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ミトコンドリアDNA Z民は『別冊日経サイエンス』をこう読んだ

遺伝的ルーツに興味を持って早17年。本は図書館派の私が『別冊日経サイエンス ゲノムで解き明かす人類史』を購入し最新の遺伝子に関する情報を吸収しました!今月(執筆時2024年6月)はもうお金を使わないと決めていたのにこの決断はすごいことです。吸収した知識は自分の中でこなして共有しなければもったいないですよね?

そこで、別冊日経サイエンス(以下、雑誌)を読んで面白いと思った箇所をシェアしていきます。人間の移動だけではなく石の移動に関する情報も書いてあったので、石拾い専門雑誌の名にかけて石情報もお伝えしていきますよ!


mtDNAがZの私は母系がバリバリの渡来人です。遺伝子の遍歴はZ5 - Z - CZ - M8 - M - L3 - L。私の母親たちはアフリカから長い旅路を続けてきました。そこで気になるのは、母系の祖先はいつ日本に来たかということです。今回雑誌を読んでいて母系は弥生時代の渡来人ではなさそうだと思いました。

と言うのも、雑誌の中で紹介されていた青谷上寺地遺跡(鳥取県付近)のmtDNA解析で判明した13種類のハプログループの中にZやCZ、M8といった私のパブログループが入っていなかったのです。こちらは13種類のハプログループのうち12種類が渡来系という弥生後期の遺跡です。その中に入っていないということはZ民は弥生時代より後に日本に来たのかもしれません。ちなみに、私のハプログループは今回雑誌には一言も言及されていませんでした。少数ハプロの悲しみ。

mtDNAは母親から伝わる遺伝子であることを考えると、弥生後期以降に時々日本にやって来ていた大陸側の大使の子孫とかではないですよね。そういうのは男性ですから。この時代の女性が他国にやってくるというのは集団移住の可能性が高いと思います。もし単発でぽつぽつ来たとしても、日本の人口のおよそ3%(M8系)を占める程の規模になることは実際あり得るでしょうか?1億2000万人の3%は相当な数です。360万人。

雑誌には大陸からの渡来は何度も行われていたと書かれていたのでそこが肝になると思いました。M8系がたまたま青谷上寺地遺跡から出てこなかった可能性もあるので(何せ絶対数が少ないですから)何とも言えませんが、私の民族構成が99%日本人であることを考えると近代よりは前、とりわけ鎖国よりは前にやってきたのではないかと推測しています。鎖国は1639年頃からですから、大体弥生後期から江戸時代早期の間に母系の祖先が大陸から日本に来た可能性があります。うーん、千年以上の期間ある。

今回とても興味深いと思ったのは、日本における渡来人に近い遺伝子を持つ人たちがどの地域に多くいるのかという地図です。写真をパッと載せられたら早いのですが無断転載禁止なので頑張って文章にします。

渡来系が多い地域は四国、近畿、中部、北陸です。日本全体で見ると真ん中らへん、本州で見ると西寄りですね。遺伝子がもっとも渡来人に近いのが滋賀県だそうです。意外!私のルーツの可能性が高いと思われる愛知県と岐阜県は中部の中でもそれほど遺伝子的に渡来人に近いわけではなさそうですが、東北や九州に比べると両県の渡来人に近い遺伝子を持つ人の比率は高いので、やっぱりルーツはこの辺りにあるのではないかという気にさせられます。

面白いのは渡来人が入ってくる場所である北九州には渡来系の遺伝子の割合が少ないことです。渡来人は渡ったらすぐに東に移動したのでしょうか?真相は研究が待たれますが、渡来人は日本の真ん中らへんで子孫を増やしたのは事実なようです。ただ、47都道府県の遺伝子検査は現代人で行われたものであり、雑誌にも書いてありますが朝鮮半島の人々は弥生時代よりもずっと後の時代に近畿地方に多く住み始めた歴史があるので、この地図は弥生時代の渡来人の移動の経路を反映しているわけではないです。何せ北海道の現代人の遺伝子検査にアイヌの人たちがいないのですから。

私は父系の核DNAを調べられないので父系に関しては何とも言えません。ただ、私の中の縄文人と一致する遺伝子型数は平均より2%多いらしいので父系が縄文系である可能性は高いと思っています。雑誌にも日本の父系は縄文系が多いと書かれていました。渡来系と縄文系の交わりは平和裏に行われていたようで良かったです。何にせよ、私は渡来系と縄文系のミックスですね。

そして、人が動けば石も動きます。そう、これは石拾い専門雑誌。我々は今まで石を移動させてきた側の者たちです。雑誌では「管玉」という宝飾品を例にとっています。先ほども出た青谷上寺地遺跡から管玉が出土しており、管玉は碧玉と呼ばれる石からできています。この碧玉は北陸産、管玉を加工する石鋸は四国産だそうです。また各種石器用として四国からサヌカイトも青谷上寺地遺跡に運び込まれていたとのこと。サヌカイトはとても硬い石で叩くと甲高いきれいな音を出します。切り口はウェハースのようにたくさんの層になっています。一度溶かそうと試みましたがすぐに割れてしまいました。硬い石はやはり割れますね。

人の遺伝子と石の移動に何の関係があるのかと言うと、雑誌によると「石の移動=交易ネットワーク」であり、遺伝子の解析を受けてより具体的な当時の交易ネットワークを語れるようになったとのことです。我々石を拾う者も数千年後の誰かに「ここにこの石があるということはここには石の収集家がいたことを意味する」などと分析される対象になるでしょう。少なくとも私の家にはサヌカイトがあるのですから。四国と北海道を結ぶ交易ネットワークの証として我がサヌカイトにはこの地にずっと残っていてほしいですね。

我がサヌカイト
Amazonという現代の交易ネットワークが四国の石を北海道へと運んだ

四国は地質学的に興味深い土地で、この地にはたくさんの独特な石があります。例えば、豊島石、庵治石など。また、おにぎり型の特徴的な形をした山がいくつもあります。火山がないのも特徴ですね。渡来系が多く住んでいる四国もいつか旅したいです。



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