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転職とは?時間の投資先を選ぶという事

振り返ってみると、これまでに三度転職をしてきた訳ですが、就活や転職活動はそれぞれ一度のみで、その後は企業に見つけてもらい、素晴らしい企業に巡り合う事ができました。独立をした後にも、基本は昔お仕事をご一緒させていただいた繋がりや、その方々からのご紹介、友人の相談に乗っていて手伝う、またはSNS、ネット上の記事やブログ、イベント登壇で知っていただくなどが殆どでした。たまたま運が良かっただけ、ラッキーただったとも言えますが、私の中での判断基準がありました。特に手元にある時間を資本としてどう投資するか

今の私が目指す目標は世界のどこででも、”自分自身で”選んだ場所に自分で決めた日と時間に滞在し、社会にインパクトのある事業を推進していく事です。日本人であるか否かに関係なく、どの国の人ともチームとなり、共に組んでいける事。頼りにしてもらえる事。実践と経験を積んでいくために、迷った時にはやったことのない、少し背伸びが必要に見える方へチャレンジしてみるようにしています。ただ、それを実現できるのも、世界のどこにいても支援し合える存在の仲間や応援してくださっている皆さんがいるからです。組織の所属や肩書きに関係のない、人と人の繋がりこそ、私が大切にしているもので、私が助けられている大きな原動力です。

そんな本日は、私が特にキャリアチェンジをする際に大事にしていた判断軸について共有したいと思います。留学でも休職でも、転職でも起業でも、ライフチェンジの際に少しでも役に立つと幸いです。

これまでの略歴

学生時代
19歳 Red Bull SBM (学生ブランドマネージャー)
→ 大学入学して早々に、先輩からの紹介で長期インターンシップ開始
→ 外資系企業 社会人の社員さん、全国の学生インターンの人たちと繋がる
→ 当初教師になる事しか考えていなかったが、特に遊び心と創造性を大事にするカルチャーに魅了され、民間就職もチャレンジする事を決めた

 翼を授けるべく、大学のキャンパス内ではほぼいつもレッドブルを常備
学内を一つのマーケットと考え、様々なコミュニティ開拓、イベント企画/支援する日々

社会人一年目
22歳 財閥系金融 法人営業
→ ボスキャリ後の東京キャリアフォーラムにて
→ 社長の人柄に惹かれ、入社を決意
→ 大阪に総合職として配属される
→ 海外駐在員を志すも、悩んだ末に転職をする事に

23歳 NY発スタートアップ Noom(ヌーム)日本第三号社員
→ Wantedlyで自らコンタクト
→ NYCのチェルシーに本社を持つスタートアップ
→ 予防医療、ヘルスケアの分野の事業開発
→ セコイヤキャピタルにも投資を受けており、当時はシリーズC
→ 現在はユニコーン企業に (まさかのシリーズF)

ニューヨークからよくCEOが日本に訪れ、起業した理由や想いを直接聞いてきた。その他、アメリカに拠点を置く別のスタートアップのCEOも時たまNoomの六本木オフィスにやって来て、一緒に働いたり、ご飯を食べたり。VCの人たちと関わりを持ち出したのも、ちょうどこの頃。

24歳 ECプラットフォーム Shopify(ショッピファイ)日本第一号社員
→ LinkedIn で直接メッセージをもらう
→ Glassdoorという口コミサイトで当時カナダで働きたい会社 No. 1だった
→ Eコマースと起業家精神を日本全国に普及させるべく、渡り歩く
→ Googleをも超え得るカナダのTech企業のカルチャーに触れる
→ 圧倒的なプレッシャーと未知の難題に日々ぶち当たりながら、前へ進む

ここには書けないたくさんの思い出。Mediumのブログの方に書いています。

26歳 米ユニコーン企業 StockX日本立上げ & 独立
→ 前職の繋がりから知り合い、スカウトされる
→ 旅人である事を理由に当初はオファーを断る
→ 旅したい欲も収まり、半年入社を待ってもらった事で根負けし入社
→ 就職しても個人の仕事の芽を摘まずに、タネを撒き続ける🌱
→ 仕事があるのに、なぜ他の仕事をするのか?
→ やってみたい事が沢山あるから (一つだけなんて選べない🙃)

