ニッポンの夏の森
写真や映像でヨーロッパの森を見たときに、いつもいいなと思うことがある。それは蚊の存在を感じないことである。たぶん蚊はいないのだ。実に羨ましい。
ぼくはO型でとりわけO型の中でも蚊に好まれやすい血を持っている体質であるから蚊がなによりも嫌いである。
こないだなんか、ぼくとふたり同室にいて、かたや半袖短パンでまったく刺されないのに、ぼくだけ3箇所もさされた。一箇所はよりにもよって長ズボンと靴下の間を侵入されてさされた。
そのくらい蚊はぼくのことが好きで好きでしょうがないらしい。困ったものである。
しかしヨーロッパの森をみていいなあと思うのは蚊の有無だけであり、その他は大して魅力を感じないどころか日本の森のほうが断然魅力があると思っている。
どこかで聞いた話しだが、ヨーロッパの森は植生が乏しいのだという。生えている木が数種類しかないというのだ。翻って日本の森は様々な植物が繁茂している。実に多様だというのである。それは森へ入れば確かに実感するところだ。その多様な植物のおかげで多様な昆虫が生息している。日本の森は多様性の宝庫である。
だから虫が嫌いなひとは森、とくに夏の森へは近づかないほうがいい。全身をイカリジンで固めていても、様々な虫の洗礼を受けることになるからだ。
まずメマトイがくる。こいつはハエだかアブの仲間で、人間の目の水分が目的に集まってくる。だから目まといと呼ばれている。メマトイにはイカリジンは効かないので顔のまわりをぶんぶんぶんぶん飛び回り、隙あらば目に飛び込んでこようとする。
つぎに蜘蛛の巣だらけである。かれらはどちらかといえばこちらサイドの味方ではあるが、蜘蛛の巣は鬱陶しい。気づかずに顔から突入してしまったときの不快感といったらない。なのでぼくは森を歩く時は棒切を持って蜘蛛の巣を払いながら歩くことにしている。
よく古い家の中は蜘蛛の巣だらけという描写をみるが、あれは蜘蛛が打ち捨てた古い蜘蛛の巣であって、彼らは一晩で巣を張るし、わりとしょっちゅう新築しているのだ。
だいたいゴキブリが嫌いなひとは森へ一歩も踏み込むことはできないだろう。森には家屋でよくみるヤマトゴキブリやチャバネゴキブリのほかに様々なゴキブリがたくさん生息している。彼らはなにひとつ悪いとこがなく、どちらかといえば食物連鎖の底辺を生きる昆虫であるからいろんなやつに食われている。ただしとにかく数がいる。弱さを数でカバーしているのだ。足元で動く虫がいるとおもったらほぼほぼゴキブリというくらいいる。
足元を覆うゴキブリの大群で思い出したのは、その昔アメリカの南部サバナという街を訪れたことだった。サバナは映画フォレスト・ガンプに登場した風光明媚な街であるが、夜になるとその様相は一変する。バーへ繰り出すぼくらの足元を尋常ではない数のゴキブリが徘徊していたのだ。ぼくはこれほどたくさんのゴキブリを一度に見たのはこのときが初めてだった。それはまるで地面が動いているかのようだった。
これだけ書けば虫嫌いなひとはもはや一歩たりとも森へは近づかないだろうが、逆にいえば虫好きにとって森は宝箱となる。クワガタやカブトムシだけではない。ひと夏を通して登場する昆虫の種類が変わっていく。そうした昆虫の移ろいを眺めているだけで季節の移り変わりを感じることができる。むしろ植物よりも昆虫のほうが季節の変化を細かく動的に見ることができるのだ。
蚊は不快だが、ぼくは夏の森が大好きだ。生き物の気配をそこかしこに感じ、生きている実感に包まれる。キミは夏を謳歌しているかい?しかし昆虫たちがどれくらい夏を謳歌しているのかを知ってからでないと軽々しく謳歌してるなんて言っちゃいけないよ。
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