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お気楽CAだった私が、”うつ”で仕事を辞めるまで【自己紹介前編】

今年からフリーライターになりました、大桜 理心(おおざくら りこ)と申します。
今画面の前にいらっしゃるあなたが、こちらのページにたどり着いたご縁に感謝いたします😊
自己紹介にしてはかなり長いのですが💦、楽しんでいただけるようにラフな文体で書いてみました。CAの仕事にご興味のある方や、現代社会が生きづらいと感じられている方にも、何か気付きを与えられますように。🌠


これまでの人生について

お気楽な学生時代、その裏には…?


私は学生時代、いわゆる「文武両道」に憧れを抱いており、スポーツも学業もわりと楽しんでやっていました。


しかし、「努力」という言葉が心底嫌いでした(今も)。
だってなんだか、「努力」には「苦労」がつきもの、という感じがするからです。

小学生の時、書道の授業で半紙に書いたじゃないですか、『努力』って。あれ、ホント嫌でしたねぇ…
でもたまに、「アンタこれ全然努力して書いてないでしょ」って感じのふにゃふにゃな『努力』を見つけると、ちょっぴり嬉しかった。

話が逸れましたがとにかく、どんなに頭が良くてもスポーツ万能でも、
「見て!私はこんなに頑張ってるんだよ!汗水たれてるよ!!」
と人にアピールするのはもちろん、自分に言い聞かせることさえ、その必死さがスマートじゃない気がして。


だから、勉強もスポーツも「せっかくやるなら、”お気楽”にやっていこうぜぇェ〜」
というスタンスでこなしていました。

(一見クールっぽいんですが、実は私は要領を得るまでにとっっても時間がかかる人なので、マインドはお気楽でも勉強量は半端なく多かったです。笑 ただ、一度コツを掴んでしまえば、人よりも早く成長するので不思議です。)


するといつの間にか、
「理心ちゃんは何をやっても完璧だね」
と周りから言われるようになっていました。


そしてそれが、どんどん自分の中でも「当たり前のこと」へと変わっていき、
周りの人から尊敬されたり、好かれたりすることに、生き甲斐さえ感じるようになっていました。

だから、何事も失敗はできませんでした。
失敗して、自分のプライドに傷をつけたくなかったのです。
勉強も運動も好きだったため、当時はあまり意識していませんでしたが、今振り返ってみると、かなり慎重に行動していたように思います。

その結果、

「誰かの期待に応える」ことに固執していた部分と、
「自分に失敗を許さない」という精神が、

「完璧主義」な性格をじわじわと醸成していきました。


そしてこの性格が、のちに私を苦しめることになるのです………

キャビンアテンダントになる。1年間休職する。自己と向き合う。


「職業はCAです。」と言うと、93%の確率で、
「あー。めっちゃCAっぽいわ。小さい頃からの夢でしょ?」と反応されます。
いや、96%かもしれない。(っぽいじゃなくて、本当にCAなんですけどね笑 とツッコむまでがワンセット)

確かに、現役CAの大半は、「人生の前半部分で一度はCAという職業に憧れた人たち」です。
私の肌感覚では99.8%といったところですかね。

言い換えれば、「CAになりたいと一度も思ったことのない人は、CAになるはずがない」のです。

当たり前のように聞こえますが、この原則は例えるならば、
「高所恐怖症の人は、バンジージャンプをするはずがない」。
これくらいの必然性があります。

人付き合いが苦手でも、「仕方ないか」と営業職に就く人はいるし、
読書に全く興味のない人でも、「仕方ないよね」と本屋で働くでしょう。

ただ、CAになりたいと一度も思ったことのない人だけは、「仕方がない」と言ってCAという職業を選ぶことは絶対にないのです。あまりにも特殊で目立つ仕事だから。


しかし私は、その原則を破った0.2%のうちの一人になってしまいました。

幼少期に、
「理心ちゃんはアナウンサーかCAが向いている」
なんてよく言われたものだけど、

人前に出るのが無理すぎて、私の心には微塵も刺さらなかった職業ツートップでした。
某子供のための職業体験施設で、アナウンサーやCAになりきってキャッキャする同年代を見て、(え…よくそんな恥ずかしいことできるね…汗)と冷ややかな目で見つめていましたから。


…ではなぜそんな人間が、CAになったのか。

それは、
「その会社の理念が好きで第一志望だったので、仕方なく」
です。

さらに、
「あれ?周りが言うように、もしかしてあたし、CA向いているかもしれないワ。」
と自己暗示をかけたからです。

アウトローですね。かなりの異端児です。


その会社には、職種が大きく分けて3つありました。

  1. 総合職(一般事務や整備士などを含む)

