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語彙力の著しい低下。私にとっての読書と語彙力の関係。

どうも、おはよう、こんにちは、こんばんは。

今日もお疲れさま。

私のnoteにお立ち寄りいただき、ありがとうございます。


今日は、投稿のタイトルにもある通り、"私自身が感じた、感じている、読書と語彙力の関係性について"書いてみることにする。


以前、私自身のことについて書いた時に、私が学生時代にうつを患っていたということについても書いているのだけど、うつを患って以来、長い間ずっとできなかったことがあった。もちろんそれは、1つだけに留まらないんだけど。

私の悩み事との関係性について、ネットで調べて出てきそうな内容とかではなくて、あくまで私自身の経験として。

noteやシステム手帳に書きたいこと、書いておきたいことを、昨日色々と考えながら、スマホのメモに打ち込んでいた。だから、まずはこちらに書いておこうと思う。


鬱になって、回復の途中で環境と人生におけるステージがガラッと変わり社会人になって、いつだったかな。もうだいぶ前のことだから忘れちゃったけど、ある時から急に頭の中で言葉が出てくるスピードが極端にゆっくりになった。そして、話すスピードまでもが極端にゆっくりになってしまった。なんだこれ。こわい。やばい。と思ったけど、普通に話せる時はなぜか話せる。ただ、時折話していて、なんだか頭の中身が本当に空っぽになってしまったかのような。自分で言葉の出てこなさに違和感を覚えるほどのレベルになってしまった。

以前、不安になりすぎて、ネットでうつ診断をやってみたところ、設問の中だったか、うつにまつわる諸症状についての説明だったかの中に、"話すのが極端に遅くなる"みたいなことが書かれていて、思わずハッとしてしまった。まだ、私はやっぱり回復しきれていないのではないか、と。いや、回復はできたけど、うつを経験したことによる影響は少なからず残っているのではないかと。(まあ、そりゃ残るよね。)

ただまあ、もう社会人になってから結構経つし、そんなことをいつまでも悩んでいても仕方がない。むしろ、知った上で、"じゃあどうするか"が一番大事なところだ。

さて、少し話が逸れてしまったけど、私が話していてすぐに言葉が出てこなくなった理由として、ある時1つの大きな答えにたどり着いた。"読書"だ。


"言葉が出てこない"、"話ができない"ことの1つの原因として、心の不調をきたしてうつになって何年も過ごしていた間、"趣味としての読書が全くできなかった"ことが大きな理由の1つとして挙げられる。

大学時代、授業のテキストや課題の本はなんとか読んでいても、それ以外の通常の読書がまるでできなかった。ページを捲って、最初の1行目だけ読み始めても、その後にどうしても進めずに、何十回と挫折を繰り返した。
昔から読書が好きだったし、小学校の時はよく本を読んでいた。中学生の時も、授業と授業の間の休み時間や、登下校の電車の中など、空いた時間やすき間時間があれば必ず本を読んでいた。当時は読む本のほとんどが、青い鳥文庫などの文庫本だったなぁ。


詳しくは過去の投稿で書いているけど、高校の時に、人間関係で無理をしすぎて心の限界を超えてしまって、大学生から社会人3、4年目くらいまで、精神的に落ち込んでいた。その間、大好きなはずの読書が全くできず、

"ひょっとしたら、私は読書が嫌いになったのでは?"

"あんなに好きだったはずの読書が全くできないって、どういうこと?"

