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西田親生の辛口コラム

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世の中は理不尽なる事象が多い。燕雀であるより、呑舟であれ。常に自然体にて威風堂々と、気配りは繊細に。胸襟開いて語り合える心友との出逢いは、善き人生の道を拓く。改革は、若き人たちの… もっと読む
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自分スタンダードの常識ほど非常識なものはない。

<茶碗の持ち方、箸の使い方>  身近なところから語れば、茶碗の持ち方や箸の使い方。礼儀正しく使える人は極稀である。幼い頃から教えられていないところを曝け出し、社会人として公然と赤恥をかいてしまうことになる。 <座布団の座り方>  和室における座布団の座り方も、人それぞれ。これにもプロトコール(国際儀礼)として、座布団の座り方にも決まりがある。個々の詳細については、国際儀礼に関する書籍を読まれればズバリ書かれている。 <人の紹介>  第三者に知人友人を紹介するのは、そう簡単

何度も決まり事を破り、期待を裏切る人・・・

 決まり事、約束事を簡単に破る人がいるが、その人の脳内を覗いてみたくもなる。毎回、毎回、同じ繰り返すことで、日常的に麻痺している。  言行不一致の連続という、自らの挙動がおかしい、歪んでいるという意識も無くなってしまったのかも知れない。  ポジティブ表現をすれば、誰だって期待する。しかし、そのポジティブさを翌る日には忘れ去るという、鶏のような思考回路になっている。  常に前向きな人を見ていると、言行一致が当たり前である。自分の発言に責任を持っているからこそ、当然のように

肩書き(看板)取ればただの人?

 久しぶりに、元宿泊施設のオーナーと話をすることができた。ずいぶん前に廃業したが、その後、転職して頑張っているという。知人友人が病気もなく、元気で頑張っていると、こちらまで元気になってくる。  既に、十数年会うとはなかったが、どうしても気になったので、本日電話をすることにした。しかし、開口一番に「肩書き(看板)取ればただの人」という言葉を聞かされた。悪気もなく無意識に発した言葉であろうが、筆者の心の中に違和感だけが漂った。  どんなに色んな肩書き持っていようが、歴史と伝統

思考回路が止まるのは、逃げの前兆。

 仕事が捌けず、重い頭を抱え込み、思考回路が止まるのは、逃げの前兆である。性格的なものもあるが、毎回堂々巡りをしている人物は、逃げの連続に甘んじて、何も結果を出せないことを恥とせず、常習としている。  一般社会人としては、見過ごすことができない重大問題である。しかし、常習としている人物は、毎回猛省し改善することはなく、差し迫った問題を何とか誤魔化し、暈すことに専念しているに過ぎない。  仕事へ向かう姿勢の問題であり、学習能力の欠如の問題でもある。時を経ると、従前の言い訳が

不正と対峙:日本の政治における構造問題

 世の中は、マネーフローが盛んな場所に人々が集まる。昔から現代に至るまで変わることのない、「欲」の世界が存在している。  遵法精神を最優先すべき公務に就く人々の中にも、違法行為が頻繁に起こっている。選挙公約の裏では、その「欲」に酔いしれている人物が多いのは情けないことである。  言葉を換えれば、選挙では偽善者に投票するようなもので、最初から我々庶民を騙す人物による悪しき政治が横行し、国家の存続が危ぶまれるばかり。  民間では、大手新聞社の捏造事件やテレビ局のやらせ事件が

フォロワー1000人目は、どなたに!?

 「note」で毎日エッセイを書くようになり、2年と3ヶ月が経った。筆者からフォローすることはないが、フォローがあった場合は、顔ありで記事を書かれている方であれば、問題なくフォロー返しをするようにしている。  SNSを利用する場合、フォロワーを増やすために動くことは一切ない。フォロワー数を増やすよりも、フォロワーになって頂いた方々と、日々何らかのコミュニケーションをとることを重視している。  本日、お二人からフォローが届いたので、フォロワー数が999人になった。あと一人で

同族企業の後継者問題と甘やかしのリスク

 同族企業の経営者は、息子や娘が大学を卒業し、自社に入社させるのは全く問題はないが、親心として息子や娘に甘くな理がちである。そこが盲点だ。  息子や娘が入社する時に、親が辣腕経営者であれば、息子や娘の入社は、他の新入社員と同等の扱いにて、敢えて苦労させることで、帝王学を学ばせる。  ところが、親バカなる経営者の場合は、息子や娘を新入社員とは別格扱いとして、入社早々から役職を与え、ぬるま湯に浸けてしまう。これが、一般的だと言える。  何の苦労もなく役職についた息子や娘たち

