【恋愛私小説】恋する青の鎖鋸1章③「タナトスに見つめられている」
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気づけば十月になり、残暑を感じる日もほとんどなくなった。大学からの帰宅途中、季節に振り回されて相変わらず温度調節が下手くそな電車に揺られながら、ツイッターのタイムラインを眺めている。四月に大学垢をはじめて以降、ほとんど日課のようになってしまった。受動的に流れてくる多様な情報を、画面をスクロールしながら流し見るのは時間つぶしにちょうどいい。
フォローしている大学の知人の日常会話のようなツイート、来月発売予定の大人気RPGの宣伝に、「神保町のおすすめブックカフェ」と銘打たれた文言と記事へのリンクが掲載された投稿。リンクをタップして記事に軽く目を通していると、先日自分が訪れたブックカフェも紹介されていた。
夏休みで初めてクリームソーダを飲んだことをきっかけに、ここ数ヶ月でクリームソーダがある喫茶店巡りが趣味となりつつある。このブックカフェもそのうちの一つだ。
ツイッターやインスタグラムなどでクリームソーダがある喫茶店を紹介している投稿を見かけると、思わず「いいね」してしまう。このツイートにも例に漏れず「いいね」をつけた。
次の日のサークル帰りに、途中まで電車の方面が同じコノミと取るに足らない雑談をしていると、唐突に切り出された。
「あのいいねしてた記事の喫茶店雰囲気よくない?」
一瞬何のことかと思ったが、昨日いいねしていたあのブックカフェの投稿のことだと思い出す。
「あの記事で紹介されてるブックカフェ行ったことあるよ。隠れ家みたいになってて、一階カウンターで二階はあんま広くはないけどテーブル何個かある感じ」
「めっちゃ良さげだな。行ってみたい」
「じゃあ、一緒に行く?」
今、俺なんて言った?
「いいよー、土曜のサークル前ならとりあえず空いてるかな」
会話の流れで軽はずみにした誘いを、簡単に了承された。あまりにもあっさりしていたから、起きた出来事をすぐに理解できず、返答が遅れてしまった。
二人で出かけるのか?
「月曜とかは?」
「オンデマンド授業だけしかないから、家出たくないかも」
「じゃあ次の土曜の午前行くかー」
「りょーかい!」
好きな場所に誰かと出かける時、互いの予定を合わせるためのやりとりは結構好きだ。徐々に定まっていく日程が、出かけるということを現実にしていくのにわくわくする。
神保町駅に着いて半蔵門線につながる改札を二人で通る。押上方面に向かう俺と渋谷方面に向かう彼女は、半蔵門線のホームに着いて別れるまでが半ばルーティーンとなっていた。
エスカレーターを下ってホームにたどり着くと、渋谷行きの電車がちょうどドアを開いたところだった。
「電車来ちゃった。土曜日よろしくね!」
そう言い残して、小走りで電車に乗り込んだコノミを見送った。
他の誰かを誘うという話題を出してこなかったということは、完全に二人でブックカフェに行くということだ。一瞬だけモエの存在が頭をよぎったが、夏休みに急募Cの四人で出かけた時に「肉しか勝たん!」と豪語していたのを思い出した。そんなモエが喫茶店で優雅にお茶している姿など全くイメージできなかった。
あいつはないな、と勝手に選択肢から消した。
女子と二人きりで出かけるのは久しぶりだな、どんな服着ていけばいいかな、どの改札から出たらすぐにカフェに着けるんだっけ、などと考えているうちに約束の土曜日はあっという間にやってきてしまった。
神保町駅のホームに着いて時計に目をやると、分針が二十四分を示していた。待ち合わせは十一時半なので、五分前に着いておくにはちょうどいい時間だろう。LINEで到着した旨をコノミに伝えると『ごめん! 五分くらい遅れます』と返ってきた。
『りょーかい』と返信して、構内のトイレで身だしなみを確認した後でも時間が余っていたので、暇つぶしにツイッターを開く。これから行くブックカフェのアカウントでも見るかと、店名を検索して見つけた公式アカウントのアイコンを押すと、プロフィールと一番上に固定された投稿が目に入った。
『東京都リバウンド防止措置の実施に伴い、十月一日から十月二十四日までの期間、営業開始を十二時からといたします。』
ホームページに開店時間が十一時と書いたあったため、完全にそれを信じ切っていた。駅から徒歩数分で着いてしまうから、少し店の前で待つことになるだろう。このあたりで時間を潰すにはどこがいいだろうか。本屋とか?
