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私の物語はいつだって憧れから14話

【私の道標】

料理の世界に憧れ足を踏み入れたばかりの20代前半。

輝いてみえる料理人はいつだって堂々としていて、言葉なんて必要とせずに人の心を魅了する料理を披露してくれる。そんな姿に憧れて漠然とではあるが、私は自分が目指すべき理想の料理人像を少しずつ思い描き始めていた。

魅力溢れる料理人からは、いつだって料理のジャンルに関わらず優れた技術、広い知識と行動力をテレビの画面越しから感じ取れる。

自分もいつかは彼らのように人を魅了する料理人になれるのだと自分に期待もしていた。時間はかかるだろうが、有名なレストランで働き始めれば、着実に学びたい調理技術、食材の知識や扱い方は自然と身につけることができるっと・・・

しかし実際はどうだろう・・・調理技術に知識はおろか、何一つ他人に誇れるようなことを身につけることができていない自分に気づくと、

『今の自分は目標に近づいているのだろうか?』

『そもそも今進んでいる道の方角は何処に向いているの?』

『この先に私の理想はあるの?』

と疑問が湧き上がってくる日々を過ごしていたのが日本で働いていた20代の私である。

同年代のフレンチ料理人が、フランスに渡り星付きレストランの最前線で活躍している姿をテレビや料理の専門誌で知る度に

『自分は一体何をしているのだろう・・・』

と自分に問いかける度に、何処か自分に期待していた自分自身が恥ずかしとさえ思っていた時期が何年も続いていた。

『このままでは自分が駄目になってしまう・・・何が何でもフランスに行いってフランスで料理をしないと・・・』

そう気づくまでに既に多くの時間を費やしていた。結局自分の思い描いていた料理の道を歩む事ができず理想に近づくことすらできなかったのだ。

今、当時を振り返ってもお世辞にも料理の才能に恵まれていたとは言えないし、何をするにも不器用な自分であった。

そんな20代前半の自分がいつかは必ず理想の料理人になれるのだと諦めず、目を逸らさず前を見続けた事はしっかり褒めてあげたいと今でも時々思い返す時がある。

ただ一点だけ、寝ても覚めてもフランスでレストランの最前線で働く自分の姿を描き、祈るように願っていた。

それだけが20代の私の希望の道標であったから。

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フランスの三ツ星レストラン

2010年の9月も3週目に入る水曜日、今朝もいつもの広い部屋の隅にある木造のシングルベットの上で目を覚ます。

しかし私が目を覚ましたのはオーベルジュで働いていた時に比べて2時間も遅い朝の9時をとうに過ぎた時間。部屋の大きな窓からは朝日が差し込み、私が横になっているベットにまで朝日が覆いかぶさり始めていた。

窓を開けると9月の冷たく湿った空気が部屋の温度を一気に下げ、私の寝ぼけた頭を一瞬で目覚めさせてた。

今日から私の職場は三ツ星レストランの調理場になる。

通称ガストロと皆が呼んでいるジョルジュ・ブランの本店だ。

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ガストロは年中無休のオーベルジュとは異なり、月・火曜日の2日間の定休日であり水曜日の19時から営業がスタートする。ガストロで働いている料理人は水曜の午後13時頃から調理場に入り当日の夜の営業に向けて仕込みを始めるのだ。

