大学生自転車日本一周旅五日目:山形駅から仙台市へ
本編
朝には雨はやんでいた。仙台への出発はどこにも問題はなかった。パンクにより福島から仙台までを二日に分けた影響で、仙台までの所要予定時間は4時間強ほどと短くなっていた。仙台についたのちに被災地まで行くことを考えても、この日は休める日であると認識していた。ただし、確実に山は越えないといけなかったため、疲労と水分に関しては不安もあった。
山形市街地を抜けると、徐々に登り道が姿を現してきた。昨日の景色が頭をよぎる。しかし、押してはたまるかと精一杯に漕ぐ。そうこうしているうちに、関沢インターチェンジというところまで来た。ここまでで、すでに結構登ってきていた。ちょうど横に高速道路が見えるし、ずっとこの高速の横を通りながら仙台まで行くんだろうなと思っていた。この時は。
しかし、インターチェンジを越えても、登りもなくトンネルを抜けていく高速とは裏腹に、こっちは登りのまま。しかも、完全な山道に入っていた。景色はあたり一面木だった。道も山道特有のグネグネタイプ。すぐにバテテしまったので、この山道は始まったばかりだけど押し始めた。
しばらく登ってみたが、一向に終わりが見えない。気が付いたら高速道路は遥か下を走っている。仙台に向かうはずなので、最終的には合流するはずなのに織姫彦星状態。グネグネ道のカーブの頂点には番号の振られた看板があったけど、その数字も大きくなり続けている。さらに、車1台しか通れないような道幅で、何十分も登っているのに5台すら通らない。これはおかしい。想像と違いすぎる。
その後も必死に登り続けていたが、さすがに終わりの見えない道のりに疲れてしまった。カーブで広く取られた白線の外側に自転車を止めて休憩をとる。押していると非常に暑い。しかも進むペースが遅いから体力が本当に奪われる。なんとか安全に止まれる場所があってよかった。
休憩中にこの山道の全貌を知りたくなって、電波が非常に弱い中スマホで調べてみた。すると、ここは笹谷峠という場所であることが分かった。標高は906mと記載されている。結構本格的な山登りかぁ、、、。普通に906mの山登りをするだけでも疲れるのに、自転車も押して、なおかつ登り終えても仙台まで漕がなきゃいけんのか。それも5㎏はくだらないだろうエナメルバックを肩にかけて。冷静にアホすぎる。傍から見たらただの変態。最近山登りで自転車押しすぎて、もはや自転車旅じゃ無くなっとる。まじで何やっとるんやろ?
ウィキペディアには「宮城県と山形県とを結ぶ最古の峠」って書いてある。こんなところで日本最古って言われてもなんも嬉しくないわ!峠マニアじゃないんやし。そいいう無駄に歴史があるのも旅らしくていいかもしれんけど。ちなみに、今よくよく調べたら日本最古っていうわけではないらしい。その勘違いも含めて、行き当たりばったり感が拭えない。
えげつない場所に足を踏み入れてしまったと分かったところで山登りが再開。おそらくこの時すでに山道の半分は越えていた。だが、自分が今何メートルの高さにいるのかすら分からず、周りの山を見ながらさすがにあの山の頂上までは登らないよな?とか予想しながら進んでいた。車の通行量がほんの若干増え(とは言っても2台が5台になったくらいの増え方)、必死に道の脇によっては、絶対「こんなとこ自転車で通るバカがいるかよ」って思われているんだろうなっていう誰も得しない想像をしていた。こんな場所で変な輩に絡まれたら終わるなとかも考えていた。だいたいこんな山運転してる奴は何の目的があるかが読めないから、ろくな奴じゃないと踏んでいた。
もちろん、全く誰にも絡まれずに済んで、終わりも見えてきていた。結局周りの山の山頂ぐらいまで登ったけど。何百年も前の人もこんな峠登ってたんだな、と勝手に今度は感慨深いモードに入っていた。
家がちらほら見え始め、休憩用なのか駐車スペースがあった。ここまで登ったんだからさぞ見晴らしが良いのだろうと、自転車を止めて写真を撮る。でも、周りが山すぎて、景色もクソもない。挙句の果てに、立ち止まっているせいでアブなどの虫が寄ってきてまあうっとうしい。というわけで一目散に出発。
ちなみに、こんな峠の上なのに、この駐車場には何台か車が止まっている。決してきれいではなく今現在乗られている雰囲気もない。この車は何でこんなところに停まってんの?もしかして、、、 人を殺して遺棄するために使ったのか?そんな、なかなかにイカれたことを想像しつつも、峠の最高点並びに宮城県との県境に到着。やっと下っていける。胸を躍らせながら、久しぶりに自転車にまたがった。
906m登ったということは906m下るということ。つまり、相当下りが続く。道路の傾斜自体もなかなかにきつい。さらに、前日の雨の影響なのか道路が濡れており、スリップの危険性も高い。というわけで、本当は、一気に下り切って超気持ちよかった、で終わりたいんだけど、慎重に行くことに。
実は昔、友達と自転車に乗って山道を下っていた時に、スピードが上がりすぎてカーブで曲がり切れず、崖から一気に転落した。という夢を見たことがある。ちなみにその夢の中では、親が乗っている車に転落して後部座席に座る格好になり、親が俺の話をしているのを盗み聞きするという、わけのわからないオチで終わった。
一度正夢を3日連続で見るという経験があったので、いつかこの夢も正夢になるんじゃないかとビビり散らかしていた。だから、この峠道をノンブレーキで下り降りるなんてことはできない。しかも、対抗車が来ないとは言い切れないので、その点でもスピードの出しすぎには注意をしなければならなかった。山の中だったので涼しかったという点では良い時間だったけど、それ以外は気持ち良くもなんともなく降りることになった。
