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バンクーバーのカフェのオープンに関わる。#1

前回の日記からの続きです。
日本でレストランのインターンを終えてバンクーバーに帰国してカフェのオープンに立ち会うことを予定していたのですが、バンクーバーに戻る二週間くらい前にそのオープンが大幅に遅れるというメールが届き、途方に暮れていました。
が、長年飲食業界で働いてきたのでバンクーバーの地元に色々知り合いもいるので聞いてみようと思い立ち、昔の上司に連絡すると、彼女がヘッドシェフをするイタリアンレストランで人員募集しているとのことでカナダに戻って即面接、採用してもらいました。
バンクーバーは2016年くらいからクラッシックなテイストを残しかつ前衛的なイタリアンレストランが増え始めたのですが、上司が働くレストランは、そのモダンイタリアンブーム(って呼んでいいのかわからないけど)先駆けの一つだったレストランでした。

ローカルの農家の野菜をふんだんに使い、薪のオーブンがあるお店。
紹介してくれたその元上司自身、美人でとても素敵な人なのですが、女性ながらにそんなワイルドなレストランでヘッドシェフとして働いていた(現在は別のレストランにいます)、格好いい、尊敬できる先輩です。

フィールドトリップで農家を見学したりもあり、毎日忙しく新しく学ぶことも多く、ここでも楽しく働きました。上記写真は農家訪問の際の写真で左側にハーブや食用花が植えられているんですが、二匹の猫はそこに植えられているまたたびでハイになって遊んでる様子です。
週に何度か届けられるみずみずしいローカル野菜を扱うのはとても嬉しい作業でした。(野菜だけでなく肉ももちろん質の良いものを使い、ラムがまるごと何頭も届いたりしていました。)
オーナーシェフは狩猟が趣味で時々彼が獲った肉を持ってきてスタッフミールにしたりという日もありました。
毎日の仕事タスクだったトマトソースのベースの仕込みの工程を覚えたのは私にとっては宝物です。

その仕事が休みの日はカフェのオープンの準備でメニューの制作や事務作業などを進めていました。カフェのオープンの内容については後日また話すことにします。

楽しかったのも束の間、3ヶ月ほど経った時、病気になってしまいました。
あまりにも忙しく、そして重いものを持つ機会が多かったためか持病が発症。私は数年前の脳震盪の後遺症を持っていて重い物を持ち歩くのは制限すべきだったのです。
病気の後遺症というかアフターケアは医師にもどのくらいの制限が必要なのか見当をつけるのは難しいもので、本人が経験してわかっていくしかないのです。
それまでは15キロくらいを上限にしていましたが、どうやらその上限は間違っていたのか今まで出なかった病気が悪化してしまいました。
めまいと息切れで長距離が歩けなくり、その仕事を辞めることにしました。

しばらく動かずに休まなければならず、自宅でカフェのオープンに関わる事務作業だけをしていました。カフェには親会社があり、そこから事務作業分のお給料はでていたのでこの仕事があっただけでもラッキーというべきでしょうか。いや、元はこのカフェのオープンが遅れなければこんなことにもならなかったはず。とはいえ事実上カフェはオープンしてないから愚痴もいっていられず、その時点でできることをしていました。
今思えばヘッドシェフとして現場で働く前に自分の体力の上限を知ることができてよかったと思います。
次回はそのカフェのオープンについて書こうと思います。

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