"私、いつになったらちゃんと本が読めるんだろう・・・"

とずっと思っていた。

・・・そして、大学以降、わりと最近まで何年もずっと続いていたこの悩みは、昨年のコロナ渦での初の緊急事態宣言が出された頃、社会人になってから初めてこんなに時間もできたし、また本を読むのにトライしてみるか。。と思い、"まあ、またダメかもしれないけど、気楽にやってみるか~"くらいの気持ちで、積ん読になっている大量の本の中から、数年前に友達がお誕生日プレゼントに本屋で買ってくれた、ラノベに近いような小説を手にとって読み始めてみたところ、なんと読めるようになった。

ただ、もしかしたら、読めるかどうかは、本のジャンルにもよるのかもしれないけれど。私はまだ、意外とそこまで多ジャンルに渡って本を読んでいないと思うし、好きで本屋でよく平置きになっているものを眺めるのは、ほとんどが小説や自己啓発系の本だと思う。


あと、話すスピードが極端に遅くなってしまったり、言葉が出てきにくくなったり、こうしてブログを書いている時もうまく言えなかったり、たまにしっくりくる言葉が見付からなかったりするのは、"長い間読書ができなかったから"なのかもしれない、と、読書がまたできるようになって、めちゃくちゃゆっくりと何冊か読んでから気がついた。


昔、暇さえあれば本を読んでいたような頃の私は、無意識に本から新しい考えや価値観、感覚、言葉、文章で使われる語彙、文章における表現、本の著者の想い・・・など、本当に様々なものを本から受け取り、吸収していたのだと思う。

だから、当時は周りや友達から、

「なんでそんな言葉知ってるの!?」

「なんでその字が書ける/読めるの!?」

とか言われることもよくあった。

この言葉、この間読んでた本の中で見たなぁ。。とか、読み方分からなくて調べてみて、意味知っててよかったなぁ、とか。


ただ、大学生からのこの5年以上もの間、学業における必要最低限の読書以外にはほとんど本を読めていなかった私の脳内は、うつという精神疾患も相まって、大きく変わっていってしまったのだろう。
自分の中にある語彙力が、言葉の種類が、言葉の引き出しが、気付けば自分でも怖くなるほどに失くなっていたのだ。

・・・いや、失ったのか、ただ単純に減ってしまったというべきか。。


ただ、おそらくどちらの言い方も、この感覚を言葉にするには正しい表現じゃないかと思う。これほどまでに、自分の中の"語彙力の引き出し"が"空っぽになったような"感覚は初めてて、正直、一体私はどれだけ頭が悪くなってしまったのだろう・・と本気で怖くなった。

でも、うつを経験して失ったもの、失った感覚は大きいし、思い出せないものも山程あるけれど、同時に、昨年あたりでようやく大幅に回復してからは、うつになる前の、本来自分が持っていた感覚も、だいぶ戻ってきている(戻ってきた)ような気がする。

"あ、こういう感覚久しぶりだな"とか思えると、"ちゃんと取り戻したんだな"って思えて、嬉しかったりもした。


もちろん、大きく変わってしまった部分も沢山あるけれど、それでもまたこれから、この先沢山の本との出逢いや多くの経験を通して、また数えきれない程の言葉と沢山出逢えばいい。そしてまた、自分の"語彙力の引き出し"を一杯にしていけばいい。


そんなふうに思えてきた。


書くことや話すことなど、"表現すること"において、自分の中にあるものをうまく言葉で言い表せないことほどもどかしいことってないと思う。たとえ、しっくりくる言葉が見付からなかったとしても、"全くなんの言葉も出てこない"よりは、なにか他の言葉であったとしても、何か言い表すことができる自分でありたい。

noteやシステム手帳に書き出したり、書き留めておきたいことを色々と、忘れないようにスマホのメモに打ち込みながら、そんなことを考えていた。


語彙力の著しい低下が起きていたとしても、語彙力なんて、またいくらだって増やせるから。

今はまだ、自分の中では語彙力のなさや、言語化する力の低下を強く感じてしまっていたとしても、大丈夫。
語彙力なんて、またゆっくりと、増やしていけばいいのだ。


表現力だって、ほんとまだ全然ないと思うけど、色んなものを見て感じて吸収して、磨いていけばそれでいいのだ。


どうしても、自分が納得しないとスッキリしないし進めない部分もあるけど、自分のペースで、ゆっくりと。


自分なりの"語彙力"も"表現力"も、高めて磨いていきたいと思う。



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