一般大衆に夢を見せてコルベットを作れ!どん底GMの起死回生広告「トランスフォーマー/リベンジ」
先日公開した実写版「トランスフォーマー」第一作目の記事に続き、2009年に公開された「トランスフォーマー/リベンジ」についても書いてみたいと思います。
本作は第一作目の成功により制作が決定した続編で、前作の1億5,000万ドルを超える2億ドルの製作費が投入され、興行収入は北米のみで4億ドル、日本国内でも前作を下回ったものの23億円を記録し大ヒット作となりました。本作の特長としてアメリカ国外での大規模なロケや登場キャラクターの大幅追加があり、当時のエジプト考古相にしてエジプト学最高権威であるザヒ・ハワス博士が大のトランスフォーマーファンだったことからエジプトのピラミッドおよびその周辺での撮影が可能になり、加えて国王がSF映画の大ファン(重度のトレッキー)だったことからヨルダンのペトラ遺跡でもロケが行われました。そのため「地球の古代文明や歴史にトランスフォーマーが関与していた」という新設定が盛り込まれ、月刊ムー的な眉唾オカルト&スピリチュアル風味が感じられるスケールの大きなストーリーとなり、前作の舞台がシカゴ周辺とアメリカ国内で完結していたのに対し、地域的なスケールも一気に広がりました。
どん底GMの起死回生広告戦略
先の記事にも書きましたが、この実写版「トランスフォーマー」シリーズは、劇中にスポンサー企業の商品を映すことで製作費を調達する広告手法「プロダクト・プレイスメント」を全面的に採用した、言わば”豪華なCM”でもあります。前作の成功によりスポンサー契約したがる企業が増えましたが、筆頭広告主は前作から引き続きアメリカの車メーカーのビッグ3の1つであるGM(ゼネラル・モーターズ)。ところが2009年当時のGMは、幸か不幸か同社の歴史始まって以来の最低最悪の超どん底状態でした。
本作公開の前年の2008年、同社の新車販売台数は前年比45%減となり、約77年間守り続けた販売台数世界一の座をトヨタに明け渡します。そして巨額の債務超過に陥ったため株主配当を停止し、金融市場から債券発行による資金調達も困難になりました。そこで同社は生き残り策として、同じくビッグ3の一角を担うクライスラーとの合併協議に入り、それに必要なリストラ費用約100億ドルを、同年アメリカで成立した緊急経済安定化法から支出してもらえるよう政府に要請しますが敢え無く拒否。これによりGM・クライスラーの合併協議は中断され、クライスラーは2009年に経営破綻し伊フィアットの完全子会社となります。
時は前後しますが、一様に苦境に陥っていたビッグ3のフォード、GM、クライスラーは2008年に政府に金融支援を含んだ自動車業界救済法案の採決を議会に求めますが、これも具体的な経営再建策がないことを理由になんだかんだで不成立。そこで、天下のビッグ3が潰れたら大変だと思ったのかブッシュ大統領本人が介入し、緊急経済安定化法の不良資産救済プログラムの中から未使用分の金を用立て、GMに134億ドル、クライスラーに40億ドルのつなぎ融資を行います。どうせ出すんならもっと早く出せよ!という気がしますが、とりあえず両社はこれで当座を凌ぎます。しかしタイミング悪く翌2009年はブッシュ大統領からオバマ大統領への政権交代があった年。ブッシュ大統領個人の判断での支援はなくなり、GMは当時子会社だったスウェーデンのサーブを通じ同国政府からの公的支援を要請しますが、これも敢え無く拒否され万事休す、遂に事実上の経営破綻に追い込まれてしまいました。米政府は同年4月に新たにGMに50億ドル、クライスラーに5億ドルの追加つなぎ融資を実施することを決定しましたが時既に遅し、クライスラーは前述のとおりフィアット傘下となり、GMは1,728億ドル(約16兆4100億円)という製造業として世界史上最高額の負債を抱え、同年6月に日本の民事再生法に相当する連邦倒産法第11章の適用を申請。これを受け、米政府が60%、カナダ政府が12%の同社の株式を保有することとなりGMは事実上の国有企業となります。
