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障害ってなんだろう

お読みいただきありがとうございます。
言葉好きの言語聴覚士 ちかです。

セラピストとして働く中で、「障害」について自分なりに考えて定義したいので、今日はnoteに綴りたいと思います。

というのも、障害をお持ちの方や、そのご家族、ひいては医療介護に関わる人でも「障害」の定義をはっきり理解している方は多くない、と思うからです。

辞書的な定義

とは言え障害とは何か。病気と何が違うのか、私自身も明言できる自信がないので調べてみました。

【病気】
生体がその形態や生理・精神機能に障害を起こし、苦痛や不快感を伴い、健康な日常生活を営めない状態。医療の対象。疾病(しっぺい)。やまい。

デジタル大辞泉

【障害】
個人的な原因や、社会的な環境により、心や身体上の機能が十分に働かず、活動に制限があること。

デジタル大辞泉

うーん分かりやすい。さすが小学館。
病気の症状によって、障害が生じるということですね。と完結しそうになりますが、ここから深掘りしましょう。

障害の種類

では、次に障害について深掘りしていきたいと思います。

まず、障害の種類について。
何の機能が障害されるかにより、「身体障害」「精神障害」「知的障害」の3つに分類されます。
さらにそれぞれに下位分類がある、といった構造です。

わかりやすくすると、ざっくりまとめた以下の図の通り。(下位分類の障害名は一例です)

障害の分類


また、知的障害、発達障害、精神障害の分類に関しては医療、福祉、法律の視点で定義がやや異なります。こちらに関してはこちらのまとめがとてもわかりやすかったので、よければご参照ください。



こちらを見て、「あれ、うつ病とか統合失調症って病気じゃなくて障害だったの?」と思った方も多いのではないでしょうか。
私も初めて知りました。

結局、「心身の機能が働かず、日常生活における活動に支障が出る」のであれば、病気も障害になる。
なので病気そのものが障害、というパターンも存在するということですね。

また、障害を有するタイミングでも二つに分類することができます。

生まれつきのパターン(先天性)と、病気や事故により障害を持つパターン(後天性)。

ちなみに、先天性の障害を持つ方に行う療法は、ハビリテーション。
後天性の障害を持つ方に行う療法は、リハビリテーションと言います。

ハビリテーションという言葉の語源は、「適した、ふさわしい」という意味のラテン語、”habilis”(ハビリス)だそうです。

したがって、

「元々持って生まれた機能を使って、適した状態になること」=「ハビリテーション」

ハビリテーションに、「再び」という意味を持つ接頭辞”re”をつけて、

「再び適した状態になること」=「リハビリテーション」

となります。

私たちセラピストは、障害をお持ちの方が日常生活で感じる困難を、可能な限り軽減するお手伝いをしています。

横道にそれますが、“re”のついた言葉の例をあげると、リプレイ、リスタート、リマインドなどなど、、共通して「再び〜する」の意味合いを持っています。
日本語でも使用頻度の高い単語が結構ありますね。

言葉好きの豆知識コーナーになってしまい、失礼しました。
話を本題に戻します。

私なりの定義


とはいえ病気やけが自体を治すのは、医師による治療がメイン。
たとえば骨を折った方に対して手術をする、コルセットやギプスをつける、ということ。
脳梗塞を起こしたら、点滴をしたり、薬を飲むということ。
うつ病になったら、薬を飲み、医師のアドバイスに従って睡眠や食事を意識して生活習慣を整えるということ。

ただ治療をしても、日常生活に支障をきたす何かがある場合。
この何かが障害です。

たとえば、骨折の治療をしても、以前のように思うように膝が動かず歩けないということ。
脳梗塞の治療をして一命をとりとめても、麻痺により手が動かしにくくて物が持てない、言語障害が生じて物の名前が出てこないということ。
うつ病の薬を飲んで生活習慣を改めて、身体的な症状が落ち着いても、意欲が湧かず外出ができないということ。

障害があるかどうかは、専門家による診察や検査により診断されます。

ただし、一番大事な基準は当事者がどう捉えるかだと思います。

他者評価と自己評価

よく私が言葉のリハビリをする中で感じることがあるので、少しお話しさせてください。

「構音障害」という障害があります。

お口の運動障害(麻痺など)、顎や舌の形の問題などで、ろれつが回らずうまく話すことができないという障害です。

これまでたくさん構音障害の方のリハビリをしましたが、その方が話す言葉の聞き取りやすさに関わらず、ご本人が症状をどう捉えるかは人によって大きく異なると感じることがよくあります。

日常会話や電話での会話をしていて、相手から聞き返されることがほとんどなくても、自分の発音にまだ問題があると思う方。
会話中に何度も相手に聞き返されても、ジェスチャーや筆談を併用すれば意思疎通が可能なので、不自由を感じない方。

前者の方は、いくら他人から「聞き取りやすい」と言われたところで、納得しきれないことが多いです。
このような方を見ていると、障害は目に見える部分ではなく、見えない部分が大きいことがよくわかります。

それは、たとえ周りから見たら何も問題なく日常生活を送れているように見えても、本人には納得しきれない「難しさ」や「生きづらさ」があるから。

その「難しさ」「生きづらさ」を取り除くのは、ご本人がリハビリを頑張って機能を向上したり、日常生活の中で代替手段を用いたりしながらできることを増やす、ということももちろん一つの方法だと思います。

ただ、それだけでは不十分。
周りの方が、障害そのもの自体について理解するだけではなく、「障害を持ったことにより、生きづらい、自信が持てない」と感じている気持ちを受け入れること、共感することも、とても大事だと個人的には思います。

「障害を理解する」という言葉をよく聞きますが、障害を持った方が求めているのは、「私のことを理解してくれている」という安心感なのではないかなと思います。

なので、「障害があるから」という前提で接することはむしろ逆効果で、
人間関係の基礎的な部分、「相手のことを知ろうとする」姿勢が結局一番重要だと思うのが、個人的な意見です。

先ほどの例で挙げた、後者の方が、言葉の障害があっても不自由を感じないのは、
ろれつがうまく回らなくても、家族とこれまでのようにコミュニケーションが取れている、家族がこれまで通り自分と接してくれている、などという安心感があることが理由のひとつなのではないのかと思われます。
(もちろん理由はそれだけではないと思いますが)


まとめ


障害は、個人がもつ何かしらの症状や性質のうち、生活をしている上で「困難」を感じさせるもの。
「困難」であるかどうかの判断は、当事者が行うもの。
ただし、その判断には当事者の置かれる環境や、周囲の人の関わりが大きく作用する。

というのが私なりの最終的な定義です。

だから、「人見知りで人付き合いが苦手。仕事上のコミュニケーションがうまく取れずに、ミスばかりしてしまう」と思う人がいれば、「人見知り」という性質はその人にとっての障害になりうるということ。
病気や怪我の経験に関わらず、誰もが持ち得る可能性があるものだと、私は思います。


ここまでお読みいただきありがとうございました。




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