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"真実のカクテル" は、"自分"と云う生き方を映し出す。『誤解のBar』〈2階目〉観劇記録2会目

(1会目からの続き)

冬川あかねの次に"真実のカクテル"を振る舞われたのは、秋葉エリ

将来に夢や希望を持てず、就職活動を続けている大学生だ

秋葉エリ A班:高松優奈さん C班:関根叶子さん

エリのパート冒頭、志望動機の長台詞は、「何のために働き、生きるのか」という問いへの、綺麗事を抜きにした現代人の本音が赤裸々になっていたと思う

誰だって楽をして生きたいと思うものだ

先に述べた理想と現実の間から逃げ出したくなる、という感覚は、幾つになっても変わらない

エリとマスターとのやり取りの中には、今の私にとって非常に耳が痛い台詞が存在した

「子供の頃は『将来の夢を持ちましょう』とか言っておいて、だんだん成長するにしたがって『夢みたいなこと言ってるんじゃない現実を見ろ』って」

思ってもいない上辺だけを取り繕ったような話だったり、人に対して「常識」や「正しい」とされるものを強制しなければならない場面が私にはある

自分の本来の意志とは違うことを言うその度に、自己矛盾に思い悩む

エリくらいの年齢だった頃の自分はというと、エリとは少し違っていて、「将来こうなりたい」という目標がありながら、力がないため受け入れられる場所がなかったのだ

その頃荒んだ精神を癒やしていたものは、誰も見ていないような個人ブログ(既にサービス終了)に独り言を書き殴ることであった

特定の誰かに対する誹謗中傷ではないが、「社会が悪い」だとか、成功者への妬みなど、当時抱いていた感情では重なる部分はあり、思い出しては胸を抉られる感覚になった

ところで、B班のエリは梶谷さんが務めるはずだった

昨年1月、同じ三栄町LIVEで上演された『ラチカン』で、同じ班にいた東雲あずささんが果たした役目を、今度は高松さんが務めることになろうとは、私も想像していなかった

私はその経過を見ていたからこそ、高松さんが梶谷さんの代役を見事に務め上げたことには敬意を表したい

関根さんは8月、『きゅうきょくのニタク』B班で主演を務め、美彩貴さんと同じ班だったこと、物語も当時の私の精神に深く染み入るものであったため覚えていた

令和5年8月26日 『きゅうきょくのニタク』B班

今回の〈2階目〉B班初日、会場内にいらっしゃったところで初めてお話しすることができた

高松さんと同様、梶谷さんの想いを背負いながら、時に高松さんの代役も務め、全班の公演に出演しエリを演じきったことに敬意を表したい

三組目の客は、アイドルグループ"羊ガーデン"の二人

春海マイ、りす
A班 口石めぐみさん、ソラ豆琴美さん
B班 鈴木真衣さん、横山未希さん
C班 小鞠さん、篠塚音初さん

開演後、物語の冒頭で二人同時に誤解のBarにたどり着き、マイの存在に気づいた途端、りすが掴みかかる

渾身の怒りと恨みをマイにぶつけるりす

B班横山さんの圧倒的な気迫、A班ソラ豆琴美さんの〈1階目〉のマスターからは想像できなかった言葉が次々と出てくるお芝居、観ているだけで私は苦しくなっていた

"羊ガーデン"のパートはグループ解散からストーリーが進む

度重なる誹謗中傷、自殺未遂、業界の闇、膨れ上がるマイへの逆恨みの感情

錯乱する中、自分の身代わりに交通事故に遭い、死を迎えたマイの姿を目の当たりにしたりすは、自殺を決意する

「死をもって謝罪の言葉に代えさせていただきたいと思います」

マネージャー朝比奈まどかが手に掛けた、秋葉エリと冬川あかねの二人がりすの死を演出する皮肉

『ラチカン』『煙詰』以来の血のお花紙(先にあかねの松田優作のものまねで出ているが)に「これこそが黒薔薇少女地獄だ」と、私は静かな興奮状態に陥りながら、りすの命の脆さと儚さを噛み締めていた

物事が自分の思い通りに運ばない中で、他人や社会はおろか、家族さえ恨んで過ごしていた時間を持つ私には、その苦しみが分からないわけでもない

自分が何のために生きているのか分からずに、死を意識した経験もある

そういう点ではりすへも感情移入してしまう

C班篠塚さんのりすには、最も弱さと悲壮感を感じていた分、ラストの展開が涙を誘った

マイ役では、B班つむりんさんは高松さんと同じく、昨年の『ラチカン』で出会い、1年となる

『誤解のBar』〈1階目〉で私が最も感情移入した春名イチカを演じていたのが、つむりんさん(同じくB班)だった

今回のマイは優しく、誠実なキャラクターだ

アイドルを引退したマイは前向きに新しい人生を歩んでいて、他者への不平不満を口にすることはない

誤解のBarを訪れた客の中では、最後まで31階(再開)と0階(霊界)の選択さえ自ら言い出しはしなかった

人は弱くも強くもある

希望を感じ、勇気づけられるような役だったと思う

今回の〈2階目〉の客に多かった誤解は、それぞれが生きる立場で発した言葉に焦点が当てられていたように思う

〈1階目〉にあった、社会や制度を相手にした壮大な誤解とは対照的だ

社会というマクロから、個人というミクロへの視点の転換

集団よりも個人を重要視すれば、より細やかな配慮が要る

マスターが手を焼き、声を荒げるのも無理はない

ラストでは、あかねだけが0階を選び、前向きに死を受け入れる

最期まで誤解というか勘違いが抜け切らない、憎めないキャラクター故か、少し寂しい気もした

B班
マスター:りこさん
冬川あかね:今野美彩貴さん

私はこのnoteで観劇の感想を綴りながら、毎回考える

自分の命がどう終わるかということを

そのときこれまでの人生を振り返り、何を思うだろうかと

〈1階目〉の感想では寺山修司の言を引用しつつ、過去を「起こって欲しかったこと」で修正することはできないが、意味を見つける修正はできるものだと結論づけた

今回〈2階目〉を通して、私の中での結論は変わらなかった

A班
昼岡なる:入江田純奈さん
秋葉エリ:高松優奈さん
雨夜クロエ:黒田ゆうかさん
B班
昼岡なる:今井亜里紗さん
雨夜クロエ:來栖令奈さん

誤解のBarを訪れていない二人も、安泰と思われた将来で頓く可能性はある

(まどかはこの後すぐBarに来そうな気がしてすみませんはい)

頓いたときには、立ち止まって考えてみればいい

"真実のカクテル"は、それぞれが「自分」を見つめ直すきっかけとなる

自分自身と向き合い、自分の意志を確認することの必要性、希望を見失わずに生きていく重要性を、『誤解のBar』シリーズは問う

〈1階目〉からマスターを務めたりこさんがまた舞台に戻って来るとき、〈3階目〉を期待せずにはいられない

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