先の記事にも書きましたが、ビッグバジェット映画の企画なんて何年も前から進行しているだろうに、なぜこうも狙ったように映画公開年に筆頭広告主がボロクソな目に遭うのでしょうか。実写版「トランスフォーマー」シリーズは、GMの凋落と復活に寄り添い続けたシリーズと言っても過言ではありません。しかしこの背景を振り返ることである事実が見えてきます。それは本作公開時に既に国有企業であったにも関わらず、GMはその後も一貫して実写版「トランスフォーマー」シリーズの筆頭広告主であり続けたことです。とんでもない負債を抱えながら経営再建しなければならない一番大変だった時期に、それでも巨額の広告費を出し続けていた……もはやこれは「実写版『トランスフォーマー』は広告費に見合った経済効果がある」「実写版『トランスフォーマー』に広告費を出し続けることはアメリカ政府としても必須と考える”国策”である」ということだったのではないでしょうか。「自動車はいつの時代もどこの国でも国策だった」とはトヨタCEOの豊田章男氏の言葉ですが、当時の米政府およびGMの国策が「実写版『トランスフォーマー』の筆頭広告主であり続ける」だったと思うと、いろんな意味でアメリカやべえなと感心するやら呆れるやらビミョーな気分になってきます。
シボレー・コルベット・スティングレイ・コンセプト
以上のボロクソっぷりから、GMは多数あった同社傘下の子会社とブランド、車をリストラし始めますが、ここでまたタイミングが悪いことに前作で生き残ることができた正義の陣営・オートボットのアイアンハイドに割り当てられたGMC・トップキック C4500と、ラチェットに割り当てられたハマー・H2の生産終了が決定してしまいました。ハマーに至っては、生産設備を含むブランドの買収について中国の四川騰中重工と一旦合意まで進み、中国で生き延びる道が見えかけていたにも関わらず、最終段階で中国政府からの横槍が入り白紙撤回となりブランド自体も廃止となる憂き目に。ちなみにこのネタは2014年公開の4作目「トランスフォーマー/ロストエイジ」の冒頭にとんでもない形で生かされることになるのですが、それについてはまた後日。
それでもこの2台を2009年公開の本作に”出演”させることは、生産終了直前の駆け込み需要を狙えるためまだ意味がありました。それに加えGMは、新たに「何が何でも世界中にアピールしたい車」を出演させました。その中で最も重要だったのが、オートボットの新兵・サイドスワイプに割り当てられたシボレー・コルベット・スティングレイのコンセプトモデルです。
髪が逆立っているかのように見えるアニメ的な外連味のあるデザイン。
オートボット勢揃いのシーンで、消えゆく車に挟まれて停車しているのがなんとも意味深です。
コンセプトモデルとは、車メーカーがモーターショウやショウルームに展示するために作る、その企業や車の今後の方向性を表現するための立体作品です。北米では自動車産業の黄金時代だった1950年代より頻繁に作られるようになり、理想を具現化した「ドリームカー」、未来を示す「フューチャーカー」、将来的に作られる車「ハローモデル」などと呼ばれました。市販される車ではなく、あくまでもデザインを発表するためのものなので自走できない場合も多く、展示が終わったらそのままお蔵入りになりますが、デザインや動力要素の一部はその後に販売される車に反映されることもあります。
コルベットについては先の記事でも取り上げましたが、同車はアメリカ初の本格的スポーツカーとして1953年にリリースされて以降、もはやGM・シボレーというメーカー・ブランドを越え”American Legend”と呼ばれている同国を象徴するようなスポーツカーです。それが満を持して実写版「トランスフォーマー」シリーズに登場となったわけですが、なぜかGMは2009年当時に販売中だった6代目モデルのコルベットC6型ではなく、モーターショウなどのイベントで展示したコンセプトモデルを提供しました。このコンセプトモデルは、来る次世代モデルC7型の「未来のコルベット」として製作され同年2月に開催されたシカゴ・モーターショウで初お披露目されたもの。シカゴは前作の舞台であり、奇しくも1961年のシカゴ・モーターショーでGMはコルベットのレーシング仕様であり初めて「スティングレイ」の名が冠されたレース仕様車「スティングレイレーサー」をお披露目しています。実際このコンセプトモデルはスティングレイレーサーをモチーフにデザインされたもので、名前にもしっかり「スティングレイ」が入っていました。
