ちいさな島
子育てについて。思うところ、日記、役に立つかもしれないことなど書いています。
あなたは自分が好きですか?ぼくはずっと嫌いでした。でも自分が好きになりたいと思うようになりました。この書き物を通して自分と向き合い、最後には自分が好きになる予定です。自分だけのことですが、きちんと書くことを意識したいので公開します。だけど暗いので読むことはおすすめしません!
ここは、はなたれねこ一家が移住をするまで、そして移住してからの記録です。
腕時計の読み物です。腕時計が好きで時計についての様々なことを綴っています。
保育園が休園になってぼくの仕事がなくなってほぼ主夫になったぼくの子育て記。保育園が再開するまで書き続きます。
#大切にしている教え 中学生の頃の話である。 今でもそのときの担任の言葉が忘れられない。 先に言っておくと、ぼくはこの先生を尊敬などまるでしていない。それどころか、ある種の態度には嫌悪すら覚えるほどである。だけど、あのときの言葉だけは三十年以上経った今でもぼくの糧になっている。 テストの採点結果が配られた。みんなの出来があまり良くないからもっとよく勉強するようにというようなことを言ったんだと思う。そこである生徒が言った。 「先生の教え方が悪いから出来ないんじゃないんです
もう四十年近く昔の話である。 ぼくが小学生だった頃の話である。 この世にスターウォーズというすごい映画があるという。光速で戦うんだぜ、と同級生が興奮気味に語ってくれたのを覚えている。それは少し間違った捉え方だったけれども、ぼくの興味を引きつけるには十分すぎるほどのインパクトを備えていた。 その時分でさえ、スターウォーズはすでに何年も前の映画だったから、どうしたら観られるのかわからなかった。観られないことが余計好奇心をふくらませた。 「スターウォーズならうちにあるよ
朝の儀式 朝娘を起こしにいく。ふとんにくるまってほかほかになっている娘の寝顔はなんとも可愛らしい。しかし眺めてもいられないので仕方なく起こすのである。ゆさゆさ揺さぶって声をかける。 「朝ですよー。おーきーて」 すると春に蠢く虫のように動き出して叫ぶ。 「やーめーて!」 「おーきーろー」 「やだっ!お父さんあっちいって!」 「だってもう朝だよー」 「がんばーれしてくれたら起きる」 さあ始まりました。ぼくはベッドの脇に立つと手をたたきながら言わなければならない。 「が
娘のわがままが始まって暴力や暴言が済んだあと、半分涙を溜めたまま 「わたし、いい子だった?」 と聞くのである。わかりきったことである。答えはNOである。しかしそれをそのまま口にしようものなら「もいっかい最初から!」といって今来た道を引き返す羽目になったり、殴る蹴るの暴行を受けたり、「お父さんのくそばかじじいっ」と暴言を吐かれたりするから気をつけなければいけない。 「いい子だった?」 と来たら 「いい子だった」 と答えるのが正解である。すると次がくる。 「めっちゃ?」
子どもたちが、とくに息子が動物を飼いたいと言う。 我が家は昆虫をたくさん飼っているが、それ以外の動物はまだ飼ったことがない。そしてぼくが猫アレルギーなので猫やそれに近しい大きさの犬は対象外である。それで息子は最初鳥が飼いたいと言った。文鳥とかジュウシマツがいいという。そこでぼくは言った。 動物を飼うっていうのは大変だよ。クワガタとは訳が違うのだよ。毎日餌をやって掃除するんだよ。泊りがけの旅行なんて行かれなくなるのだよ。 そう諭すと鳥を飼いたいとは言わなくなった。 ぼく
息子が珍しく風呂上がりにくつしたを履いていた。 「なんだくつした履いているの、珍しいな」とぼくが言うと、 「これお気に入りだからずっと履いてるの」と不思議なことを言う。 ちょっと待てよとぼくは思った。 「え、もしかしてそれ今日履いていたやつ?」 すると息子はこともなげにこういった。 「そうだよ。今日だけじゃないよ。その前の日も履いたよ」 「今すぐ脱いで洗濯機に入れてこい!汚っ!」 「汚っ!」 妹がぼくに呼応するように続いた。 「ちぇ、二人に汚いって言われちゃった」 息子は涼し
息子が慣用句を覚えだしてぼくにクイズを出せとせがむ。 「覆水」とぼくが言えば、 「ぼんにかえらず!」と息子が答える具合だ。息子は算数はからっきしだがこうした言語関係は興味があるようでよく覚えている。次々に息子が答えるからぼくも楽しくなって息子の知らなそうな慣用句をひねり出す。 「過ぎたるは…」 「…」 「過ぎたるは…?」 「わかんない」 「過ぎたるは及ばざるが如し、だ」 「どういう意味」 「要するに何事もやりすぎてはいけない。ほどほど適量というものがあるってことさ」 とぼ
