缶詰ファクトリーの整備点検
毎日連続投稿10日目のバッジをもらった。
最初の投稿は衝動のままに書いた。
そこから毎日投稿していたのは、努力できないことにコンプレックスのある私のチャレンジにしようと思ったからであって、最初の衝動に突き動かされていたわけではないと留めておく。
だから、一旦3日坊主にしなかった自分を褒めながら、10日間継続してnoteを書いてみて気づいたことをまとめてみることにした。
気づきを振り返って、もし惰性であったとしてもここに投稿し続けることは良いことなのか考えてみようと思う。(今後の備えです)
発見①書きたい衝動が起きやすくなる
からだが書く場所を知っていると、書きたい衝動が起きやすいような気がした。
発見②思考のために役立つ
書くと記録されるため、立派なことを書かなければならない気がしていた。だけど書きたいことがない時もとりあえず書いてみると、ガチガチの頭が柔らかくなるような気がし、書くことは思考を助けると実感できた。
発見③思考のためとはいいながらも反応を期待する自分がいる
どうやら今の私のnoteは私の思考のために使われている。思考のためならクローズな場所で書けばいいのに、こうして他人も見ることができる場所で下手な文と絵を投稿してきたのは、他人の反応も気になるのとスキをもらって嬉しかったからである。
同時に、ふとした思いが公開されるのは怖いことをしっかり認識できていないのかもしれないとも思った。
noteってどんな場所なんだろう
書くこと自体は、ゴチャゴチャの頭の中から何かを発見できそうな感じがあり良かった。だから書く場所を知っているからだづくりのためにももう少し書き続け、書くことを習慣にしたいと思った。
だけど毎日投稿のリミットのせいで推敲が間に合わなかったり、再考できないようならば、毎日投稿を止めてもいいのではと思った。(自分のため?見てくれる人のため?)
考えたいのと、あわよくば見てほしいという欲を叶えてくれる便利な場所だからこそ、自由に書きすぎてしまいそう。
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