基本的に映像作品におけるプロダクト・プレイスメントは、商品を認知してもらい、親しみを持ってもらうために行われるものです。それならば手っ取り早く当時販売中だったコルベットC6型を出演させれば直接売上に繋がったかもしれないのに、なぜGMは市販できないコンセプトモデルを出演させたのでしょうか?おそらく同社は、「今はどん底でも絶対に復活してやる!そしてこれからもコルベットを作り続けてやる!」と世界中に宣言したかったのではないでしょうか。コルベットの未来の前に会社の未来が危ないだろ!という時に、敢えて広告枠であるキャラクター1人を使って市販できない車を見せることは博打です。しかし、企業の未来が危ない時だからこそ、明るい未来を指し示すコンセプトモデルを見せるべきだとGMは判断したのだと思います。
また、敢えてコンセプトモデルを出演させることで思わぬ経済効果が生まれた事例が、まさにこの苦境時に起こっていました。これについても先の記事で書きましたが、2007年公開の前作で主人公のバンブルビーにシボレー・カマロのコンセプトモデルを割り当て、その後同車のデザインをそのまま5代目カマロとして市場に投入したところ日本をはじめとする東アジアで大ヒット。どん底なこの時期のGMの数少ない明るい話題となりました。
市販版5代目カマロは晴れて本作でもバンブルビーに起用されています。
ということで、とにかくコルベットのコンセプトモデルをカッコ良く見せなきゃ!と張り切ったであろうマイケル・ベイは、同車に変形するサイドスワイプに、独アウディのスポーツカー・アウディR8に変形する敵役のディセプティコンの斥候兵・サイドウェイズを真っ二つに切り裂くというダイナミックなシーンを与えました。これ自体は非常にカッコ良かったのですが、車両提供したアウディは当然ヘソを曲げ、サイドウェイズの玩具化の際にアウディR8のライセンスを許諾しなくなってしまうのでした。当たり前だ!
結論から言うと、GMは見事この難局を乗り越え2014年にコルベットの7代目モデルC7型を発売し、同年公開の4作目「トランスフォーマー/ロストエイジ」にも出演させます。同車は世界中の批評家やメディアから絶賛されるは一般ユーザーにも売れてヒット車になるはレースでも活躍するはという絵に描いたような成功を収め、世界中にGMの復活を知らしめる存在となるのですが、それもまた後日に。なお、本作よりコルベットはスピンオフ作品「バンブルビー」まで連続出演し、カマロに次ぐ出演回数を誇ることとなります。
大衆車ブランドとしてのシボレー
前作と同様、本作に於いても正義のオートボット陣営のキャラクターは全員GM車という露骨なプロダクト・プレイスメントが行われましたが、前作でシボレー、GMC、ハマー、ポンティアックとGM傘下の様々なブランドがフィーチャーされたのに対し、本作ではシボレー”のみ”に限定されました。新たに登場したキャラクターと車は以下のとおり。
ジョルト:シボレー・ボルト
多くの人が「誰だお前?」と言うであろう存在感が空気レベルの医療助手です。キャラクターの名前と車の名前が似ているというあからさまな広告ですが、脚本の準備稿の段階では未採用に終わる予定だったのにGMの意向でギリギリになって急遽登場が決まったとのこと。そのため台詞もなければ登場時間も合計1分ないという不幸なキャラクターです。武器は電気鞭で見た目は結構カッコ良いんですけどね。
