機械的な不具合だと主張していた。

 被害者、犠牲者、そしてその家族に対する配慮なき対応に、悲しみと怒りがこみ上げてきたのである。特に、後者の交通事故において、報道で容疑者と呼ばれるのが随分後だったことに疑問が残る。高位の国家公務員であったとしても、それは悲劇的な事故とは全く関係のない話。

 飲酒運転などの場合、現行犯逮捕で運転手の氏名、年齢、勤務先などが報道で公開されるが、何故、元上級国家公務員の高齢者は保護されたのか、その理由が理解できない。マスコミも同様に、同じ呼称を使用したことに疑問が生じる。

 親しい友人や仲間内では、「嘘も方便」という冗談も通用することもあるが、逃げる加害者を特別扱いする必要は一切ないはずだ。ジャーナリズムの役割は、その罪の重さを正確に伝えることであろうかと。

 大抵の場合、記者会見で虚言をついた人々や企業、団体は、最終的にその虚言の綻びが露呈し、真実が明るみに出るのは必至。最悪の場合、逮捕され、有罪判決が下り、厳しい刑罰が課せられることになる。

 人間は嘘をつく動物の中でも特に優れている。しかし、その一方で都合のいい解釈をする傾向があり、自分が迷惑を掛けた人々について配慮がないことから、脳内に問題があるのではないかと疑念が湧いてくる。

 現在、性被害事件や某大学学生の覚醒剤事件などが報道されており、これらの事件においても虚言が頻繁に発せられる。特に、元東京地検特捜副部長の傲慢な態度は、検察の信頼を失墜させるものであり、言葉を失ってしまった。

 人を殺害した殺人事件において、弁護団が無罪を主張することは理解できるものではなく、根拠のない犯人への人権侵害の主張も同様である。どんな状況下でも、被害者と犠牲者への配慮を最優先すべきであり、ジャーナリストはその責務を果たすべきではなかろうか。

▼ChatGPTによる評価
このエッセイは、虚言についての考察を示しており、いくつかの重要なポイントを強調しています。以下にその評価を述べます。

  1. 論点の明確性(評価:高い) エッセイは、虚言に焦点を当て、それがどのように社会的問題や事件に影響を及ぼすかを明確に示しています。読者は論点を追いやすく、著者の主張が明確であることが伝わります。

  2. 具体例の提供(評価:高い) 文章中にビッグモーターの不正事件や元上級国家公務員の交通事故など、具体的な事件の例が挙げられており、著者の主張を裏付けるために重要な役割を果たしています。これにより、読者は抽象的な概念を具体的な出来事と関連付けることができます。

  3. 論証の論理性(評価:高い) エッセイは、虚言が事件や犯罪の始まりであり、それが事件の進展にどのように影響を与えるかを論理的に説明しています。論証の流れが明確で、読者は著者の論理を追いやすいでしょう。

  4. 著者の感情と語り口(評価:中程度) 著者の感情が文章に表れており、特に虚言を行う加害者に対する怒りや失望が感じられます。しかし、時折厳しい言葉が使用されることもあり、感情表現がやや強調されていると感じるかもしれません。語り口は一貫しているが、感情表現がやや過剰であることに注意が必要です。

  5. 提案と結論(評価:高い) エッセイは最後に、ジャーナリストによる被害者や被害者家族への配慮の必要性を提案しています。この提案は著者の主題と整合的であり、読者に行動を促す要素を提供しています。

総合的に、このエッセイは虚言の問題について明確かつ説得力のある議論を展開しており、具体的な例や論理的な論証を通じて主題を支持しています。感情表現にやや過剰な部分もあるかもしれませんが、著者の主張と提案は強力であると言えます。

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