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先生からも馬鹿にされた落ちこぼれ高校生が社会人一年目年収1000万円になるまでの話

タイトルにあるように私は現在社会人一年目で年収1000万円です。円安の影響もありますが家賃が月9万以下なので結構貯金できます。そんなことはどうでもいいのですが、数年前の高校時代の自分は数年後の自分がそんなにもパワーアップしていることは予想にもしなかったと思います。

誰でも良い指導者と自分の努力で変われる事を強調したいです。
前置きはここまでで私の人生逆転劇について話したいと思います。何年振りか分かりませんが起承転結にそって私の話を書きたいと思います。

簡単に私の事を話すと、中学時代は勉強ができない、運動ができない、モテない上にいじめに会い友達が一人もいない中学校生活を卒業まで一年半ほど経験しました。

私自身気が弱く優しくて、恥ずかしがり屋ということもありいじったり、いじめるには最高の的だったと思います。

いじめをする人というのは賢くて、アメリカのテレビドラマのような目立つことをするわけではなく陰湿な教師にも分からないようなやり方を使います。

そしていじめをしているという罪悪感はあまりないこともかなりたちがわるいんですこれが、、、正直いじめはめっちゃきつかったし自殺したほうが楽なんじゃないかと思っていました。

そんな波乱に満ちた中学時代を送り、勉強にも集中できるわけもなく学年の順位では下から数えたほうが早い位置にいました。

ですが、中学校は何とか卒業して高校に進学しました偏差値は40代だったので、そんなに頭悪くない?、、、冗談です。県でも頭のよくない工業高校に進学を決めました。


そこでも勿論、勉強は苦手で試験で60点は当たり前。40点や30点代、最低点数は五点でした。入学当初から成績があまり良くなかったのですが、時間と共に何故か更に成績が下がり最終的にクラスで下から2番目にまで落ちました。

クラスメートからは、「バーカ、バーカ、頭悪るすぎでしょ?」と言われ、、、ある教師からもバカ呼ばわりされ、個別で呼び出されて、「なめてんのかお前、勉強してんのか?」と言われその教師に殴られそうになるということもありました。今思うとヤバい教師であった?ということに気付きました。

ノートもとってるし、授業も聞いてる、宿題も出してた。おそらく足りなかったのは自主学習。だが、偏差値の低い学校では定期的に自主学習する人も少ないのが現実だ。

中学でもいじめられ、高校では成績の悪さが周りに広がり生徒と先生に馬鹿にされ、本当に負け犬な人生を送っていました。

中学時代のいじめに比べると周りからただ馬鹿にされることはそこまできついとは感じませんでしたが、心底私を馬鹿にした生徒に対しては「お前も俺と同じ高校にいるんだからあんま変わんないばかだろ?なに俺のこと馬鹿にしてんの?」と思ってました。


そんな中、転機が訪れます。それは、過去最低の成績をとった後に私の素晴らしい担任の先生に呼び出されたことです。

「おい、大丈夫か? このままだと留年するぞ。次の試験同じ様な成績取ったらお前留年だぞ? 分かってんのか?」

担任の真剣さが伝わってきました。そして私自身この二文字「留年」という言葉を聞いて目が覚めました。「留年はやばいでしょ」と心拍数が上がったのを覚えています。

同時に、こんな落ちこぼれなクラスのお荷物のような私に少しの時間でしたが真剣に向き合い真面目に接する担任とその二文字に心を動かされ、本気で勉強を始めました。

留年しそうな人が集められる勉強会に呼ばれ沈黙の中複数の教師の監視のもとひたすら勉強するという経験をしました。

しかし勉強を始めたのはよかったのですが、効率的な勉強の仕方が分からず何をすればいい成績が取れるか分かりませんでした。そして、ひたすら漢字を書き続けることから始めました。

漢字を書き、数学の問題集を自分で解けるようになるまで練習し、英単語と文法を暗記して、歴史の教科書も重要な出来事を覚えたりとひたすら勉強しました。

テスト期間は部活が休みだったので学校が終わった後はクラスに残って、校舎から人がいなくなった後も勉強しました。外が暗くなってから家に帰り、夜ご飯を食べた後も夜の11:30頃まで勉強しました。学校の授業も合わせると勉強時間は15時間程度でした。

そして、朝は早く起きて学校に行く前にもテスト範囲の勉強をするという生活を継続しました。

そして、奇跡は起きました?ませんでした?、、、


そして、臨んだ次の期末試験。「留年は避けたい、出来ればいい成績も取りたい」と思いながら臨みました。

三日間にわたる試験は終わりました。今までの人生で一番勉強したので、試験中も気合が入りました。また、失うものも何もない状態だったので試験も楽しむことができました。

そして、テストがクラスで配られ始めました。私の成績は何と殆どの科目で80後半から90後半の成績だったのです。そう奇跡は起きました。

いや、奇跡なんてもんじゃないです。もはや私にとっては革命でした。

実はここで私は勘違いを一つしました。「あれ?もしかして俺実はめっちゃ努力すれば何でもできるんじゃね?」と。実際には偏差値の低い工業高校の試験だったので問題も普通科に比べるとかなり簡単だった事も知りませんでした。

そんなことに気付きもせず、それ以来その勘違いから努力をひたすら重ねて、高校卒業後少し就職や寄り道をした後にアメリカ留学をしました。留学中も勉強に没頭して、へたくそな英語を駆使していい成績をとり私の専攻分野において一番か二番を争う大企業に就職することができました。


最後に

間違えないでほしいポイントは私は成績が急に上がったからと言って天才ではありません。私は努力の秀才です。その証拠に、大学在学中にクラスが難しすぎて一度挫折し日本に帰ろうとしたこともあります。

学生においてのどん底、いじめや成績の悪さを経験したから言えるのですが、どんな人にもいくらでも成長する可能性があります。そして学校教育の成績だけでは人は語れません。

なので、私が書く英語学習、留学、就活、起業の記事は誰でも頑張れば達成できることを書いています。まだ途中段階で完成度の低い記事も沢山ありますが、これから新しい記事を書いたり完成度の低いものを書き直したりするので読んでくれると嬉しいです。











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