スニーカー、ストリートファッション、ラグジュアリーに関する歴史やデザイナー、エンタメ、国際マーケットの動向、スニーカーヘッドと呼ばれる熱狂的な人たち、二次流通マーケットについても学びました。奥深い。

28歳 海外大学院に進学し、再び学生に
①自己資本でイタリアへ留学
→ 個人の仕事を続けた結果、海外留学が実現
“諦めないで!” といういつかのCMが脳内リピート x100, 家だと集中できずに、終わるまで帰れまテンを自主的に実施 @深夜マック, IELTS初心者、準備の加減が分からずスコア取得時の顔、疲労150%、ビザの準備とコロ ナの対応と、国を跨いだ引越しで疲れ果て、途方に暮れる。素晴らしき友達に助けられながら、ヨーロッパへ。コロナ関連の資料やビザなどあまり確認もされず、あっけなく入国。

ミラノ工科大学でデザインマネジメント、ラグジュアリーについて学んでいます。
留学体験記はこちら

②米VC Plug and Playにて投資アナリスト
→ もうスタートアップなんて懲り懲りだ!と思っていたところ、イタリアの大学院のプログラムで選出され、そのまま昇進 (100% リモートワーク)私にそんなのできる訳ないと圧倒的なプレッシャーで当初は泣いていたが、恐怖と不安を何度も潜り抜け、体当たり。周りに励まされながら、アメリカの西海岸時間で働きつつ、なんだかんだで楽しんでいる ← イマココ

シリコンバレーに本社を置くアクセレーション、VC、イノベーションエコシステムを持つ会社。世界各国に拠点を持つ。日本には渋谷と京都に。

前提条件

最終的には海外でキャリアを構築する事を決めていたため、アメリカで通用するスキルセットを日本で培うべく、国際的に知名度やポテンシャルがある外資系Techを中心に見ていた。日本では有名でも海外ではパッと認知してもらえない会社もある中で、日本ではまだ認知されていないが海外では有名な会社も多々あり、特にレッドブルでの経験からそれを痛感。(レッドブルのはマーケティング、ブランディングの領域でグローバルに共通するある程度の立ち位置を誇っているため、転職時にも大いに役に立った。)

また、英語をすぐに使う環境がほしかったので、外資系に絞る事に。ちなみに、社会人二年目で初めて転職をした際には当初すぐにアメリカに飛び立とうと思っていた。サンフランシスコに憧れていたのだが、出てくる仕事をは餅アイスの営業、日本酒の販売など、サンフランシスコの物価を考えると暮らしていけなさそう、もしくは仕事のレベル感を下げないといけない、この仕事を海外でしたい訳ではないなどと思った事もあり、まずは東京に出てから経験を積み、いずれ海外に出る時には仕事のレベル感を落とさずに、そのままスライドさせてキャリアを積んでいこうと考えた。

古き良き、日本企業でのカルチャーショック

私の場合、根っから海外色が強いため、今となっては新卒時代にスーツを着て、部長に話しかける際には目線を合わせるために跪く、文書の修正のための米粒サイズの修正印を持つ、名刺交換、乾杯の角度、飲み会の座席を決める、お会計はまとめて新人が払い、後日傾斜を付けて徴収する、エレベーター、タクシー、会議室などを含めた上座下座のルール、朝は各部署の部長に挨拶に回る、新人にはスーツの色にも指定があるなど、そんな企業文化が溢れる会社で社会人を過ごしていた時があったなんてと驚かれる事も多いです。