  2. パイロット

  3. キャビンアテンダント


さてと、この中で何になろうかな。
私の強みって何だろう。。

☑コミュニケーション力は高めだし、
☑外国語力(4か国語イケます)も高いし、
☑海外経験豊富だから適応力あるし、
☑体力もあるし、
☑旅行好きだし、、etc

…あれれ?CA…向いてる??
「いや、もはや天職だわこりゃ。( /^ω^)/ ワーイ」

結果、CAを選択しました。

「もっとも、お客様の笑顔が見られるのは、かなりやりがいだよな」
というのが決め手で、CAになっちゃいました。
つまるところ、“お気楽キャビンアテンダント” が爆誕したわけです。
(必死に就活してきた方々に殴られろ)


まあ、なんだかんだで4年働いて結局は、

「うーむ。やっぱCA向いてねえわ。(笑)」

となって1年間休職した末に退職したので、
自業自得ですが。。
(殴られる前に自滅した)


さて、ここからは真面目に。
CA時代私の足を引っ張っていたのは、前項でお話しした
「完璧主義な性格」
でした。

CAとして働くにあたり、完璧主義であることがなぜマイナスなのかというと、
「この飛行機に乗っている全員を幸せにすべきだ」
という考えに囚われてしまうからです。(※一般論ではありません。)

多い時だと1便につき500名前後のお客さまをお迎えするわたしたち。
そんな大勢の見ず知らずの人たちが、袖触り合うどころか肘ぶつけ合う狭い機内ですから、実際問題、「”最大多数の最大幸福” を求めるべきだ=全員が気持ちよく飛行機に乗れるわけではないのだ」と頭で理解していても、

それと裏腹に私のハートは、「お客さま一人一人の幸福を求めたい!」となってしまうのです。

妥協できないのです。


ひとつ、象徴的なエピソードをお話ししますね。
世間がまだコロナで騒いでいたある日のこと。
マスク未着用のお客さまが、私の便に乗っていらっしゃいました。

会社としてはその当時、
【マスク未着用旅客に関しては注意喚起を行い、そのうえで着用をご了承いただけなければ飛行機をお降りいただく】(※簡略化しています)
という措置が取られていました。

そのため、私はその旨を当該のお客さまにご説明しました。
すると、その方はスマホのメモ機能に、

『マスクをしなくても私は一人の人間です。マスクをしないと飛行機に乗れないというルールは、人権侵害です。一言もしゃべりません、飲食もしません。だから、マスクは着用しなくてもいいでしょう。』
(※要約しています)

と書かれたものを、無言で私に差し出しました。


私は、何も言えませんでした。


ただただ、「申し訳ございません。これは会社や社会のルールですので、それには逆らえません。」と繰り返すことしかできない、ちっぽけな従業員でした。

会社の教育では、「公平性を大切にしましょう」と教わった。
では、この事例における本当の公平性とは何か?
私は、目の前のお客さまのために何かできたのだろうか?

…悔しかったです。

後日、上司にそのことを打ち明けると、
「気にしなくていい。ルールを守るということは、会社を守ること、ひいては理心さん自身を守ることなのだから。理心さんがルールを遵守し、当該旅客を注意したという事実に意味がある。」
と慰められました。


確かにそうかもしれません。言いたいことは、分かります。

けれども。

結局これが、会社員として、社会人として働くということなのか…と。
「最大多数の最大幸福」を求めるあまり、
「目の前の人を救えない」という体験は、
この仕事を続ける限りこれからも避けては通れないだろうし、
それに遭遇するたびにまた悔しい気持ちになるのではないか、という不安や疑問を抱くトリガーになりました。


加えて、
「限られた時間の中でマルチタスクが求められる働き方」
に関しても、苦しみが大きかったです。

例えば、機内キッチン(ギャレー)に立ってお飲み物やお食事を準備するとき。衛生面やサービス品質の観点から、素早く効率の良い仕事ぶりが求められます。

しかし私の場合、ひとつひとつを丁寧に完璧にこなそうとするばかりに、時間内に終わらない事案が発生した結果、作業がおざなりになるという悪循環…。

どうしてこんな単純な作業ができないのか。
頭でイメージしたままに体が動かないのか。
これだけ時間をかけても要領を得ないのはなぜ??

そんなマイナス思考が堂々巡りするフライトの日々でした。
「完璧な子」だった私が人生で初めて、「自分には能力がないのだ」と絶望する日々の連続でした。

さらにもっと悪いことに、
これまでの人生でぶつかった壁はすべて ”お気楽に” 乗り越え、人前で決して弱みを見せてこなかった私は、
当然、誰かに自分の辛さを打ち明けることを自分に許しませんでした。

「これまで何事も上手くやってきた私なら、絶対に大丈夫」。

そうやって自分自身を無意識に追い詰めていました。


ところが、ある日を境に、朝ベッドから起き上がれなくなり、涙が止まらなくなって、会社に行けない日が何日も続くようになりました。

「…さすがに休息が必要かもしれない」

ということで休職に至りました。
”お気楽にこなす完璧な私” 像は、ガタガタと音を立てて崩れ落ちました。


結果的に1年間休むことになるのですが、
この期間はとにかく、「自己と向き合う時間」でした。

  • CAという仕事の、何がどうして苦しかったのか?

  • 自分の本当の性格はどんなか?

  • 自分が心からやりたいことは何か?

