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当たり前を大切に。

隣の桜でニイニイゼミが朝から合唱していて、そこへ最近ミンミンゼミも加わった。いよいよ夏本番の風情である。そして、アブラゼミの羽化も少しずつ始まったようで、やがて彼らが夏の支配者となる。
 
夕暮れ時に鳴くイメージがあるヒグラシも薄暗い森の中では一日中鳴いていて、方向感覚を惑わすように反響するカナカナカナに彼らの暴力的な一面を見る思いがする。ヒグラシは寄生されやすいセミで、腹がカビだかキノコで真っ白になったのをよく見る。森のジメジメ薄暗いところを好むからではないかと思う。
 
抜け殻を見て、それがアブラゼミのものなのかそれともミンミンゼミのものなのか区別はつかない。本当は違いがあるらしいがぼくには見分けがつかない。もちろん幼虫の時も区別がつかなくて、以前幼虫を拾って帰って家で羽化させたらミンミンゼミが出てきてずいぶん得した気分になったのを覚えている。
 
セミの羽化はほとんど一晩を要するし、エアコンをつけると寒さで羽化が止まってしまったりするからもう最近はとんと持ち帰らなくなった。もし羽化が見たければ公園にでも行って羽化のそれぞれのステージが見学できるじゃないかと思うようになった。
 
都内に住んでいた頃、夜の公園にビニール袋を持った中国人が出没するようになって、袋いっぱいに蝉の幼虫を集めていた。それをどうするんだと聞いたら油で炒めて食うのだそうである。ハオチーハオチー言っていた。それからしばらくして公園のあちこちにセミの幼虫捕獲禁止の立て看板が立つようになった。
 
根こそぎ獲ってしまえば地域における絶滅も免れない。看板なんて立てたって捕る人は捕るから関係ない。日本人にとってセミは夏の風物詩であるが、彼らにとっては食料だった。しかし今やどれくらいの日本人にとってセミは風流な存在として受け止められているのだろうか。ぼくはむしろそっちのほうが心配だ。
 
田んぼの蛙がうるさいと苦情を言うひとがいるのが現代である。そのうちセミにだって文句を言うに相違ない。悲しきかな悲しきかな。
 
セミの抜け殻は空蝉といって俳句の夏の季語である。また源氏物語に登場するある女性を空蝉と呼んでいる。光源氏が手をかけようとしたところ、衣一枚残して姿を消したかららしい。それを見て光源氏はまるでセミの抜け殻のようだと思ったのだから古今東西問わずセミは日本人の生活に密着した昆虫であったことがわかる。
 
今年も猛暑に順応したセミたちが力いっぱいその声を響かせている。この当たり前の季節の音が、どうか末永く続きますように。

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