教えてくれない 【かわいい(不登校の)子には旅をさせよ(ママにもね)】
不登校の息子とベトナム旅行に来て早いもので4週間が経とうとしています。いよいよ旅も終盤です。
ベトナムに来て知ったのですが、どうやら、ベトナムのアパートにはお湯を出すためのスイッチがついているようなのです。このスイッチはバスルームごとについていて、それをオンにしないことにはお湯がでません。
チェックイン時に特に説明はありませんでした。最初に泊まったハノイのアパートでこの存在に気づいたのですが、最初の2、3日は知らないのでスイッチを入れずに使用しており、「東南アジアではお湯が出ないことはよくあるし、ここもそうなのかも」と思ったのですが、流石にちょっとしんどくて(フロントに人はいるけれどなぜか聞く気になれなかった)、もういっそ宿を変えてやろうかと息子と相談していた矢先、「そう言えば、何のスイッチか分からないスイッチあったよね? これじゃない?」と自力で発見したのでした(息子もよく我慢しました。わかった瞬間、2人、歓喜の嵐(笑))。
今まで2個所のアパートに泊まりましたが、このスイッチについての説明はありませんでした。現地の人には当たり前だからなのかもしれません。でも、こういうことって割とありますよね。今回はお湯のスイッチという些細なことですが、もっと重要なことで誰も教えてくれないということは実は結構ある。
例えば、子育ても得手不得手があるよという話は誰もしません。何事も自分に向いている、向いていないがあると思うのです。子育ても例外ではありません。けれど、子供を設ける前に「子育ては自分に向いていることか? 苦手なことじゃないか?」と考える人は何人いるでしょうか? ですが、考えるべきか?、と言われればそうでもないと思います。子孫繁栄のためには子供は産み、育てたほうがいいし、第一産まれたらもう育てるしかありません。「私は子育てに向いていないのでやめます」とは絶対に言えないのです。宿みたいに、途中でほっぽり出して子供のいない人生にチェンジとはいきません。何事もやってみないと分からない。けれど、子育てはやってみてダメだからやめますはナシ。だからこそ、誰も向き不向きの話をしないのかもしれません。やるしかない。
もちろん、いくら向いていなかったとしても、モラルと良心と子供への愛情で、途中でほっぽり出すことはなかなかできることではありません。よっぽどの事情がない限りそんなことをする親はいないでしょう。
ただ、得意な人よりは辛いということはあるかもしれません。ですが、人によって何が辛いかは違うので人と比べてもしょうがないこと。辛かろうがなんだろうが、子供がいるというのが自分の人生でそこから学ぶべきことがあるから子供がいるのだと、私は考えています。子供の、他人の人生の結構大きな部分を一時期であれ背負うというのは大変な責任で、正直、私が得意なことではありませんが、その分忍耐や他人、他人の人生を思い遣る気持ち、自由の尊さを学ぶのかもしれません。
しかし、お湯のスイッチのことは教えてほしかった。お陰で、お湯のありがたみと、今まではシャワーなんて暑ければ水でもいいと思っていたけれど、案外お湯じゃないと辛いのだという自分の貧弱さみたいなものも知れたわけですが。そういう気付きや学びが人生には必要なのかもしれません。
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