あと何度、この景色を見られるのだろう――最も身近にいる大切な人へ
――あと何度、この桜を見られるのだろう――
18年前のことである
ENDLICHERI☆ENDLICHERI(堂本剛さん)作詩作曲、『ソメイヨシノ』誕生のきっかけ
あるとき剛さんが母親と桜を見に行き、母親が「あと何度、あんたとこの桜を見られるのかな」とふと呟いた言葉が、剛さんにとって胸が張り裂けんばかりの響きを持って感じられ、命の儚さや愛を綴ったというものだ
18年前の私は、自分自身に絶望し、家族からも疎まれているような気がし、生きている意味が分からなかった
4月29日、8月6日と"The ENDLI WATER TANK"でこの曲を聴いていて、母のことを想っていたのだが、そのとき持っていた感情は、幾度となく悲しみを経験し、なお出来の悪い息子のせいで苦しんでいるであろう彼女への哀れみでしかなかった
1ミリも動くことができない私は、両親に掛ける言葉も持たなかった
10月8日、同じ"The ENDLI WATER TANK"で、『ソメイヨシノ』は歌われなかったが、剛さんの「人生に無駄な時間なんてない」という言葉を受け、やっとのことで1ミリを踏み出し、今に至るまで18年歩み続けてきた、というのは前回記したとおりだ
『ソメイヨシノ』のエピソードを思い出すきっかけが、18年経った今また自分の目の前に現れ、繋がってきた時間を思うと、言葉が頭の中からどんどん溢れてきた
2024年3月2日、両国エアースタジオ
斉木香穂さん御出演の舞台、『シズカ式 佐藤家のぬかどこ~餃子の包み方~』
私がこれまで観劇してきた中で、最も穏やかで優しい時間が流れていた作品だと思う
斉木さんが演じた母、数江は、物語の中では既に亡き人となっており、物語の要所要所で、生きている家族の回想の中や、現在の意識に対して語り掛ける
夫、勝に向けた数江の台詞、私は聴いた瞬間にはっとさせられた
それはまさに剛さんの『ソメイヨシノ』のエピソードと同じだったのだ
「あと何回こうやって梅酒を飲めるんだろう」
「あとどれくらい一緒にいられるんだろう」
この答えを、数江が言っていたように計算し時間で表すと、言いようのない空しさを感じてしまう
できれば考えたくないと思うのが人の情
しかしその時は必ずやって来るという現実がある
ならば、いつか来るその時に後悔しない生き方をしようと、前向きになることも可能なはずだ
数江が本当に言いたいことは、計算で表した数値そのものではなく、「だからこそ今を、この瞬間を大切に生きよう」という想いだと私は受け取った
私のことで言えば、18年経つ間に、当然だが家族も年を取る
目に見えて容姿も衰えるし、父はここ数年、癌との闘いを続けている
いつか来るその時というのは、確実に近づいている
そんな中で、「家族とは何か」「自分が生かされた意味とは何か」ということを考える
31年前の傷、18年前の絶望、12年前の挫折
「死んでしまいたかった」と、最大の親不孝の言葉を過去形であるとはいえはっきりと投げつけたこともある
それでも、どんなことがあっても、傍にいて支えてくれたのは、他の誰でもない父と母である
以前も私は家族について記事を残してはいる
ただ、どうしても今日改めて残しておきたかった
今日であることに意味を持たせるために
父と母に「出会ってくれてありがとう」という言葉を残すために
Instagramに投稿した写真を再掲したものもあるが、これらは全て家族で共に過ごした場所の記録である
――あと何度、この景色を見られるのだろう――
この18年を振り返ると、苦労ばかり掛けてしまったけど、どんなときも逃げずに向き合ってくれてありがとう
生きていたから「出会ってくれてありがとう」「お誕生日おめでとう」という温かい言葉をくれる人と出会えたし、心から感謝しています
出会ってくれてありがとう
3月9日、二人の結婚記念日に
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