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英日翻訳家。書きたい文章を書きたいように綴らせていただきます。内容はフィクションであり…

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英日翻訳家。書きたい文章を書きたいように綴らせていただきます。内容はフィクションであり、実生活の反映ではございません。

最近の記事

【映画】「6才のボクが、大人になるまで。」で思うこと(ネタバレあり)

この映画って、主人公はこの男の子だけど、テーマは「男をダメにする女」だと思う。いるよね、そういう人。この映画では主人公の母親がそれ。 決してダメな女じゃない。子育てしながら大学に通って勉強して大学で教職についちゃうような人。性格も真面目だし、家庭のこともちゃんとする。だけど、なぜか結婚する男、付き合う男は酒に溺れていく。そして、別れるとまともになったりする。 ちゃんとしてる、というよりできる人なのになぜか? それは、「自分、自分」だから。エゴが強いというのだろうか。しかし

    • カミングアウトデーって、「カミングアウト」って言葉や行為がなくなることを目指してんじゃないのかなと思うんだよな。

      • 癌に勝つ

        人生は何があるかわからない。 誰もが分かっていることだと思う。 なのになぜ、癌になると、 「まさか私が」 というのだろうか?覚悟、足りなくない? 人生は何があるか分からないのだ。 宝くじで5億円当たることもあるかもしれないし、癌になるかもしれないし、戦争に行かなくてはいけなるかもしれない。 そこそこいいこともそこそこ悪いこともあって、そこそこ長生きしてそこそこ幸せに死にますよ、なんていう保証はない。 え、ないですよね?ありましたっけ? 「まさか私が」と言う人はそれまでの人生

        • 間違いを犯した女の話 #9

          「ごめんなさい。 誰を恨んでも責めてもいません。ただ、辛くなったのです。 人の死を望み、自分を殺し、心で人を殺してこの数年を過ごしました。 それに疲れてしまったのです。 自分がどうしたいのかも、もう分からなくなってしまいました。子供や親や大切な人のためだけに私は自分を殺していました。みなさんが悪いわけではけっしてありません。私が悪いのです。私は自分を大事にしませんでした。自分の声に、本当に望むことに耳を傾けなかった。たった一つのその間違いが間違いを呼び、とうとう引き返せないと

        【映画】「6才のボクが、大人になるまで。」で思うこと(ネタバレあり)

          間違いを犯した女の話 #8

          間違いを犯した女の話 #8

          間違いを犯した女の話 #7

          子供は10歳になる。大人として認められるまであと8年。 やはり少なくともそれまでは親子3人が生活をともにするべきなのだろうと漠然と考えてはきた。しかし、それも女の中で限界を見せ始めている。 この生活を誰もが「しょうがない」と納得して終わらせるには、 夫 父母 自分 のいずれかが死ぬしかない。 女はそう思った。もちろん、本当に死んでほしいと思っているわけではない。誰かや自分自身をも傷付けようなどという気は寸分たりともなかった。一つの条件として、という意味である。誰に話しても耳

          間違いを犯した女の話 #7

          間違いを犯した女の話 #6

          電話で母は、まずは、女が自宅へ帰ってからの心境の変化があったか、とか今どういった心境なのかと聞いてきた。そういった質問で女の心境がしっかりと把握したことに満足すると、今度はどうして結婚を解消したいという女の希望が間違った考えであるのかを滔々と語った。 子供のためには両親が必用である、父が悲しむ、母が悲しい、胸を痛める者がたくさんいるのだと。第一、一度結婚したなら死ぬまでそれを維持することが人としての道理である。それには忍耐が必用かもしれない。しかし、辛抱するということが、人生

          間違いを犯した女の話 #6

          間違いを犯した女の話 #5

          女が大事にしていた猫が死んだ。 とはいっても、女の飼い猫ではない。猫を飼うことは夫から禁止されていた。不吉であるという理由からである。女は、ある日ふらっと現れた黒猫に餌をやり始めた。猫は次の日もまた現れた。それを続けるうちに猫は女になつくようになった。平日の夕暮れ時に裏庭で女の膝に抱かれることもあった。女が子供を呼んで、こっそり猫と遊ぶこともあった。猫(と子供)との時間は女の唯一と言ってもいいほどの癒やしになった。 話を戻そう。 その日の朝早く、裏庭へ出ると、黒猫は倒れて