彼に割り当てられたシボレー・ボルトは、2010~2019年まで生産・販売されていたハイブリッドカーで、本作公開の前年の2008年9月にGMの創立100周年記念式典でお披露目されました。アメ車はデカくて重くて燃費が悪くガソリンをやたらと食うというステレオタイプなイメージを一新し、一般大衆に向けてエコでクリーンな車をアピールしたかったGMの意向が窺え、実際同車は2011年にニューヨーク国際オートショーにて「2011グリーンカーオブザイヤー」を、翌2012年には「ヨーロッパ・カー・オブ・ザ・イヤー」を受賞します…が、搭載されていた韓国LG電子製のリチウムイオン電池に発火の恐れがあることが出荷後に判明し、同社は自主的に無償で同車を改修する処置を行うと発表。その後もなんとか販売台数を伸ばし、ニューヨーク市消防局やタクシー・リムジン委員会の公用車、ニューヨーク市警察の交通指導隊用パトカーとして配備されるなどそれなりの実績を作り、2016年には累計販売が10万台に到達しましたが、GMが将来的に電気自動車に完全移行する計画を発表したことを受け、2019年2月に2代目モデルが出荷されたのを最後に生産終了となりました。今は名前のスペルが異なる同名の電気自動車「Bolt」が生産・販売されています。
劇中のジョルトは台詞らしい台詞を喋らず、次作にも出演せず、生死不明のまま誰にも言及されることなくシリーズからフェードアウトしますが、皮肉なことに、車のボルトもキャラクターと運命を共にしたかのような最期を迎えることとなりました。マイケル・ベイは車限定の予言者か?
スキッズ&マッドフラップ:シボレー・ビート&シボレー・トラックス
スパーク(トランスフォーマーの「魂」に相当するもの)が分裂した双子の伝令兵で、ご覧のとおり一目でバカと分かるデザインですが、これが後述する大炎上事件へと発展することとなります。二人ともお調子者でバンブルビーよりも小さく、パワーも特殊スキルらしきものも特になく、そのくせ常に喧嘩ばかりしていますが、基本的に兄弟仲は良く後半のバトルで意外な大活躍をします。
彼らに割り当てられたシボレー・ビートとシボレー・トラックスはいずれもお買い得価格のコンパクトカーで所謂「大衆車」です。シボレー・ビートは同ブランドの世界戦略車で、韓国支社・GM大宇(現・GM Korea)との共同開発により誕生しデザインと生産も韓国で行われました。シボレー・トラックスもビートと同じ世界戦略車のコンパクトカーで、韓国、メキシコ、中国と多拠点で生産されています。特に生産国の一つである韓国では高く評価され、韓国の新車アセスメントプログラムにて安全面で最高評価を得ました。
ここで面白いのは、前作に登場したGM車はスポーツカーや大型高級SUVといった”お高い車”だったのに、本作では一転ハイブリッドカーやコンパクトカーといった大衆車が出できたことです。カマロ、トップキック、ハマーH2に加えてコルベットのコンセプトモデルが活躍する一方、それよりもはるかに身近な存在である大衆車が出てくるため、その対比からより一層”お買い得感”が醸し出されますが、実はこれこそがシボレーというブランドの特長だったりします。
一般大衆に夢を見せてローンを組ませろ
欧州の車文化とアメリカの車文化が異なることは先に公開した「フォードvsシボレー」の記事でも書きましたが、それぞれの文化成立の歴史から高級車やスポーツカーを作る専業メーカーは欧州にて誕生しました。
「フォードvsフェラーリ」に見るアメリカと欧州の車文化の違い
自動車の黎明期、欧州では車を愛好する文化の担い手は貴族や新興の資産家で、昔は高級車を開発するメーカーに開発資金を提供するパトロンがおり、それでメーカーは最高品質で見た目も美しい車の開発に心血を注ぎ、作った車をまた富裕層に売ることでビジネスをやりくりしていました。一方、アメリカはフォードのT型フォードによって車が普及したため車文化の中核を担ったのはごく普通の一般大衆。勿論アメリカにも富裕層はいたし、20世紀初頭にはキャデラックやリンカーンといったアメリカ発の高級車メーカーも誕生しますが、それに飽き足らない富裕層は欧州から輸入された高級車に乗っていました。しかし、時代が経つにつれ呑気に車を転がして遊べる貴族や富裕層は徐々に少なくなり、メーカーに莫大な開発資金を出せるパトロンが消え高級車メーカーは窮地に立たされることになります。そこで、開発費を確保したい高級車メーカーと、高級車のイメージとブランド力が欲しい大衆車メーカーの思惑が一致し、大衆車メーカーが高級車メーカーを買収して傘下に収める動きが出てきました。有名なところだと、フォルクスワーゲンは傘下にアウディ、ポルシェ、ランボルギーニ、ベントレー、ブガッティを収めており、「フォードvsフェラーリ」で秘密裏にフェラーリと買収交渉していたフィアットも傘下にマセラティ、アルファロメオ、ランチアを収めています(フェラーリは2016年に離脱)。