責めを恐れて、仕事を怠る忖度野郎。

 日々、経営者や上司のご機嫌伺いばかりで、忖度人生を歩む人は少なくない。ブラック企業では当然の悪しき慣習、現象であり、処世術の切り札が忖度と思い込んでいる、情けない経営者や社員もいる。よって、お中元やお歳暮の悪しき慣例は残されている。  経営者や上司の目が気になり、仕事に対して創意工夫などなく、厳しい指摘や責めを受けぬように神経過敏となっている。よって、平常心ありきの仕事どころの騒ぎではなく、毎日が忖度まみれの、実のない仕事現場と成り下がる。  恐怖政治を敷く経営者や右へ

仕事も趣味も本物を目指さなきゃ!

 仕事も趣味も中途半端ならば、最初から着手しない方がいい。時間の無駄であり、また、身に付くものも本物とはなり得ず、無価値なものとなる。  遣るなら、徹底して遣る。これが、仕事に対する敬意でもあり、趣味に対する愛情でもある。器用貧乏と自負している人は、結構、双方とも中途半端な人が多いように思えてならない。  「安物買いの銭失い」にあらず、「中途半端の銭失い」となってしまう。  世の中にはオタクと称される人がいるが、筆者は、そのオタクを敬愛の念を持って見ている。微に入り細に

コールバック無しへの苛立ち・・・

 昨日、ある人物と話をする中で、以下を吐露していた。  「今、仕事の話が浮上しつつあるが、最近、何度電話しても相手からコールバックが無い。自分が以前と同じ立場に置かれて、自分がコールバックしなかった当時の相手の気持ちが良く分かる!」と。  実は、過去において、この人物に筆者が電話しても、コールバックの無い時期があった。長期間ではないが、本人が気づき、それ以来、必ずコールバックまたはメール返信が来るようになった。  この人物は、「気づき」→「改善」→「実行」という、一つの

学習能力なき人は、人の言葉に耳を傾けず。

 何度も同じ失敗を繰り返す人は、その場で指導を受けたり、注意をされても、自らの失敗を反省することもなく、人の言葉に耳を傾けることはない。よって、学習能力がないばかりか、元々、真摯さに欠けているのである。  自らの失敗で赤恥かくのは当然だが、その失敗が周囲の人たちに支障をきたすようでは、早々に、失敗の要因となるものを改善しなければ、失敗を繰り返すがトレードマークとなってしまう。  これまで、多くの方々との接点があり、それを思い起こすと、何事も成功裡に人生を闊歩している人たち

男という動物は、己より優れた男を嫌う。

 妙なプライドに包まれている男というものは、時と次第によっては、非常に悪い癖が吹き出してくる。  力量のない男ほどその傾向は強く、空威張りが先行し、初対面の場合もマウンとを取りに行き、自己アピールに余念がない。  これは雄の動物的本能なのか、女性の前ではいい格好を演出したり、出来ぬことでも可能なそぶりを見せたり、何としても「俺が!」を強調するのである。  とても稚拙としか言いようがないが、それが、男の本質的なものなのだろうと。負けず嫌いは理解できるが、負けを認めて自己研

デジタル音痴の地方経営者による弊害

 以下では大変厳しいことを申し上げるが、ノンフィクションであることを、冒頭よりお断りしておきたい。  これまでIT専門職として企業IT戦略について相談を受け、それに応じて、誠意を持ってサジェッション(無償)を行なったことは数え切れない。  サジェッションは、相談者が目の前に契約という人参をぶら下げつつ、相談事を持ちかけてくる。多くの場合、地方経営者の一部はデジタル音痴。目的は、筆者のレクチャーを盗み聞きして、雲隠れする悪しきパターンである。  情報は只でもらうものであり

信書をぞんざいに扱う人は、民度の低さが露呈する。

 今や、コミュニケーションの花形は、SNS。メッセージのやり取りが、手紙や葉書ではなく、電子メールでもなく、LINEやX、Messengerなど、SNSが主流となっている。  よって、文章も句読点が付くと、とても厳しい文書に勘違いする人もいるというから、時代も変わり、日本語の記述や価値観も変わってきたのだろうと受け止めているところである。  ただ、ビジネス文書や官公庁からの公文書は書簡として郵送されてくるので、郵便物の取り扱いは、従来と同様に厳格に取り扱わねばならない。ま