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「迷惑をかけてもいいんだよ」は違う…と考えていたら言語学にたどり着いた【ヤマシタのおたより#29】

ここ数年、「迷惑をかけてもいいんだよ」というような言葉をよく聞く。

「日本では子どもに”人に迷惑をかけてはいけません”と教え、ある国では”みんな迷惑をかけているのだから許しなさい”と教える」
という文言も、目にする。

そしてこれに、共感が集まっている。

だからSNSなんかでも、さかんに投稿されているのだろう。
(あなたの言葉じゃないのに、何を得意げに投稿しているんだと思うこともあるけど)

ただ、私は、これは違うと思う。

迷惑は、かけちゃダメ、でしょう。


「人を頼っていい」なら、分かる。

みんな助け合って生きているのだから、他人を頼りなさい。
そして、誰かが困っていたら、手を差し伸べなさい。

これなら、分かる。
その通りだと思う。

でも、迷惑はかけちゃだめでしょう。

あからさまな迷惑、たとえば深夜の公園で騒ぐとかポイ捨てをするとか、そんなのはダメだと、多くの人が分かっていると思うけれど。

この言葉を盾にして、「ちょとくらい遅刻したっていいや」「仕事が間に合わなくても仕方ないか」と考える人も、割といるはずだ。

これは、かけてほしくない迷惑である。

難しいのが体調不良だけれど、きちんと管理をしていて体調を崩してしまったのなら、仕方がない。

というより、これはもはや、迷惑ではない。

ただ、たまに、他人を頼らずにいたがゆえに、体調を崩して迷惑をかけてしまう人がいる。

ー---------
一人でやらなきゃ!と思う

誰にも頼らず、ぎりぎりまで頑張ってしまう

体調が悪いなあと思っても、「大丈夫!」と乗り切ろうとする

結果、しっかりと倒れてしまう

引継ぎも十分にできず、締め切りが迫る中、他人が大変な思いをする

結果、迷惑になる
ー---------

こんな具合に。

早めに他人を頼れたら。
もっと言えば、誰かを頼れる関係性を築けていたら。

少しの異変を感じた段階で、仕事をシェアできる。
自分は体調を崩しやすいなと思うのなら、対策ができる。

そうすれば自分も早い段階で回復できるし、まわりもフォローがしやすい。

体調不良で迷惑をかけてしまう場合って、たいがいが
「なんでこんなになるまで言わないの?」
「情報どこ?」
「誰も分かる人いないじゃない!!」
となるときではないか。

役者やアーティストのように替えがきかない場合だって、同じだ。

まず前提として自己管理は必須だけれど、早めにまわりに頼っていれば、プランBやプランCを考えられるし、早期対応が可能になる。

たとえステージが中止になったり自分が降りたりしても、損害を最小限に抑えられる。


結局は、他人に頼れるかなのだ。

ほかにも様々なケースがあるが、
・自分を過信しないこと
・早めの対応ができるようにすること
・他人を頼る勇気を持つこと
・頼れるような関係性を築くこと

これに尽きると思う。

だから、「迷惑をかけてもいい」ではなく「他人を頼っていい」ではないのかな、と思うのだ。


少し角度を変えて考えてみよう。

「迷惑をかけてもいい」という考え方が、しつけや注意をしない理由になる場合があって、私はとても違和感を覚える。

たとえば、電車やバスで子どもが騒ぐとする。
私は、それ自体は仕方がないこともあると思う。
だけど、親がその子どもを放っておくのには違和感がある。

たとえ静かにならなかったとしても、親が多少申し訳なさそうだったり、子どもに声をかけていたら、「気にしなくていいよ!がんばれ!」と心でエールを送る。

「すみません」と言われたら、「全然!元気っていいこと!」なんて返したりする。

でも、「みんな子どものころはあったでしょ、迷惑かけてたでしょ」みたいな感じでいられると、「それはこちらが考えることであって、あなたがが思うのは違う…!」とつっこみたくなる。

