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あれから、これだけの年月が経過した

今日は、午前中11時前から家族でお寺に行った。

今日は、少し早めの法事だった。あと、お墓参り。

そのため、昨日の夜から妹が帰省している。(明日の午前中の新幹線でもう帰っちゃうけど)


昨日までは天気が良かったし、比較的温かかったはずなんだけど、今日こんな日に限って、生憎の雨。

車でお寺に向かって、本堂へ行く前の待機所へ。

建物の敷地内は大小の細かい砂利が敷き詰められていて、待機所の出入り口の手前には少し段差があり、うちの家にも置いているような、段差を埋めるための黒い板が置かれていた。

建物の出入口の前で車を降り、足腰の悪い90代の祖母を誘導して歩き、出入口のドアに手をかけた時だった。

「あっ!」と祖母が叫んだと同時に、雨で濡れて滑りやすくなっていた黒い板のところで足を滑らせ、そのまま後ろへ、頭から真っ直ぐに転倒してしまった。まるで、降り積もった雪の上に身を投げるような感じで。

もう、祖母が足を滑らせて倒れた瞬間、「しまった!!」と思ったし、もしこれで何かあったら…と考えて思わず凍りつきそうになった。

先に待機所に入っていた妹が大急ぎで駆けつけてくれ、車を停めて待機所に来た父も慌てて駆け寄ってきて。

幸い、骨が折れている様子はなく、家族からの問いかけにも普通に応答ができているため、父も妹も私も胸を撫で下ろした。

そのタイミングで、待機所の中の人が急いで車椅子を持ってきてくれて、祖母を車椅子に乗せ、待機所の中へ。

頭にたんこぶができているかもしれないけど、血は出ておらず、脇腹が痛いとは言っていたけど、これまでの10数年の間で何度も転倒しては骨粗鬆症で骨折してきた時のように、痛くて声がでなくてまともに喋れないというようなことはなかった。でも、念のため、後日病院に行くべきだろうなあ。

今回こうして幸い骨折しなかったのも(たぶんだけど)、約1~2年前から、骨粗鬆症を治すために骨密度をあげるための注射を打っているため、骨がスカスカだった以前よりも骨密度が70代の人くらいにまで回復しているからかもしれない(今日父から聞いた話だけど)。凄いよね、今の医療の力って。


少し落ち着いて、前の方の法事が終わったので、本堂へ。本堂に上がるのにも、脇の坂道は意外と急で。ゆっくりと車椅子を押して上がり、それからさらに中に入るのに段差の大きい階段を登って中に入った。


それから、法事が始まり。お経を聞いて、順番にお焼香をあげた。

今月は、父方の祖父の23回忌と、母親の17回忌だ。

母親の命日はあと2週間ほど先だし、父方の祖父の命日は年末だ。


・・・もう、あれから23年と17年なのか。


"もう"だけど、母親が亡くなってからの17年(正確に言うと16年)の月日は、やっぱり長かったな、と思う。

当時、私が小6だった頃の12月に病気で亡くなり、お通夜、お葬式をして、四十九日を迎えて。

その頃の私は、中学受験を控えていた中学受験生だったこともあり、勉強にもかなり影響が出たなあ。まあ、全然第一志望ではなかったけど、なんとか受かって中学には入れたし。よく頑張ったよね私。

中学を卒業し、中高一貫だったのでそのまま高校にエスカレーター式で上がって。高校生活はかなり色々なことが起きたけど、なんとか卒業して。

大学は、現役で受からなかったから、父が一浪していることもあり、一浪までは許してくれて。

散々迷惑かけたけど、なんとか一浪で大学受かって。

でも、実は高校3年の時に、当時仲良くしてくれていた親友からの外的コントロールや過剰なわがままなどが原因で、それらを我慢しすぎた結果、心の不調を引き起こしていた。でもそのことを、誰にも言えずにそのまま過ごし続けた結果、大学3年の時に精神的にも身体的にもすり減りすぎて空っぽになって、ボロボロになって潰れてしまって。

大学の在学期間が伸びることを懸念して、どうしても休むことに抵抗があったけど、もうその頃、頑張る気力は一切残っていなくて。奨学金とか特にやっていなかったこともあり、父にはさらにプラスで1年分の負担をかけてしまうことになるから、本当に本当に、申し訳なさでいっぱいだった。

私が在籍していた学科は、休学が半年でも1年でも、休んだ翌年にもう一度同じ学年をやり直さないといけなかったから、ほとんど知らない、接点も少ない1個下の台の後輩たちに混じって、残り2年の大学生活を過ごすことには抵抗があったけど、背に腹は変えられなくて。散々悩んだ末に、締め切り日ギリギリで休学届けを提出したっけ。半年休むくらいじゃ、到底足りないのは分かっていたけど、そうするより他になかった。

半年休学した後、復学して、なんとか2回目の3年生を終え、最終学年に。ゼミの卒論もなんとか無事こなして。人より少し多い、5年間の大学生活に、人生最後の学生生活に終止符を打った。

学生という身分と肩書きが外れ、(本当はいけないけど)自分のメンタル面が全然回復していない状態であることを隠して、社会人になり、「分かってる、こんなんで1年も持つはずがない。研修の時点で死ぬほどしんどかったのだから。」と思いつつ、プライベートでの周りの人達からの支えもあり、なんとか無事に持ちこたえた。

あまりにもメンタルも身体もひどい状態だったから、学生の時にfacebookで友人づてに知り合ったデトックストレーナーの方を覚えていたので、自分から声をかけ、直接会って話を聞いてもらって。その後、準備期間を経て、人生初の2週間のデトックス(いわゆる身体の中の大掃除)をした。

本当に、毎日あまりにもしんどくて死にそうだったから、藁にもすがる思いでとても大きな選択をした。でも、本当にこの時のこの選択がなければ、今の私は確実にいなかったし、覚えていてよかったと思う。

それで、(本当は2週間じゃ全然足りなかったのだけど)なんとか身体を一旦リセットして、持ち直すことができ、その後、社会人2年目~3年目にかけてプライベートで関わった場所と出逢った人達とのかかわりにより、メンタル面が劇的に回復した。

まあ、だいぶ元気になったとはいえ、もちろん未だにメンタル面の波はあるけど。

そして今、日々沢山の方々に支えられながら、社会人4年目を過ごしている。


小学校を終え、中学に上がり、高校を卒業して一浪し、大学に上がり、途中で半年間休学して、大学を卒業して社会人へ。そりゃあ、長いわけだよね。数年単位でこれだけのプロセスを経てきているんだから。


あの日から、大きく変わってしまったものや失ってしまったものも、変わらないものもあるけれど。

私は今、ちゃんと生きてるよ。

途中、1回だけ危なかった時もあったけど。

これからも、命あるかぎり、ちゃんと生きていくよ。


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