この動きはアメリカでも同様で、GMは先のキャデラックやオークランド(後のポンティアック)といった車メーカーを次々と買収し顧客に車のグレードやタイプ、形、色を「選択」できるメーカーであることをアピールしてT型フォードだけを大量生産するフォードとは真逆の戦略を取りました。しかし、こうした攻撃的な経営手法が災いして100万ドルの負債を抱える羽目になり、その責任から代表のウィリアム・デュラントは自分の会社を追い出されて失業するという、かつてのスティーブ・ジョブズのような状態になってしまいました。そこでデュラントは巻き返しのため、当時既に有名レーサーで自身の車メーカーを設立することを模索していたスイス出身のレーサー兼カーデザイナーのルイ・シボレーと組んで新興メーカー「シボレー」を設立します。デュラントは手っ取り早くお買い得価格の大衆車を売りまくって実績を作り、それを武器にGMに返り咲く算段でしたが、スイス出身のレーサーであるルイ・シボレーが作りたかったのは欧州風のお洒落なデザインで高品質な高級車やレースでも戦えるスポーツカー。全然真逆の方向性だったため当然2人は衝突しますが、もともとルイ・シボレーが有名レーサーだったこと、2人の方向性の折衷案的な同社初の量産モデル「シリーズC クラシック シックス」が実際に欧州風のデザインで高性能だったため人気車となり、発売から3年で9000台販売という、当時としてはかなりの売上を達成しました。
他にもシボレーはデュラントの低価格大衆車とルイ・シボレーの高級車と二極の開発をしていましたが、遂に設立から4年後の1915年、些細な喧嘩が原因でルイ・シボレーは持ち株を全て手放し自身の名が冠されたメーカーを出奔。これによりデュラントの独壇場となったシボレーは低価格大衆車を販売して成功を収め、その実績とキャッシュを携えたデュラントは自社株とGM株の交換を呼びかけ、過半数を押さえてGMの経営権を奪取し返り咲きます。復帰したデュラントがまず行ったのは、シボレーをGMの傘下に収めつつも、実際はシボレーの製品ラインナップを当時のGMのメインに据え同社の旗艦ブランドとすること。ここら辺の経緯は、スティーブ・ジョブズのApple復帰やディズニー/ピクサーの買収劇を彷彿とさせ、歴史は繰り返すものだとつくづく実感します。
このデュラントの復帰以降、GMはシボレーを低価格大衆車ブランドと位置付け、「大衆車だけれど欧州風のデザインでT型フォードよりお洒落ですよ。色も黒以外が選べますよ」という、一般大衆に夢を見せるマーケティング戦略を取るようになります。加えて同社は1919年より現代では当たり前となった、「ローンを組んで月々支払いをしながら新車に乗る」という新たな支払い方法の「オートローン」を顧客に提案し、低所得者でも中級~高級車を買えるようにしました。これにより、「少ない稼ぎをローンに全突っ込みして分不相応な車に乗る」という、これまでの欧州中心の車文化にはいなかった新たなタイプの車バカが誕生することとなります。
ライバルである当時業界シェアNo.1だったフォードの代表ヘンリー・フォードI世は、顧客に借金を勧めて支払いに疲弊させるローン販売を強く拒んでいましたが、一度夢を見てしまったら、選択の楽しさを知ってしまったら後戻りできなくなるのが人間というもの。皮肉なことにこのオートローン導入が大当たりしGMは大躍進、遂にフォードからシェア1位の座を奪い去り、北米No.1の車メーカーとなります。
