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【恋愛私小説】恋する青の鎖鋸1章②「あの華奢な体躯の何処に」

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はじめから↓





 そういった友人たちに囲まれる中で楽器を吹くのは、やはり楽しかった。
 マスクの着用、アルコール消毒に換気の徹底など、未だに猛威を振るうコロナウイルスへの感染対策を煩わしく感じることもしばしばあるが、何もできずに終わった高校三年生の時よりは圧倒的にマシだ。しかし、「楽器を一日吹かないと戻すのに三日かかる」とはよく言ったもので、一年以上あったブランクを取り返すのはかなり難しかった。以前なら息をするように出せていた音一つ奏でるのが、途方もなく難しい。

 そんな悪戦苦闘を繰り広げるとある九月の練習後、コノミが突拍子もなく尋ねてきた。

「私の音のダメ出しをしてほしい」

 なんで俺?

 会う前にしていた予想通り、彼女はかなりの強豪校出身だった。しかも礼儀や上下関係を重んじる厳しい学校だったらしく、サークルの上下関係のゆるさに度々絶句していた。そんな彼女が音楽未経験から三年弱しか経験のない自分に声をかけるなんて、思いもしなかった。
 一応、編成の違いはあれど全国大会に相当する大会である「東日本大会」に出場していた学校出身ではあったが、初心者だった一年生の時に部内の悲願である東日本大会金賞が達成され、二年生のときに自分がコンクールメンバーとして参加した際には、県大会銀賞止まりという大番狂わせな結果に終わった。その時の劣等感を未だ引きずっているような男が、一体何の役に立つというのか。
 帰宅後LINEで伝えることになった彼女の音への記憶を呼び起こす。

『伸ばしてる部分の抑揚?みたいなのがもうちょいあってもいいのかなぁって思ったのと、一人で吹く場面はもっと息入れて吹いてもいいんじゃないかな〜とは思ったかな』

 絞り出したのに曖昧な感想を述べることしかできないのが悔しい。人の演奏を聞く余裕と音を表現する語彙がもっと自分にあれば。
 むしろコノミの方が俺に何か言いたいことはないのか気になったため『逆になんか俺の音に指摘ない?』と加えると、数秒後に返信が返ってきた。

『そっちの演奏についてってどのくらい言っていい? どのくらいだと傷つく? ちなみに私は喧嘩売ってんのかってくらいズケズケ言って欲しいです。音程ミリずれとかでも耳に障ったら言って欲しい。次回からよろしく!』

 オブラートに包んでほしいか否かという選択肢を突きつけられるとは思いもしなかった。「どのくらいだと傷つく?」の文言に一瞬気後れするも、すぐに返答した。

『言え言え全部言え こちとらメンタルだけが取り柄だから笑』

 躊躇われた指摘に価値など感じない。

『さすが〜』

 その返信を最後に、トーク画面が動き出したのは十分後だった。

『基礎とか全体的に今年四年目って考えるとかなり吹けてると思う。下手に引くことも無くちゃんと音出せてる印象。バッキングマジで上手いよね。曲の時とか結構参考にしてる!ただ、楽器を鳴らしきれてないなのが勿体ないかな。ちゃんと鳴るところに息が当てられてないのか、単純に息の太さが足りないのかは分からないんだけど、音の濃度もっとほしい。今だと結構か細いというか、もやし?体感はしっかりしてるけど痩せてるみたいな。おいしいオレンジとかみたいにぎっちぎちにつまった音が理想。ロングトーンは最後の方投げてる感じに聞こえちゃうから、低音は最後に余韻を残す為に長めに残さなきゃいけないっていうその役割をもっと意識してほしい。君は発音めっちゃ上手いから、余計に中間の意識薄まったなって感じの音とか処理の投げやり感が気になる。』


 あまりの文章量に面食らい、言葉の意味を認識するのに少し時間がかかった。具体的で的を射た指摘たちが次々と襲いかかってくる。


『的確すぎて泣ける。マジでありがとう 
ここまで具体的で真剣に指摘してくれた人いなかったわ』

 思ったことをそのまま吐き出す他なかった自分の言葉を遮るように『曲』と一文字送られてきた刹那、

『誤解を恐れずに言うと、気持ちよく吹けてていいねって感じの音がする。良くも悪くも。ノリよく行きたいところはちゃんとノッてるからそこの聞こえはいいし、サークルのレベル的には今のままでも全然問題ないんだけどね。背景になる時の表現が貧弱な感じする。すっごい極端に言うと、pにしたいから息潜めて吹いてます、だから表現の幅狭いです、みたいな。これ比喩だよ。とにかく、目立たないところと目立つところの差が音量くらいしか分からないから空気感もっと変えられるといいかも。他の曲でも必要になるし。それに付随して、音量の差の振れ幅が多いかなとも思う。小、普通、大くらいしかない感じ。もっと中間点がほしい。せめて大の中に三段階ほしい。小の方はまあ難しいから…… ロングトーンの時に段階踏んで音量操作してみるとかかなり有効だよ。一拍目ppから初めて、均等にボリューム上げていって四辺りで吹きやすい音量に到達してそっからppに下げるとか、これを吹きやすい音量から初めてffまで均等にあげて戻すとか。スパン短かったら倍にしてもいいし。これは私も課題だなって思って高校の時に教わったやり方なのでオススメです!合奏で特に思うのは、低音のわりに乗りにくいなってこと。安定感がない訳では無いんだけど、結構浮いてて跳ね回るから乗るのが難しい。木管低音というより低音で吹いてくれるサックスって感じする。ここら辺は割と意識の問題なので直しやすいかも。伴奏の時は地べたに寝っ転がって上に乗ってる人たちを際立たせてあげる、くらいの意識で吹いてみて。』

 トーク画面が一斉に彼女の返信で埋め尽くされた。ただ指摘するだけでなく、俺の音の長所も挙げた上での改善点と練習法が無数に並ぶ。たかが数ヶ月共に演奏しただけで、これだけの意見を他の奏者に持てるのか。高校時代のサックスパートの先輩にかなりキツく指導されたことがあったが、ここまで言い立てられたことは初めてだ。

 数年間積み上げた音色がいとも簡単に暴かれていく。本来屈辱に感じるべきところだが、湧き出るのは高揚感。突然逆境に立たされたような感覚がむしろ自分を駆り立てる。

 彼女に追いつきたい、認められたい。

 あの華奢な体躯の何処にこの気概と熱を仕舞っているのか。いずれにせよ、俺のために言葉を紡いでくれたことが、裏表のない言葉で向き合ってくれたという事実が、何よりも嬉しかった。


↓次回

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