自分がまた輝けるために。考えまくり、自分を労る期間に突入したのです。

2週間でやめた転職活動と、フリーライターになる決意


「よひともすなる転職活動といふものを、休職者もしてみむとてするなり」
【現代語訳】世間がするという転職活動というものを、休職者(である私)もやってみようと思ってするのだ。

と、貫之ばりに意気込んで転職活動を始めました。そしたら、

「うーむ。やっぱ組織向いてねえわ。(笑)」

となり、たった2週間で転職活動を辞めちまいましたとさ。(土佐日記だけにね♪)(は?)


一体全体、何の仕事をしようとしていたのかと言いますと、それはズバリ「キャリアアドバイザー」の仕事でした。
これなら、”NOT 最大多数の最大幸福, BUT 目の前の1人” が実現するのではと。思ったんですよね。

それで、4人のキャリアアドバイザーさんとお話をしたのですが、私はあるひとつの重大な事実に気が付いてしまったのです。


それは、「人材支援も商売のうちだ」ということです。もっと言えば、「目の前の人のために動くよりも、会社の都合を優先しなければならない時がある」のです。


具体例として、求職者である太郎さんの支援を私が行っていると仮定します。
太郎さんは晴れてA社(年収800万)とB社(年収600万)から内定を貰うところまで漕ぎ着けました。よく頑張りましたね。
しかしここからが本題です、ではどちらに入社しましょうか?
太郎さんの気持ちとしては、A社よりもB社の仕事内容や環境に魅力を感じているためB社が第一希望です。
ところが、就活エージェント会社的には、太郎さんの希望は無視して、確実にA社を推すわけです。いろいろな理由を並べ立てて、私は太郎さんを説得する(ように会社から仕向けられる)でしょう。
なぜなら、内定企業から成功報酬として、年収の約30%が我々エージェントに支払われるからです。(※各企業によります。)


…これって、本質的な人助けじゃないと思いませんか?私だけですかね。


【会社】かい-しゃ
商行為または営利を目的とする社団法人で、商法によって設立されたもの。
(精選版 日本国語大辞典より抜粋)

【社会】しゃ-かい
人間の共同生活の総称。また、広く、人間の集団としての営みや組織的な営みをいう。
(デジタル大辞泉より抜粋)


なるほど。お金を稼がなければ会社は存続しませんし、その営みこそが現代社会の基盤となっているのですね。

でも、私はそれが苦しいんです。CAの時と同じ。ルールを守るためには個人の幸せを手放さなければいけないこともあるんです、組織にいる限りは。

そうです、もう一度言います。
『組織にいる限りは』。


「よおおし!!!こうなったらもう、フリーランサーになるしかねえよなあ?!?!自由に生きたろ!!!」


…このようにして、休職者リコはフリーランスで働くことを決断したのでした。(ここまで来るのに5000字も費やしてしまいました。みんな、ついてきてくれて、ありがと💘)


さてさて、あとは「何をするか」。これが一番重要ですよ。
さきほど、

  • CAという仕事の、何がどうして苦しかったのか?

  • 自分の本当の性格はどんなか?

  • 自分が心からやりたいことは何か?

を考えたと書きましたが、それに加え、

  • 自分が昔から得意としていたことや好きだったことは何か?

  • 「完璧主義」が生かせる仕事は何か?

というポイントについても、転職活動後にじっくり考えました。


「客室乗務員」と「キャリアアドバイザー」という仕事の、ジェネラルな共通項は「人のために働く」でした。

そして、「世のため人のため」に働いているつもりが、結局は「会社のため」になっているという事実が、心苦しい。

そこで私が考えついたのが、
「そもそも他者のためではなく、自己のために生きてみないか?」
ということでした。

「そんなの当たり前じゃん!」という声が聞こえてくるようですが…

初めに申し上げた通り、私はずっと「誰かの期待に応えること・良い評価を得ること」に何よりも喜びを感じて生きてきました。”他人軸”ってやつです。
それを、きっぱりやめようと思ったのです。”自分軸”で行動するというのは、けっこうな大決心だったのです私にとっては。

ということはつまり、仕事に関しては、
「自分の好きなこと・得意なことをやった結果、世の中に還元される」ように働けばよい、という逆転の発想にたどり着きました。

これに気が付いた時、本当に心が軽くなりました。

そして、私が小学生の時から好きで得意だったこと。それが、「文章を書くこと」です。
しかも、「丁寧で抜かりのない作業姿勢」は物書きにとって武器になります。まさに「完璧主義のシングルタスクマン」おあつらえ向き!
おまけに、多くの情報を世の中に発信するライターの仕事は、「学習欲」も満たしてくれます。書きながら多方面の知識がついていくからです。

そんなことを考えると、ワクワクが止まらなくなったのを今でも鮮明に覚えていますし、このnoteを書いている今この瞬間も、執筆の楽しさに向き合える悦びを噛みしめています。


…以上が、現在までの私の人生についてです。
これからの人生については、後編に続きます。


理心🪶

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