それから時が経ち、1953年にシボレーからアメリカ初の本格的スポーツカーのコルベットがリリースされ、1967年にカマロがリリースされたことは先の記事にも書いたとおり。面白いことに、シボレー立ち上げ時の「低価格大衆車と高級車の二極開発」に立ち返ると共に、「まずちょっと良いデザインの大衆車で一般大衆に夢を見せ、オートローンを組ませて中級~高級車を買わせる」というGMのマーケティング手法そのものをブランド内で完結させるような製品ラインナップとなりました。
こうした経緯を踏まえて改めて本作の出演車を振り返ると、もうこの起用自体がそのまんまGMのマーケティングだったのではないか?と思えてきます。まずGM車への興味の入り口としてコンパクトカーやハイブリッドカーを配し、もしよかったらオートローンでの大型高級SUVやスポーツカーの購入も検討してみて下さい、特にSUV2種は生産終了が決定したので今後レア車になりますから……とオススメするという。だとしたら相当練りに練られたプロダクト・プレイスメントだったと言えます。
そういえば初代アニメに「トラックス」って奴いたな
ここでシボレー・トラックスに関連した面白い”縁”があります。というのも、1985年に放送された初代アニメ「戦え!超ロボット生命体トランスフォーマー」に「トラックス」という名前のキャラクターがいるのです。奇しくも彼が変形するのはシボレー・コルベット・スティングレイC3型。ただしスペルはシボレー・トラックス(Trax)と異なり、足跡、痕跡、進路、追跡、探知、(車用語で)タイヤ痕などを意味する「Tracks」ですが。
もともと「トランスフォーマー」は、日本国内でタカラ(現タカラトミー)から販売されていた「ダイアクロン」や「ミクロチェンジ」シリーズといった変形機構を持つロボット玩具を、アメリカの玩具メーカーのハズブロが業務提携のもと新たな設定を加え「TRANSFORMERS」というタイトルで販売したのが始まりです。その事情と時代背景のため、キャラクターが変形する車の多くは日産(チェリーバネット、フェアレディZ)やトヨタ(ハイラックス)、ホンダ(シティ)といった日本車や、ランボルギーニ・カウンタック、ランチア・ストラトス、ポルシェ935といった80年代に人気のあった欧州のスポーツカーでしたが、その中に1人だけアメ車のスポーツカーに変形するキャラクターがいました。それがこのトラックスです。玩具や初代アニメが展開されていた1985年には既に4代目モデルのコルベットC4型が販売されていたのに、前世代のC3型が玩具に採用されていたということは、当時は子供も憧れるくらいC3型が”アメ車のスポーツカー”の代名詞的な存在となっていたのでしょう。
なお、初代アニメのトラックスは、本来の姿であるロボット時より車に変形している姿の方を好むナルシストで、夜の街へ繰り出しクラブ(当時はディスコ)にも入ってしまうチャラい目立ちたがり屋。車に変形した自分を美しいと思っており、ボディが傷付くことを嫌います。
そのため泥棒にタイヤを撃たれて街燈に衝突した時は「ボンネットが……俺の美しいボンネットが……」と伝説的な台詞を吐きました。そう、この「美しいボンネット」こそがコルベットシリーズ最大のヒットを記録したC3型の特長です。車体の半分を占めるロングノーズなボンネットはコーラの瓶のようにくびれた美しい曲線を描いており、その”コークボトル”シルエットに多くの人が魅了されてきました。
上記トラックスの台詞は初代アニメの迷台詞として知られていますが、考えてみればこれも実に宣伝的です。自分を美しいと思っているナルシストなキャラクターが実在の車の特長を具体的に言っているのだから。もしかしたら、実写版「トランスフォーマー」でGMが筆頭広告主になった背景には初代アニメのトラックスの存在があったのかもしれません。また、似た名前のシボレーの大衆車を実写映画に出すことで、初代アニメを見ていた世代にアニメのトラックスを想起させ、シボレーというブランド、次世代コルベット、大衆車のトラックスを結びつけ、より印象付けようとした意図も見えてきます。
人種差別表現で大炎上