もちろん、脳の機能や身体の個性で、静かにしようねと伝えるのが難しいお子さんもいると思う。でも、それはそれで、こちらだってなんとなくわかるのだ。そばにいる大人が「でー----ん」としていない限り、気分を害されることは、そうそうない。


こうやってあれやこれやと、色んなシーンで考えてみた結果、やっぱり、迷惑は、かけちゃダメだという私の考えは、変わらなかった。

先ほど少し書いた、遅刻だってそうだ。

遅刻に関しては思うことがたくさんあるのでまたの機会に詳しく書くが、みんなが遅刻をしまくっていたらどうなるか。

遅刻をよくする人は「どうにかなる」と思っていることが多いけれど、違う。
ちゃんと時間通りに来た人が、「どうにかしている」のだ。


間違っても、「みんな迷惑かけあってるし、仕方ないよな!」なんて開き直るなよ、といつも思う。


小さい子どもがいるパパママの仕事環境についても、少し考えてみよう。

まず、子どもが熱を出して早退するのは、けっして迷惑ではない。

普段からコミュニケーションをとって、情報をシェアして、自分が突然休んでも困らない仕組み作りをしておけば、頼ってもらって構わない。

どうぞどうぞ、早く保育園に迎えに行ってあげて!
あとは任せて!
てなもんである。


突然の早退が迷惑になるのは、「大丈夫です」「自分でできます」と言い続けて一人で進めて、本人がいないと困るような仕事をしているからだ。
ぎりぎりまで、一人で抱えるからだ。

「え、○○さん帰ったの?あの書類今日までなんだけど」
「プレゼンできるの○○さんしかいないじゃん、どうするの?」
「あの資料って○○さんしか持ってないんじゃない…?」
こうなったら、ハッキリ言って、迷惑になってしまう。

でも。
もっと他人を頼ることをしてれば。その関係性を築いていれば。
全然、迷惑にはならない。
多少の「ごめんね」「ありがとう」は必要だけど。

これを迷惑だと思うから、一人で抱えて、結果、本当の迷惑になってしまうのだ。
(反対に、「迷惑はかけあうもの」精神で、ありがとうもごめんなさいもなく、当然の権利でしょ顔でいたら…そりゃ反感買うわな)

つまり。
あらゆるケースで、「他人を頼ること」「頼れる関係性を築くこと」が大事だと思うのだ。

そして、やっぱり、「迷惑」は、かけちゃダメ。


ここで、少し考えてみた。
なんで、「迷惑をかけてもいい」なんて言葉になったのか、と。

いわゆる外国、インドだかアメリカだかフィンランドだか分からないけれど、そこでだって、迷惑は困るはずだ。

たしかに時間にルーズな国はあるけれど、それは文化というか、そもそも迷惑という認識ではないだろう。

どの国にいたって、迷惑というのは不快なはずだ。


…なんでだ?


本当に、迷惑をOKだと思う国が、多いのか?

…ほんとうに?

…。

…。


…ひらめいた!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!


訳だ。
これは、訳の問題ではないか?

これも今度詳しく書こうと思うけれど、日本語は本当に語彙が多いし、表現が豊かだ。
その分、場合によっては、意味が限定化されやすい。

もしかしたら…

冒頭で書いた
「日本では子どもに”人に迷惑をかけてはいけません”と教え、ある国では”みんな迷惑をかけているのだから許しなさい”と教える」
という文言。

これは、直訳したらたしかに「迷惑」なのかもしれない。
でも、ニュアンスを含めたら、どうだろう。

本当に、この日本語訳は、合っているのか…?

この文言に限らず、諸外国で言われている「迷惑をかけてもいい」というのは、本当に、日本語でドンピシャの「迷惑」を指すのか…?

他人を頼る、という訳が、適切ではないのか…?

そんなことを、最近、ぐるぐると、考えている。

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