娘は今月誕生日を迎える。今朝もいつものように娘のトイレに付き合っているときに言ってみた。 「五歳になったらさあ、自分でおしり拭くことにしようよ」 「しないよ」 娘は即座に答えた。しかしそんなことにいちいち驚く父親ではない。 「だってさあ、保育園では自分で拭いてるんでしょ」 「保育園では拭いてるけどおうちじゃしないの!」 娘は語気を強めて言った。そして続けざまにこう言った。 「お父さんごめんねして!」 「え、なんで…」 「いいからやさしくごめんねして!」 「ご、ごめんね…」 「
「情念論」デカルト アランの幸福論は愛読書を超えて座右の書となった。はっきり言って超お気に入りである。その中でアランは繰り返しデカルトの情念論に触れている。あれほど優れた名著が今(1920年代)ではほとんど読まれないのは残念なことである、と言っている。尊敬するアランがそういうのであるから読まないわけにはいくまいと思って図書館で借りた。 図書館の情念論は今まで誰の手にも触れられていないのではないかというほどに新品同様、ミントコンディションだった。2020年代でもほとんど読ま
「おとうさんほんといじわるだよね」 娘が出し抜けにそういった。もっとも大体娘はいつも出し抜けである。 「え、なんでよ」 「だってさ、ゴミの袋いつもお兄ちゃんとわたしに持たせてさ、自分はなにも持たないでさ、捨てさせるじゃん」 ああなんだ、そんなことか。毎朝ゴミ捨て場に行くときのことを出し抜けに思い出したらしい。ぼくがゴミ袋を持って行こうとすると自分たちが持つといって奪い合うのは一体だれだろうか。ぼくはそのことを告げて、 「別にだれも頼んでないよ」と付け加えた。 する
今朝。いつものようにふとんをガバっとはぐと、冬眠中の昆虫みたいな動作をして子どもたちがうごめいた。 「朝だよ。もう7時だよ。起きろ」 わりかし目覚めのいい息子はさっさと起きあがって階下へと降りていった。一方娘ちゃんは文字にできない音声でひとしきり叫んでこういった。 「ちゃんとぎゅってしてくれる?」 「え、なにを?」ぼくは思わず聞き返した。 「あたしのこと!」 こんなセリフ、付き合いたての彼女だって言えまい。堂々と言って許されるのはナタリー・ポートマンくらいだ。だけ
保育園から帰宅したときの娘はいつも機嫌が悪い。 たまに上機嫌で帰宅したときは、「今日はいい子ちゃんでしょ!」と自分から申告するくらいだから、普段の機嫌の悪さは本人も自覚するところであろう。 実際どのように機嫌が悪いのかと言えば、帰り道にぐずって歩こうとしなかったり、来た道を引き返したり、座り込んだりする。なんとかかんとか帰宅すると今度は玄関で転げ回りながらの大泣きが始まる。大体毎日こんな感じである。 ひとりっ子ならば落ち着くまでつきっきりで付き合ってあげてもいいのだが
娘がみかんを手にとって自分で剥こうとした。 「へえ、自分で剥けるんだ」 とぼくが言ったら、剥けるわけないでしょ剥いてとみかんを手渡された。 ぼくは娘のみかんを剥いてやり中身を渡して席を立とうとした。すると娘はこんなことを言った。 「お父さん皮かたしてよ。自分で剥いたんでしょ」 娘はみかんを美味しそうに食べていた。
「我が家には煙突がないからサンタさんは来ないんだよ。だってサンタさんは煙突から入ってくるのでしょ。玄関ピンポンするサンタさんなんて聞いたことがないよ。」 「それならどうしてプレゼントもらえるの。」 「なら手紙を書いてご覧。」 そう言ったら真面目に手紙を書いたのが去年の話。ご希望のおもちゃが手に入って大興奮して、来年も絶対手紙を出すといってその来年がやってきた。今度はなにも言わなくてもせっせと自分で手紙を書いている。そして今年もまだ字が書けない妹の分も代筆した。 ぼくが
どうしてこんなに汚いのか。どうしてこんなに土だらけになるのか。 息子の靴下のはなしである。息子が一日履いた靴下はつま先とかかとが真っ黒というかまっ茶色になっている。とくにつま先がひどい。白い靴下だとつま先だけ茶色の靴下のように色が違う。白くない靴下も同様だろう。ただ見えないだけだ。 それだけ外で元気よく遊んだ証拠と言えば聞こえがいい。実際娘の靴下も休日は真っ黒になる。晴れていれば森へ繰り出すからである。だから汚すことに怒ったことは一度もない。ただ、ここまで土がつまっている
「保育園まで抱っこして」 そう言って娘は両手をあげた。 「ちょっと待ってよ。お父さんこんなに荷物もってるんだよ?」 月曜日は週末に洗った布団だのなんだので荷物が多いのだ。それに最近娘が重くなってきた。 「じゃあ私が持ってあげる」 娘は保育園の黄色いカバンと水筒をたすき掛けにした。小さな体に大きな水筒がぶら下がって可愛らしい。なんだちゃんと手伝ってくれるじゃないか。そう思ったオレが甘かった。 「はい抱っこして」 「……。」 なんだなんだその得意げな顔は。娘よそれ