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不登校は遺伝するのか?【かわいい(不登校の)子には旅をさせよ(ママにもね)】

前回の記事で中3の息子が不登校になったという話をしました。その予兆は息子が小学生の頃からあったので、不登校という事実を受け入れるまではそれほど時間はかからなかったように思います。
でも、もう一つ理由があるとすれば、それは、私も子供の頃不登校気味であったからかもしれません。

正確には不登校ではありませんでした。休みがち、学校に行くのが嫌、早く帰りたい、どうやって休むか早退するかを常に考えている、とにかく毎日泣いている(1日中毎日泣いているとどうなるか知っていますか? 目の周りが涙負けみたいになって、傷になります)小学生でした。ですが、30年も昔の話です。当時はとにかく学校に行かないのは「サボり」であり、絶対にしてはいけないことでしたし、学校に行かない子は「ちょっとおかしい子」でもありました。大人たちは「首根っこを捕まえて引きずってでも学校に行かせる」という方針を取っていたと思います。言い訳も理由も聞いてはくれませんでした。聞かれたところで、小学1年生の私にはその理由をうまく説明することはできなたかったと思います。

もちろん、文句を言うつもりはありません。それが当時のスタンダードでしたから。私が当時親であっても同じことをしたかもしれません。おそらくしたでしょう。

しかし、「味方はいない」というのが当時の私の気持ちだったことは事実です。大人がそんな風なので、他の生徒も「学校をサボる悪いヤツ」という目で見ていました。

当時、たまたまニュースで見た、小児がん病棟の子供が羨ましいと思えたものです。不謹慎ですね。でも、それは正直な気持ちでした。学校に行かず、たまに調子がよければ病棟で勉強もできるなら、私もそれがいいな、と素直に思ったのです。親に言うと叱られました。当然です。ですが、ではなぜそんなことを思うのでしょうか? それを聞いてくれる人は誰もいませんでした。(その数十年後、本当に癌になりましたが、「やっぱり小学校より癌の闘病生活のほうがマシだ」というのが正直な感想です)

小学1年生の時の担任の先生は数年後に定年を控えた女性の先生でした。先生は、左利きを忌み嫌うタイプの先生で、左利きの子は矯正を強いられていたわけですが、その理由として先生がおっしゃったのが、「中学になったら英語を勉強するのよ? 英語は左から右へ書きます。左手でどうやって書くの?」です。矯正することもそうですが、子供ながらにもこの理論は全く筋が通っていないことだけはわかりました。その筋の通らなさが怖くてしょうがなかったのです。先生は絶対ですから。どんなに筋が通らなくても言うことを聞かなければなりません。その不自由さ、管理されていることが本当に恐ろしかったのです。

おそらく息子とは学校へ行きたくない理由は違うとは思います。ですが、「行きたくないと思ってしまう」という思考は同じかなと思います。性格も似ている部分が多く、話が合うことも多いので遺伝かなと思います。

正直、息子が学校に行かないということに対し、怒ったこともありますし、無理矢理家から出したこともありました。私は中学に入ることになると現状への諦めもありましたし、「どうやら、ちゃんと学校に行って、大学まで行ったほうがいいらしい」ということに気づき始め、好きな人もでき(現金!笑)、休まず通うようになりました。だからこそ、中学になってまで学校に行くことを拒む息子に腹が立ったのかもしれません。

ですが、私の子供の頃の時代ならいざ知らず、この令和の時代になってまで同じ感覚でなければならないのか? いや、むしろ変わらなければいけないのでは? という考えに至り、「どうせなら息子が不登校というこの状況を利用してやろうじゃないか!」と考えついたのです。
具体的に何を思いつたかは、次回の記事で!


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