6月から3ヶ月間働いたオーベルジュでの仕事は、コージとガストロの料理人に連れて行ってもらったキノコ狩りをした前日の日曜日が最後の日となった。

最終日は仕事中から営業が終わった後でもオーベルジュの仲間達から、

『ガストロは大変だよ!シェフはクレイジーだし仕事も難しくなる。
オーベルジュに残って、俺達と一緒に働きなよぉ』

と冗談半分ではあるが、彼らに仕事中ずっと同じことを繰り返し声をかけられたことは、ちょっぴり嬉しい気持ちになれた。

それだけ短い期間ではあったが、彼らの冗談交じりの言葉からオーベルジュで働く皆に貢献できたのだと実感できたからだ。

私は今日からコージにガストロの仕事の指導を受ける事になっている。

しかし、それはたったの一週間だけ。

一週間と言っても水曜の午後から日曜日までなので実質4日間。

実は既にガストロで働いていたコージは、ワーキングホリデーヴィザでの滞在期限がせまっており、9月下旬には日本に帰国しなければならい。

そこでガストロの料理長・シェフ・デミューは、同じ日本人の私を呼びコージから指導を受けて彼の代わりを担うように私を指名したのである。

本来他に肉部門を担当していたフランス人がいたのだが、その彼は体調不良で暫く現場を離れていた。

そこで数週間前からコージがヴィアンド(肉部門)の担当になっていた経緯と重なり私はコージからヴィアンドの仕込み、仕込みの数や道具の場所、営業の流れ、注文の仕方に掃除のやり方などありとあらゆることを学ぶ必要があった。

フレンチの料理人にとってヴィアンドと言ったら当時のフランス料理の星付きレストランではソースを作る、ソーシエに次ぐ調理場の花形的な存在。

しかも三ツ星レストランの調理場。

そしてレストラン・ジョルジュ・ブランは世界に誇るブレス鶏をはじめとする地域に根づく良質な食材やワインをメインに提供し続け、長くミシュラン三ツ星を保ち続けてきたことで有名なレストランである。

長い歴史と恵まれた食材に囲まれている環境の三ツ星レストランで働く事は大変光栄なことである。

日本人のフレンチ料理人の多くが憧れるフランスの星付きレストラン。

テレビでしか見たことない広い調理場、緊張感のある空気、そしてフランスの本場の食材。

ずっとずっと日本にいた当時から憧れていた環境にやっとたどり着いたのだと思えた。

日本で働いていた当時からフランスのレストランで働くことを目指し、いつかは本場の星付きレストランで働いてフランスの環境・食材・技術に触れたいと長い間祈るように願っていた私にとって、本格的に料理に触れる機会がやっと訪れたのだ。

日本では歯を食いしばるような悔しい思いをしていた日々の連続。

日本の有名店で働けば、自分が学びたい技術や知識は仕事をしながら取得できると思っていたが、実際は昔から日本の料理業界にあるパワハラ、理不尽な暴力、過酷な残業、休日出勤など、私が学びたかった技術や知識の本質に触れることが殆どできないでいた。

また料理とはかけ離れた指示を受ける日々の繰り返しの環境では料理を楽しいと思える気持ちから離れていくばかりであったのも事実。

どうにか技術だけは自分で身につけようと、休日朝早くから築地市場に足を運び食材を自分で購入しに行っては、自分自身で料理の技術やレシピを独学で学ぶことだけは続けていた。

だがやはりそれにも限界がある。

自分自身を根本的に変えてくれる物があるならばそれは、本場フランスに行って星付きレストランの現場で働くことなのだとその当時は本気で信じていた。

だから不遇な環境にいても、唯一私を支えてくれたのはフランスにある
『本場のフランス料理』の存在だった。

いつかは、自分もテレビの画面越しに眺めていたフランスの星付きレストランの調理場の最前線で働きたいというその思いだけを頼りに、今日まで歩みを止めることなく着実に進んできた。

やっと【本物のフランス料理】にふれる機会が訪れたのだと気分は高揚していた。

もちろん不安はあった。確かな技術、知識、経験もなければ始めて料理を本格的に始めるレストランが三ツ星レストランなのだから。

あの日抱いた緊張感、高揚感は当時の私にとって特別な感情であった。

仕事を一緒に始めるためにコージに指定された時刻は13時。

時間の10分前にはガストロの調理場裏口に到着して私はコージを待っていた。ガストロで働く他の料理人たちも次々に調理場に入ってきて自分たちの持ち場に散らばり始める姿を横目に、高鳴る気持ちを抑えていた。

今日から始まる私の憧れていた人生の始まりである。

それでは今日はここまで!!

続きは【私の物語はあこがれから15話】にて!!

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Chef Ichi


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