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通う【かわいい(不登校の)子には旅をさせよ(ママにもね)】

中学生の息子は学校に行っておりませんので、中学校の担任の先生より定期的に連絡をいただきます。息子はN中等部にも所属してオンラインで授業を受けておりその報告書がもともと通っていた公立中学にも行っているので、電話の内容は息子の様子についてというよりは、学校で行った健康診断の用紙(それを学校医に持っていくと検診が受けられる)だとか、進路希望調査票だとかの書類を取りに来てくださいというものです。

中学の先生はお忙しいのに本当にお手数をおかけしており申し訳ないです。だいたい月に1回か2回はこういう書類があり、私か主人が中学へ直接取りに行っています。そんな中で気づきました。「学校通うの私かい!(笑)」

別に文句とかでは全然ないんです。先生にもお手数、ご迷惑をかけているし、渡さないといけない書類があるのは当然だし、子供がそれを取りに行けないなら親が行くのは当然です。そりゃそうなります。

ただ、私が学校に通ってるという事実がなんだか滑稽だったのです。まさかこの歳で中学に通うとは。それもなんだか面白い。

私も学校は嫌いでした(詳しくは「不登校は遺伝するのか」)。いい思い出も、学校というものに対するいい印象もありません。それでも私は一応通いました。それを、この歳でまた通う(毎日ではないにしても)のは、正直あまりいい気はしませんが、何か意味があるのかなと思います。何かここから考えなければならない、学ばなければならないことがあるよと誰かに言われているような気がします。

考えてみれば、私は「学校」というものを、高校卒業と同時に過去のものとして人生から葬ったようなところがあります(大学は別格)。小学校、いや、保育園からずっと何かに縛られ、管理され、修行をさせられていて、高校を卒業して、「やっと終わった。もうおしまい。もう自由だ。もうあんな辛い思いはしたくないし、しなくていいんだ!」と開放された感覚があったのです。でも、もしかしたら、「学校」からもう少し考えるべきことが、学ぶべきことがあるのかもしれません。まだそれが何かはピンと来ていませんが、ちょっと向き合って考えてみなければならないのかも。何事も向き合うというのは大切ですよね。この歳だから当時は気付けなかったことがあるのかもしれません。

いやぁ、でも正直な話、面倒(笑)。


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