上司を待たせないようにお昼ご飯も卵かけご飯にして流し込んでいたり、昼食後の女子トイレでは一番歳下なので端っこの方で目立たなくしたり。事務職の女性はキラキラな洋服とネイルで、デパ地下のコスメを買うために明日午後休を取るか、会社の内線電話を使って楽しく話す中、何となく退社しづらい雰囲気の中でいつ「お先に失礼します」と言うかタイミングを伺う。居眠りをしている部長がいても利益が回っていくのは会社としていいじゃないと言われても、本当にそれで良いのかとも思う日々。ネットサーフィンばかりしていても手取り40万はある、一度は輝かしい栄光を収めたかつての営業マン。メンタルダウンを多く輩出している部署の長は長らく居座り、それで会社を休む人はメンタルが弱いと揶揄され、会社の陰に隠れていく。ある程度の年齢になっても役職が伴わない営業マンは噂され、男性は全て出世をして当たり前というのを不思議に眺めながら、年次と共に上がる給与とボーナス、住宅補助などの福利厚生で辞める事が惜しくなっていく。優しいが故に、心を痛める人もいたように思います。

それは純粋な質問だったり、コメントだったりするのだと思うのですが、「(女性のあなたは)どうして事務職じゃなくて総合職を選んだの?」「総合職の女性は結婚できないぞ」「男性なのにどうして育児休暇を取るんだ?」「新人はフレッシュでいなきゃ売れない。」「他に行くところがないし、ここの給料いいからこの会社にいる。」「自己啓発のセミナーは仕事が溜まるから行かない。」「商社や証券よりも楽でお金も稼げるのに、どうしてこの会社を辞めるんだ?」「東京は厳しいぞ」「会社が投資をしたのに辞めるなんて、裏切り行為だ(酔った勢いで)」 … 色々と思うことがありました。

今となっては笑い話ですが、地元でもない新しい街に引っ越し、これが社会のすべてだと思っていた私にとっては「これが普通なんだ」と思わざるを得ず、心底苦しい時代でした。自分の信じていた価値観が否定され、理由なき常識を一気飲みしていくような、なんだか自分ではない他の誰かになっていくような日々。「疑問に思うのは私だけなのか?」と思いながらも声は上げられず、真面目に捉え過ぎてしまうほどに病んでしまうのも無理はないだろうと思ったのもこの時。

また、一年目から三年目のグループ会社が集まる研修では他社の一年目、三年目の方々がハキハキとロジカルに話す中で、同じ会社の先輩が発表している様子が対照的で、三年間で付いてしまう差を目の当たりにした事も衝撃的でした。仕事を辞めた後、東京に引っ越し、クラブのようなウェイウェイ系の飲み屋さんで騒いでいるサラリーマンがいて「タチ悪そうだ」と早歩きで歩き出すと、その後名前を呼ばれて、偶然それが昔の上司たちだった事もありました。住んでいる場所や働いている場所を聞かれ、名刺をかっぱらっていかれた際にはまさしく「輩に捕まってしまった」と思いましたが、生き方は人ぞれぞれです。真っ直ぐに仕事に向き合う人も多く、愚直に生きる人たちを笑う権利は誰にもありません。それも愛情表現の一つなのだとその場を去りました。

そのような環境があった事で、今問題とされている働かない団塊の世代というのも、窓際族の想像もできますし、今の日本社会を見つめる上でリアルな現状を知れたことは本当に貴重な経験だったと思っています。とは言うものの、それぞれ温かい言葉もかけていただき、応援もしてもらってきました。悪気があった訳でなく、組織にいたらそのようになってしまざるを得ない、それが企業カルチャーなのだと思っています。また、新卒時代にしっかりと日本企業で育ててもらったため、必要最低限のビジネスの作法を学ぶ機会があり、この点日本人として外資系を渡り歩くにしても、クライアント理解に大変役に立ちました。育ててもらった事にはとても感謝しています。辞めて何年も経った今でも応援してくれている方もいて、それにも感謝しています。

ターニングポイントの決め手

1. 立ち止まってられない貴重な20代

国内企業の駐在員として海外に派遣されるには時間が掛かるが、外資系企業はその日から英語を使える環境があり、スタートアップでは率先力として裁量権も持たせてくれるため、初めての転職を決意。(子どもを望むのであればだが、女性には出産という物理的な負担を要するライフイベントがあり、身軽なうちに裁量権を持って働く経験を積む事。そうする事で、子どもができた時には責任感は増すが、より時間のコントロールがし易いマネジメントの仕事にも就くことを目指す。このような女性こそキャリアの前倒しが必要というプロノバ代表の岡島さんの考えから影響を受ける。そのような考えから、女性の20代、なんとなくの受身で立ち止まってはいられなかった。

