大学生自転車日本一周旅を振り返って⑭:綺麗なものへの過程はいつだって汚い
以前自転車で日本一周をした時の振り返りシリーズ。今回は、綺麗で整っているものでも、そこに至るまでは非常に汚い道のりを経由している、ということについて書いていく。
今回の旅ではいくつかの工業地帯を通った。その中でも、香川県から愛媛県あたりでの工場が並んでいる地域を通った時のことが印象深い。
工場が密集しているあたりに近づいてくると、大型のトラックの交通量は格段に増えるとともに、なんとも言えない強い匂いが充満してきた。これまでも工場のある地域を通ってきたし、多少の匂いなら全然耐えることができる。だが、ここは少し格が違う。正直息をしたくはない。だが、息はしなければならない。一瞬にして空気を吸っては、ちょぼちょぼと吐き出していく作業を繰り返す。ああ、こんなところでは自分は働けないな。まともに息なんてできないのだから。ここで働いている人はすごいな。何とか大学まで出てこんなところで働かされることになったら、俺だったら逃げ出したくなる。中卒とか高卒だったら全然受け入れられるんだけど。でも、ここで一生懸命働いてくれる人がいるから成り立っていることが、この世の中にはいっぱいあるのだろう。
工場ということは、ここでは何かはわからないが部品が造られているのだろう。もしかしたら、今使っているあの製品が、ここで造られているのかもしれない。このデザインいいな!そう思った商品だって、スタイリッシュで美しいと思った商品だって、綺麗で映える商品だって、ここで造られているのかもしれない。こんなに臭いところで。
もしかしたら、めっちゃ汚い液につかていたかもしれないし、めちゃめちゃ臭かったかもしれない。汚れた手袋で触られていたのかもしれない。悪い想像はいくらでも広げることができる。あんなに好みだった物だって、こんな感じの工場で作られたのかもしれないのか。
どれだけ綺麗な商品だって、臭いとは対極にあるような商品だって、全て工場を通って世に出ている。全ての工場が汚く臭いとは思わないし思えないが、匂いも良くピカピカでスタイリッシュな工場があるとも思えない。最終的な見た目の綺麗さと、その完成途中の環境の綺麗さは必ずしも一致しない。そもそも、完成に至るまでの商品そのものが綺麗かどうかもわからない。
シンプルな思考はシンプルな過程を通っては生まれてこないらしい。どれだけイケメンや美人と持て囃されている人だって、くっさいおならやうんこをする。結果と過程やその内状は必ずしも一致しないのだ。
とても綺麗なサクセスストーリーだって、その過程も綺麗であるとはかぎらない。むしろ、泥臭いほうがマジョリティなんじゃないか。
今回の旅も日本一周と聞くと、それは非常に美しい体裁を持つことになる。住んでいるところの隣の一県を回る旅なんかより、よっぽどインパクトが強い。しかも一周となると(まあ実際は北海道と沖縄はスルーしているけど)より綺麗な形となる。だが、それを達成するための道のりは決して綺麗なものではなかった。毎日のように降りかかる雨、交通量は多いのに歩道のない道、険しい山道、度重なるパンク、景色を楽しむ余裕もない切り詰まった時間。日本一周と聞けば聞こえはいいものの、その内情は明るくはない。かかった時間を移動に費やしているわけだし。
また、夢や目標を叶える、ということにも同じことが言えるかもしれない。最近は親ガチャという言葉がよく使われたり、才能という言葉が言い訳の材料になっていたりする。だけど、いいなと憧れている人やその才能だって、最初から輝いていたわけではないだろう。時間をかけて磨き続けた結果として今があるのだと思う。磨き続ける過程は、そう美しい物ではない。むしろ泥臭いはずだ。その時間が苦しかったかどうかは人に依るとは思うが、今ほどの活躍はしていないだろうし、今ほど陽の目も浴びていない。今現在の結果は美しいものかもしれないが、その家庭は決して美しいとは限らない。今才能溢れるパフォーマンスをしていても、始めた当初もその才能を感じさせていたかはわからない。現状の日陰を受け入れる。日陰の中を歩かないと、日向へは移動できない。
それにしても、とにかくここは臭すぎる。早く抜け出せないものか。
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