見出し画像

#Opus5 今、ここにある気持ち オープンダイアローグ

「今、起きている感情をここ、この場所に置いてみること。」

話し手の方が感じている違和感や感情を言語化して言葉を紡ぐ。対話が織りなされるはじまりは、こんなことかもしれない。。とふと思った。

ダイアローグを土壌と置き換えてみた時、
話し手の方が違和感、感情という「新しい種」を蒔き、
そこに参加している皆さんと一緒に
話し手の方の種を育んでいく。
やがて、話し手の方とそこにいる人たち全員は知らなかった花、
実は既に知っていた花に出逢い直す。
そして、その咲いた花をそれぞれが愛でていく。

わからないことを言語化していく事は、
話す人、聴く人両方がわかる
共通言語のようなものを無理なく創り出している。

言語化されながら、
それぞれがその言葉に自分の経験、想いを重ね
言葉を紡ぎ続けていく。
まるで、人がゆったりと呼吸をしているように。
その中で、抽象的なことが具現化したり、
余白が生まれたりしている。

対話をし続けることは
参加している人たち全員で対話の着地地点(終わり)も創っている。
多様性の中から生まれる着地点は
それぞれへの問いかけ、発見へと促してくれる
その場所は新しい出発地点とも言えるのかもしれない。

今回のダイアローグで私が受け取ったことは
「直感からの違和感、自分を大事にすることを選ぶ。」だった。

直感からの違和感というのは、
疑ってしまうことが多々ある。
自分の経験上直感が外れたりして痛い目にあった記憶や、
何も現実的な根拠がないと思考が危険信号等。
要は私の失敗したくないという気持ちが強いから。
でも、本当はそうではなく、その違和感の反対側にある
「自然な自分でいられる環境、在り方」
そこにスポットライトが当たっているんだと気がついた。
無理なくそのままの自分でいられるのは
どんな環境でどんな風だったら
「ああ、いいな。幸せ!」と感じるのか。
この感覚を知ることはとても大事じゃないかな?

それから、違和感が伝えてくれていることは、もう一つある。
「私は自分を大事にすることが何よりのプライオリティ!」
これがわかり始めているから、
今まで蓋をしてきたことに対して
色んな気持ちが湧き起こるのだと思った。

例えば、女性が「こうあるべき」姿は
私たちの考えであり、
選択肢なしに無意識でその姿を選んでしまっているのは私自身。
「こうあるべき」をとりあえずやってみて、
違うと思ったら止めてみる。
そこから、何かが変わっていくのだと思う。
自分が変わっていきたければと言うのが大前提なのではあるけど。。
結局、どんな状況でも全ては自分で選んでいる。

嫌いも好きもわかっているから、選べる。
毎日という時間の中で幸せであることの準備をして
その想いをを体験する。
Well-beingは「これをしたら幸せになる」というような
便利でインスタントものではない。
日々の中で、好きなこと、嫌なこと両方を体験しながら、
本当に自分が幸せである何かを選び続ける。

自分が心から無理なくありのままでここにいること。
それを紡ぎ続けることが私の最大な仕事だと思った。
そのプロセスを言葉で表すとすれば、今は
「Well-being」なんだと思う。


"Great things are not done by impulse, but by a series of small things brought together."-Vincent van Gogh

「偉業は一時的な衝動でなされるものではなく、小さなことの積み重ねによって成し遂げられるのだ。」-フィンセント・ファン・ゴッホ


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?