2. 「三年は働く」という呪縛からの解放

その後、ニューヨークのチェルシーに本社のあるヘルスケアのスタートアップ、Noomへ転職。新卒は三年は働けという呪いと罪悪感に当初うなされていたが、海外マーケットでは何らおかしくないサイクルで、むしろ違和感持って働き続けるくらいなら辞めるという非常に流動性の高いジョブマーケットを知る。

薄っぺらく何となく過ごされた3年間と、3年間分の濃さのある1年だったらどうだろう?経験の年数だけに縛られて、中身は濃さはきちんと見られているのだろうか?というのも、石の上にも三年という言葉には続きがある。「石の上にも三年という。しかし、三年を一年で習得する努力を怠ってはならない。」という言葉だ。新卒で入社した会社の掲示板には数分おきに変わる名言が表示されており、皮肉にもこのパナソニック創始者、松下幸之助の言葉に胸に響き、背中を押してくれたという結末に。

当初新卒で入社していた企業は8割程の家賃補助があり、15分単位で残業代が付くホワイト企業だった。どうして自ら厳しい方へ行くのかと引き止められたけれど、なんとなくで3年間を過ごしてしまう方が怖かった。その代わり、その職場で学べる事は学び、自分なりにある程度業界については話せるようになろうとも決意し、頭に詰め込んでみたりもした。その後の最初の転職期間は本当に辛かった。次こそはという想いと、何を軸にして良いか分からないという現実。お先真っ暗状態。でも今振り返ると、この時に経験していて良かったと思う。早いうちに転んだ後の立ち上がり方を学ぶ事ができた。

3. 0か100かではない、パラレルな働き方

30歳までに希少価値の高い経験やポジションに投資。妊娠や出産などがあっても時間に融通の効く働き方を構築する事を目指してきた。収入源は複数持ち、100か0でフルタイムの仕事を続けるか辞めるかだけでなく、10, 10, 30, 50%などでライフイベントに合わせて、働く量を誰かに決められるのではなく、自分でコントロールしたいと思ってきた。仕事だけが命の戦士になりたい訳ではなく、家族に何かあった時にいつでも駆けつけられる経済力と裁量権を持ちたいと思っていたから。むしろ家族と過ごす時間こそが何にも変えられないものだと思っているので、目先の年収や企業のブランドネームではなく、長い目で見た時の成長率、ポジションのユニーク性と学べる事の幅で判断。お金だけでなく、将来的な時間を稼ぐという感覚です。

また、意外と軽視されているのですが、企業気質、カルチャーフィットは本当に重要です。フィーリングカップルのようにマッチするか否かで、誰の何が悪いという訳ではありません。例えば、家庭よりも仕事を優先させないといけない働き方が強要され、家庭を大切にしたいという価値観を否定されたり、壊されたりする環境、お酒などの付き合いが異常に激しいカルチャーを持ち、それが強制される組織には最初からNoと言う事です。そういう付き合いがあってはいけないという訳ではなく、強制されてしまうという点が問題です。幸いな事に、私が勤務してきた企業はそのような文化はなく、家族を職場に連れてきたり、オンライン会議に子どもが映り込んでしまっても和める、そんなカルチャーを持つ企業が世の中にはあることを学んでいきました。働き始めはその点はあまり気にしていませんでしたが、今となっては大事な価値観だと思います。

4. 企業の存在意義、その事業は誰のどんな問題を救うのか

見ていた軸には、会社のカルチャー、スムーズなIT環境、技術力の強さ(マーケターよりもエンジニアが多いなど)、ユーザー目線のプロダクト改善を大事にしているか、デザイン性、ビジネスモデル、創業者のバックグラウンド、社会的なミッション(お金儲けのためだけでは心は動かない)、会社の存在意義への共感 (その会社がある事で誰が救われるのか、自分が救いたいと思えるか)、業界自体の伸び率、スタートアップであればそこに付いているVCがどこか、口コミサイトの評価、何よりも付いていきたいと思える上司がいるかどうか or 一緒に駆け抜けたい同志がいるかどうか、一緒に見たい世界があるかどうかがありました。

