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私がオランダで得た、教育の大切な視点③

子どもが幸せな国の教育の基盤

以前私は「オランダでは良い教育手法が子どもに行き届いているから、子どもが幸せを感じられているのだろう」と考えていた。

けれどもこれまで書いてきたように、オランダの学校や園で過ごす子どもの姿、先生が話す言葉、保護者の思いなどを考察していくうち、当初考えていたこととは違う実態が見えてきた。

子どもの幸せに大きく影響するのは、子どもがどの教育手法の学校に通っているかということよりも、
「学校が、個性や生活背景などの異なる一人ひとりの子どもや保護者と信頼関係を築く視点を持っているか」
そして、
「子どもや保護者が学校に自ら働きかけることに対して安心と安全を感じているか」
ということだと、私は思った。

私はオランダの学校において、先生の指示の通りに行動するが、自分で考えて行動しようとはしない子どもたちの姿も見た。そこでは先生が子どもに個別にアプローチしたり子どもたちの方から積極的に先生に関わったりする姿は少なく、子どもと先生との心理的な距離は、私には遠く感じられた。

先生に指示されたことを容易に終わらせた子どもは手持ちぶさたを感じ、指示の内容が難しければ子どもは意欲を失い、近くにいる友達と話し始める。先生は子どもの学習を手伝いながら、静かにするように子どもたちに伝えるが、エネルギーに満ち溢れている子どもたちは、学習ではなく友達とのおしゃべりに夢中になる姿が見られた。


子どもが自分で考えて行動すれば、たくさん失敗したり、効率の悪いやり方のように大人の目には映ったりするため、大人は子どもに指示したくなることがよくある。

子どもは、自分のことを自分で決めて行動する方が良いのだろうか、それとも大人に決められる方が良いのだろうか。

私は、たとえ失敗しても子どもは自分で考えて行動する方が良いと思う。なぜなら、学びのペースに優劣はなく、たくさん失敗するということはその子にとって難しいことに何度も挑戦しているということだからだ。

自ら挑戦する過程に学びがあり、学びが生涯にわたって続くことで、子ども自身が豊かに生きることができる。
自由に考え、責任を持って行動することは、子どものうちから練習することでできるようになる。大人が子どもの学び育つ力を信頼し助けることで、できるようになる。
私はそれをオランダで学んだ。

たとえ良いとされる教育手法を採用している学校でも「子どもが何を幸せと感じるのか」という視点を大人が持たず、子どもとの間に信頼関係が築かれなければ、子どもの学びに対する意欲は生まれにくいということが分かった。
意欲が生まれにくくなることで、子どもは生きるための手段を主体的に学ぶことが難しくなる。

保育や教育を「家」に例えると、「子どもが何を幸せと感じるのか」と考える保護者や先生との信頼関係が、保育・教育全体を支える基礎の部分だ。そして様々な教育手法が、基礎の上に建つ家屋の部分だ。

子どもの幸せに基づく真っ直ぐで頑丈な信頼関係が、子どもと先生との間に築かれているからこそ、子どもは安定して様々な形の教育活動を行うことができる。
外からはあまり見えない、信頼関係という基礎だが、その基礎が歪んでいればどんなに素晴らしいと言われる教育活動も倒れやすくなると、私は思う。


【子どもが幸せだと感じる基盤があってこそ、あらゆる教育は生きるための手段として子どもの役に立つことができる】

私はオランダで確信できたこのような考えを基礎とし、今後の活動を続けていきたいと考えている。

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