「おまたせー!」
コノミの声がしたと思った方向に顔を向けても、その姿が見当たらない。
「こっちだよ」
後ろから彼女の声がして、今度こそはと振り返る。
ベルト付きの黒のワンピース、控えめな高さのブラックパンプスに、ココアベージュの髪を結ぶ黒いシュシュ。全身を黒で染め上げられた存在が、目の前に立っている。こちらを捉える大きな瞳がただただ魅惑的で、目を離せない。
タナトスに見つめられている。
頭をよぎった朧げにしか覚えていない言葉の意味を逡巡する間もなく、再びクリアな声が頭に響く。
「大丈夫? なんかあった?」
そこにいたのは間違いなくコノミだった。
「いや、なんでもない」
平静を装ったつもりの声が少しだけ上ずってしまったが、気にせず続ける。
「なんか営業時間勘違いしてて十二時かららしいんだけど、本屋でも寄らない?」
「いいね。ちょうど本屋行きたかった」
普段と変わらない会話の調子に、少しだけ安心する。先ほどのやけに吸い込まれるような感覚は、一体何だったのか。
古本屋が立ち並ぶことで有名な神保町だが、流石に彼女を連れてまで初見の店内を訪れる気にはなれなかった。結局、神保町に本店を構える有名書店を訪れた。
エスカレーターで二階に上がると、文庫と文芸の棚が立ち並んでいた。近代の名だたる文豪たちの作品が陳列されている。「舞姫」「羅生門」「檸檬」など、高校の授業で読んだことのある作品もあれば「或る女」「雪国」「斜陽」など大学入試の現代文で名前だけ触れたような作品もある。高校で日本史を専攻していたため、近代の文学に興味がない訳ではなかったが、あまり小説を読まない自分にとっては、少しハードルが高かった。
「人間椅子あるじゃん! 一番好き!」
またもや名前だけ聞き覚えのあるような作品を、コノミが手に取っていた。作者はたしか江戸川乱歩だったか。
「読んだことあるの?」
「多分小学生のときには読まされてた。」
「そりゃすごいな」
小学生の時に俺が読んでいたものといえば、ダークファンタジーの漫画くらいだったが。今ですら自分にとっては敷居が高いと感じる近代文学を、彼女はとうの昔に読破していた。
自分が浅学なのか、はたまた彼女が博識なのか。どちらにせよ、自分と同い年とは思えなかった。
ちょうどよく時間を潰せたため、目的のブックカフェに向かうと、書店からも数分で到着できた。灰、赤茶、白、薄茶の細いレンガで囲われた外壁に、シックな木製の扉が映える。扉の黒い取手を引いて店内に入る。
「いらっしゃいませ」
白シャツに黒ベストを着た紳士的な店主に、店の二階に通された。紅色の壁と焦茶の本棚で仕切られた空間は、どこか現実離れしている。吊るされたドライフラワーと流れている幻想的なピアノが、独特な世界観をより一層引き立ていた。初めて訪れた時は一人で落ち着かなかったが、コノミと来ている今日は不思議なことに心がやすらいでいる。
「私、紅茶とガトーショコラにするけどそっちは?」
「この『珈琲 水瑠璃』と季節のレアチーズケーキにしようかな。」
最初はどういった珈琲か想像もつかなかったが「水出しの珈琲」と説明が添えられていた。洒落た品名から店主のこだわりを感じられる。
頼んだ品が運ばれてくるまでに様々な話をした。その中で家族の話になり、彼女の祖父がキューバで働いていたこと、その祖父に近代文学を読まされていたこと、親戚の会合が不定期であり、自分以外が皆高学歴で肩身が狭いことなど、聞けば聞くほど彼女は身の上話を語ってくれた。
「なんか貴族みたいだね」
「そんなお金持ちじゃないよ」
その言葉が余計に俺と彼女の住む世界の違いを実感させる。
そう思ったのも束の間で、店主がトレイを片手に一階から上がってきた。
「お待たせしました」と注文の品を机に並べ終えた店主に向かって、「ありがとうございます」と一礼する彼女の所作は、とても綺麗だった。
黒い陶器の皿の上に乗せられたチーズケーキは、上半分がゼリーとマスカットの果実で敷き詰められている。その隣には添えられているのは生クリームで、彼女のガトーショコラも同様だった。
「濃厚でおいしい!」
はしゃぎながらガトーショコラを頬張るコノミは年相応の女子みたいで、先程までの丁寧な振る舞いからは考えられなかったが、そのギャップが見ていて楽しいやつなのだと、今更理解できた気がする。
紅茶を飲みつつも、生クリームとガトーショコラが次々と彼女の口に運ばれていき、あっという間に無くなってしまった。こちらのチーズケーキと生クリームはまだ半分ほど残っている。
「生クリームもういらなかったりする?」
気づけばコノミが物欲しそうに生クリームを見つめていた。
「もうそっちのケーキないじゃん」
「生クリームは何もなくても美味しいじゃん。単体で食べたりしない?」
「いや、食べないだろ…… もうケーキに付ける気ないからどうぞ召し上がれー」
「やった! ありがとう!!」
目も声も輝かせて喜ぶコノミの姿が、しばらく忘れられなかった。
(今回出てきた神保町のブックカフェなど、実際に訪れたお店の店名自体は伏せておりますので、どんな場所に行ったのか心当たりが合った人はコメントしてみてください笑)
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