          間違いを犯した女の話 #5

          間違いを犯した女の話 #4

          女は家に帰って驚いた。 夫が家中の鏡という鏡をすべて捨てていた。女が驚いて夫に理由を尋ねると、夫は、不要だからだと言う。鏡など、所詮自分を写すしか使いみちがない。家族がいるのだ。身なりが乱れているならお互いに指摘すればいい。家族が見なければ街の人々が注意してくれるだろう。みんなとてもいい人だ。自分のそばにいる人はまさに自分を写す鏡なのだ。 女は、それには一部は、「ある意味」賛成ではあったが、その一部に関してさえも何か大きな違和感を覚えた。ただ、何がどうとは言えなかった。だか

          間違いを犯した女の話 #4

          間違いを犯した女の話 #3

          女は、もう我慢ならないと思った。こんな人生は不幸だと思った。 そこで、もう結婚というものを解消しようと、女の父と母にそれを申し出た。女が育った村では結婚というものは親の承諾がなければできなかったし、その解消もまた同じだった。 女の申し出に対して、女の母は言った。 「なんてことを言うのでしょう! そんな勝手なことが許されるはずがありません。この村に結婚をしていない者はおろか、結婚を解消した者はいないのですよ。なぜ、家の名を汚すようなことができるのでしょう。そんなことになれば私

          間違いを犯した女の話 #3

          間違いを犯した女の話 #2

          女は間違いを犯した。 間違った相手と結婚したのだ。 女と女の夫は一軒家に住んだ。こじんまりとして控え目で、だけど多少は気の利いた家だった。 夫は居間の壁を緑に塗った。緑が好きなのだ。女は空色に塗りたいと言った。夫は許さなかった。女は、毎日好きでもない緑の壁を見て過ごすことになった。 夫は壁に絵を飾りもした。頭にリボンを付けた豚が男の膝に抱かれている絵だった。おかしな絵だ、と女は思った。実際、夫にそう言った。夫はものすごい剣幕で怒った。これは、とても有名な画家が書いた絵な

          間違いを犯した女の話 #2

          間違いを犯した女の話 #1

          女は間違いを犯した。 結婚したのだ。 親は人間というのは結婚する生き物だと思っていた。世間は結婚したものを勝者だと囃し立てた。その親と世間に育てられて女は結婚したくなった。 そこで間違いを犯してしまったというわけだ。 それがどうしてそんなに間違いなのかは話せば長くなる。つまり、これから長い話をする。 まず、女は結婚生活に向いていなかった。いつ食事をして、いつ眠り、いつ目覚め、いつ家を出て、いつ家に帰るのか、そんなくだらないことを話の題材にするなんておかしなことに思えた

          間違いを犯した女の話 #1

          みんな何かを人生をかけて求めている

          と、思うのです。 つまり、それは自分にとって大切なもの。 家庭とか、 快楽とか、 仕事での成功とか、 お金とか、 自分にとっての幸せといえるものを。 私にとってそれは「自由」。 元来が自分と向き合うということをしない私は、最近になってやっとこれまでずっと不自由なことに文句を言ってきたことに気づいた。 それは裏を返せば自由が大切ってこと。 校則も、職場の雰囲気を気にしながら働くことも、日本独特の監視し合う風潮も同調圧力もずっと嫌いだったし嫌いだ。本当は、正直に言えば、子育

          みんな何かを人生をかけて求めている

          さて、そろそろ書こうかな。noteを活用しようかな。

          さて、そろそろ書こうかな。noteを活用しようかな。

          むつかしい日本語

          割に言葉尻とか言い回しとか「てにおは」とか細かいところが気になる方で。 そういうところに本心が出るんじゃないかと思う質で。 (だって「神は細部に宿る」って言うじゃないですか。) 「皆まで言うな」っていうのはやっぱり細部から伝わるからっていう意味もあるのだと思う。それはある意味よそ者をあぶり出す言語でもあると思うけど、日本語はあれこれ想像を掻き立てる(言い方もできる)言語だと思っています。だからこそ俳句とか和歌とか短いフレーズでたくさんの意味や気持ちや風情を醸し出せるんで

          むつかしい日本語

          矛盾する話。

          正論・常識・倫理みたいな、いわゆる「正しいこと」を常にしていたい、逆を言えば「間違ったことは絶対にしたくない」っていう人いますよね。 周りを見渡せば一人や二人はいると思う。 苦手なんだな〜。 そりゃ、人に迷惑をかけちゃいけないと思うし、しないようにしていますよ。決まりも守らないといけないよね。酔っ払って自転車に乗るとかも危ないから絶対しちゃダメだと思うし、しないです。 私が苦手な「正しいこと」って、「それ正しいかもしれないけど価値感とか状況によるよ?」って言う話。 「でき

          矛盾する話。