このキャリア軸にはスタートアップ初期の投資にも通ずるところがあると、スタートアップ投資を学んでいる今、強く感じています。例えば、後から見るとただの結果論にしかなり得ませんが、勤務してきた二社のスタートアップは現在米Tech ユニコーン企業となっています。もう一社は入社時は既にNY市場における上場企業でしたが、そこから何倍もの規模で、EC業界において猛烈に成長を遂げました。いずれも市場での認知度が低い時代に入社をしたので、立ち上げばかりを経験。相談するメンバーがいない中、正解がない中でプロジェクトを始動するのは容易ではありませんでしたが、新しいものを広める事が大好きな私にはピッタリでした。スタートアップ社員側として海外Tech企業の成長や生のカルチャーを直に体験し、成長痛やチーム配置やオペレーション、海外から日本への企業カルチャーの継承の大切さを学び、これらは現在VC側の目線においても大変役に立っていると実感しています。お金では買えない経験には価格は付けられません。priceless.

まとめ

フルタイムのお仕事は、私たちが等しく持っている資産である時間の投資だと思っています。上司がいない環境で、一度独立して働いてしまった後には、働くフレームワークがある事が制限に感じてしまう人もいれば、一人でやって大変だったり、チームメイトがいる事、働くフレームワークがある事の有り難さを感じ、会社に戻る人もいると思います。どこで誰かどう働こうと、一人一人が後悔をしない決断であれば、すべてそれはその人にとっての正解だと思っています。ただ、自分自身を痛め付けるような働き方、自信が擦り切れる環境にいる場合には一度世界はこんなにも広いのだとぜひ知ってほしいのです。

安定した給与や肩書きと引き換えに、会社の空気に飲まれ、生気を失ったゾンビのように働く、もしくは会社に飼い慣らされてしまうのか、環境を変えるのか。私自身、ここまで仕事ができないのかと自信なんて微塵もなくなった事があれば、働き方が変わる毎に”わたし”がアップデートされていき、信じられないくらいにイキイキとしていった事もあります。何にしても学びに変えていき、前進していく事。職場環境、企業のカルチャーは私たちが思う以上に大切です。カルチャーフィットしなければ、有能であっても選ばない。現時点で伸び切っている人よりも、これから伸びていくようなポテンシャルがある人。キャリアはジャングルジムのようなもの。ジェンダーも年齢も関係ない。それらはShopify本社で採用を担当していたメンバーが言っていた事でした。

キャリアチェンジ、ライフシフト、海外ワーホリ、留学、サマースクール、大学院で学び直す、副業、転職、就活…人生の転機で今後も時間という資本を投資するという感覚をもって、ぜひ転機を創っていってほしいです。別れ、出会い、結婚、育児、婚姻関係からの卒業、再婚、色々な事があると思います。荒波に揉まれても波を乗りこなすサーファーのように。完全なる私の趣味ですが、もし困ってる事や相談に乗ってほしい事、こんなものがあったら良いなと思うものがあれば、是非お知らせください。もし多くの人にとって役に立つ事であれば、コミュニティでもメディアでも事業でも、何でも作ってみたいと思います。

目の前にある仕事が突然消えてしまったら?仕事を見つける軸が何もなかったら?明日や未来の仕事やキャリアを心配する事が要らない、所属や肩書きに関係のない、そんな助け合いの繋がりができたら良いなと思い、綴ってみました。参考までに。

愛を込めて、
ちぇる


▼ 記事を書いた人について
ミドルネームから「ちぇる」と呼ばれている & ブログやSNSを通じて、日本と海外での発見や気付きを発信している人。何気ない光景を普段考えない切り口でみつめ、POPに社会を考えるきっかけを作ったり、日常に「問い」を持つ視点を届ける活動を行なっています。

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