ここまで練りに練ったプロダクト・プレイスメントを行ったにも関わらず、本作は大炎上騒動を巻き起こしました。そのため興行収入的には成功したものの、映画ファンからも批評家からもトランスフォーマーファンからも酷評され、Rotten Tomatoesにおける評価は前作の半分にも満たない「20%」という純然たるド腐れ映画に。第30回ゴールデンラズベリー賞では最低作品賞、最低監督賞、最低主演女優賞、最低脚本賞、最低スクリーンカップル賞など最多7部門にノミネートされ、そのうち最低作品賞、最低監督賞、最低脚本賞を受賞しました。本作で最も批判されたポイントはとにかく差別表現が酷過ぎるというもの。今でも「Transformers Revenge of the Fallen racism(もしくはracist)」あたりでググると「マイケル・ベイは差別主義者のクソ野郎だ!」的な記事が山のように出てきます。主な差別ポイントを箇条書きにすると以下の4点にまとまるのですが…
1.女性キャラがセクシー要員でしかない
2.女性型トランスフォーマーの個々の人格が無くされていた
3.異国、異文化、異民族のステレオタイプなイメージを恥ずかしげもなく出している
4.双子のスキッズ&マッドフラップがまんまミンストレル・ショーの黒人
確かに本作において、女性キャラは無駄に露出度の高い服を着ていてケツとパンツを大盤振る舞い、初代アニメではそれぞれ人格と個性を持ちデストロン(ディセプティコン)と堂々と渡り合っていたアーシー、クロミア、エリータ・ワンの女性型トランスフォーマーが3人で1つの人格を共有する無個性なキャラとなり、劇中のあちこちでこれまた無駄に描かなくてもよいステレオタイプをわざわざ差し込んで観客の笑いではなくいら立ちを煽り、とても一般常識や知識・教養のある大人が作ったとは思えないシーンの連続でした。ただ、これらは実写版「トランスフォーマー」シリーズを手掛ける以前からのマイケル・ベイ作品の特長です。差別云々、勘違い云々なんて先の記事にも書きましたが「パール・ハーバー」に比べたらまだマシな方です。
あと2に関しては、おそらく監督が純粋に女性型トランスフォーマーについて興味がないか、むしろ嫌いだったためにアッサリした扱いになった可能性があります。というか探したら監督がはっきりと「アーシーは嫌い」と発言している記事がありました。
MICHAEL BAY REVEALS 'TRANSFORMERS: REVENGE OF THE FALLEN' DEATH(MTV)
それより一番問題視され、大炎上の原因となったのは、4のスキッズ&マッドフラップです。前述のように彼らは一目で「こいつら絶対バカだな」と分かるようデザインされており、大きな目と耳と出っ歯(うちスキッズは金歯)というコミカルな顔で、実際に劇中で「文字を読むのが苦手」な文盲であることが明かされます。このキャラ設定が「ミンストレル・ショー(Minstrel Show)」で白人によって作られた「愚かな黒人」のステレオタイプだとアメリカ国内で大炎上に発展。NYタイムズなど主要新聞の映画評がこれらを指摘し本作を人種差別映画と酷評しました。ケースとしては「スター・ウォーズ エピソード1」のジャー・ジャー・ビンクスに似ています。
ミンストレル・ショーとは、、顔を黒く塗った(Blackface)白人によって演じられたダンスや音楽、寸劇などを交えたショーです。1830年代に始まり1910年頃には商業ビジネスとして消えましたが、地域コミュニティや学校での劇として1950年代までは存在していたとか。ミンストレル・ショーはスタンダップ・コメディ(日本でいう漫才や漫談)の先駆ともなりましたが、ステレオタイプ化された「愚かな黒人」を風刺した内容で、白人の黒人に対する「黒人はバカバカしいことばかり言ってるバカ」というイメージを固定化し、それによりアメリカ南部にてミンストレル・ショーの定番キャラ名をとった人種差別法「ジム・クロウ法」が制定されました。エンターテイメントの中で行われたステレオタイピングが現実の法律に影響を与え、それにより黒人差別が堂々とまかり通ってしまい、またステレオタイピングされた黒人のイメージが後の時代まで演劇や映画に受け継がれてしまったという、アメリカのエンターテイメント史における最大の暗部の一つです。