峠道が終わると、広い道に出たのだが、幸いなことに下り基調のままであった。その下りは信号も急カーブもないからほとんどブレーキをかけずにぶっ飛ばしながら駆け下りた。大熱唱をしながら、最高の気分で。あの気持ち良さには何も勝てない。 やっと苦労が報われた。 一気に下りきって、峠の登りで押してしまっていた到着時間を巻いていたら、少しずつ街の香りがしてきた。
しかし、簡単には終わらなかった。仙台市に入るまでに仙台城を通過するルートとなっていたのだが、そこに行くまでに意外と登る。しかも、仙台市内に入ったこともあって交通量は一気に増えた。なのに歩道はあったりなかったりとツンデレ状態。ちょー危険道に入ってしまったー!だが気付いた時にはもう遅い。必死の思いでその道をこぎ進め(押したいけど押せない)、まじで運転手に文句を言われていることに勘付きながらなんとか仙台城へ。あそこらへん坂多すぎな。だが、ここまでくればこっちのもん。
仙台城跡を軽く巡った後は仙台駅の近くに行き、15時までランチを営業している牛タンの店へ。14時までだったら食べられなかったから危なかった。もともとタンが好きだったということもあり、その味を堪能。定食についてくるテールスープもめちゃめちゃおいしかった。あの骨にこびりついてるお肉は普通食べるものなのかは知らないが、店内にいる人とはどうせ今回切りの出会いだろうしと、周りの目を気にせずにかぶりついた。いやー、うまかった。
食べ方とか作法はもちろん大事なんだろうけど、それを知らずに飛び込む力も重要だなと独り言ちていた。人の目を気にしちゃうタイプにとっては大きな成長。この旅自体もそうだけど、普通の人じゃやらないことに手を出すには、無知な状態は逆に強みだと痛感。
前日のビーフカツといい、この日の牛タンといいおいしいランチを堪能できたんだけど、これもあのパンクがなかったら味わえていなかったんだと思うと、あのパンクも悪くなかったなんて思ったり。パンクしてなかったらルートと時間の関係でどっちも食べていない。そう思うと、死にそうな思いはしたけれど、あのパンクもプレゼントだったと思える。
さて、仙台を味わったところで、次の目的地へ。
この旅を始める前から、2011年の東日本大震災からは10年以上経ってしまったけど、実際にその被災地を自分の目で見てみたいと思っていた。理由としては、実際に被災地を見たことがないことに違和感があったのと、その状態で意見を持つのもおこがましいと思っていたから。何も知らないのに黙とうをするのも、個人的にはすっきりしない部分があった。
しかし、行くのはいいものの、疲労や時間の関係から、できる限り山を越えずに行ける場所に絞るしかなく、仙台市の東にある多賀城市ぐらいしか候補がなかった。というわけで、多賀城市自体に深い理由はないけど、その海沿いまで行ってみることにした。
多賀城市に入るあたりで「ここから過去の津波浸水区間」の文字が。今は津波の面影すらなかったが、記憶には深く刻まれているんだとその看板を見て再確認した。
多賀城市からはさらに海沿いに行くために、立ち入ることのできる浜があった七ヶ浜まで行くことに。ここは海がすぐそばにあるせいか、震災時の津波の高さを示すラインが建物などに示されていたりする。4,5メートルの高さではなかったけれど、人一人くらいは飲み込める高さだった。ここでも忘れない努力を見ることが出来た。
しかし、いざ七ヶ浜の海岸に足を踏み入れてみると、そこには他の都道府県の浜とは何も変わらないであろう景色が広がっていた。ビーチバレーに興じる大学生らしき男女グループ。三人ほどで座って話をする女性たち。そこに重たい空気も震災を思い出させるショッキングな光景も当たり前かもしれないがなく、厳かな空気間で足を踏み入れているのは自分だけで、そりゃそうだよなってなった。結局日本全国どこに居たって、そこでは平等な今という時間しか流れていない。日ごろ自分の住んでいる地域で今を満喫しているように、たとえそこが被災地であってもそこに住んでいる人は今を満喫している。そこに住んでいる人たちは苦しい思いをし続けているという勘違いはよくないなと痛感した。もちろん、今でも復興が進まず苦しい生活を余儀なくされていない人や、震災以前の生活を取り戻すことができていない人も場所によってはいるようであるし、あくまで被災地の一部のうちの更に一部しか感じることができていないが、やはり、何も知らずに被災地がどうとか震災を忘れてはいけないなどと理想論や規範論を声高に述べることには違和感を強く感じた。
ちなみに、被災地に近づけば近づくほど心が落ち着いていくのって不思議だなと思った。ここまで5日間のしんどい道のりにイライラしていた時もあったのに、仙台から被災地に近付いてくるにつれて、そんなことは取るに足らないことのように思えた。その気持ちこそが重要だったりするのかもね。
こんなことを考えながら七ヶ浜を後にし、仙台までの道のりを戻っていった。時刻は6時を超え、思った以上に漕いでしまっていた。今日は休みだと思っていたのに、むしろ疲れたほど。明日は盛岡までの約180㎞行こうかと思っていたのに、とんだ誤算だ。
ルート
基本的には国道286号線を通って仙台市まで。途中で286号線から離れて仙台城跡を経由し仙台駅に到着。その後、仙台駅から七ヶ浜の湊浜緑地公園間を往復。最初は国道45号線、途中からは道の変更があるけど、ここはマップで調べてみてほしい。
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