こうしたことは日本国内にいて、吹替版を観ていると全く気付くことができません。しかし改めて字幕版でオリジナルの声優の演技を聞くと、たしかに80年代~90年代頃までの映画やドラマにあった「常に弾丸のように喋りまくっている黒人」の演出という感じがします。あと大きな目・口・耳の表現はミンストレル・ショーのポスターやフライヤーに描かれた黒人のイラストの典型例であり、金歯もミンストレル・ショーの黒人キャラによくあった演出なのだとか。
以下の記事によれば、監督はスキッズ&マッドフラップを子供にも受け入れられるマンガ的キャラにしたかったそうで、台詞の大部分を声優のアドリブに任せ、台詞を先に収録し、それから3DCGモデリングを行って脚本には書かれていなかった特長的な顔にしたとあります。
No One Wants To Own Up To Racism In Transformers
これに関しては脚本家さえ「愚かなこと」と思っているそうですが、彼らの声を担当した声優(黒人)は「トランスフォーマーはそもそもエイリアンであり、インターネットで人間の文化を学習する」という設定を挙げ、話し方やボディランゲージに関してはたまたま彼らが気に入り学習した情報がステレオタイプな黒人的なものであったと擁護しています。
これらを鑑みると、スキッズとマッドフラップの”演技”に関しては「学習の結果」でギリギリセーフと思えますが、キャラ造型はアウトではないかという気がします。しかし監督に「人種差別をしている意識があったか」を考えると、おそらく監督はそこまで深く考えていないのではないか?そもそもミンストレル・ショー云々の歴史も知らないのではないか?だいたい真珠湾攻撃すらちゃんと知らないくらいだし、というか監督の頭の成長は中学2年生くらいで停止しており、その代わりセンスと美意識が異常に発達してしまったのだろうという気がします。もし深く考えていたらこんなに大爆発で大忙しな作品になるわけがないし、女性差別的な表現もないでしょう。おそらく差別的表現は差別ではなく中2バカ男子の頭にあるステレオタイプで、それをそのまま出してしまった結果こうした作品ばかりになるのではないかと思います。勿論、だからといって差別的表現をしてよい理由にはなりませんが、それなら一般常識と知識・教養のある周りのまともな大人が止めろという話です。プロデューサーとか映画会社の偉い人とかコンプライアンス担当とか。
余談ですが、この実写版「トランスフォーマー」シリーズは回を重ねるごとに監督のドSっぷりが露わになり、加えて車限定予言者っぷりまで発動して、オートボットの主要キャラクターがどんどん悲惨な死に方をし、彼らに割り当てられたGM車は現実でも生産終了となるという、虚構と現実の不思議なリンクが起こることになるのですが、皮肉にも本作で大炎上騒動を巻き起こしたスキッズ&マッドフラップに割り当てられたシボレー・ビートとシボレー・トラックスは今も生き延びています。トップキックもハマーH2もボルトも市場から消えたのに。前述のようにトラックスは韓国で高評価を得、2台とも中国、韓国、インドのアジア各国、ロシア、南米、オセアニアで売れ、世界戦略大衆車として活躍しています。
確かに本作は普通に「映画」として見たら難はありまくりでしょう。しかし、「映画という体裁の豪華なGMの広告」として見れば、監督以下製作陣の自動車愛と、それに裏打ちされた作り込みに唸らされます。広告で一番避けたいのは、誰の印象にも残らず何の話題にもならず忘れ去られること。そうなるくらいなら、たとえ大炎上だろうがラジー賞受賞だろうがバズって話題になった方がまだマシです。そう考えれば、マイケル・ベイ監督はGMから調達した広告費分の仕事はきっちりこなしたのではないかと思います。
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