竹内 愛子

古代竹内一族をこよなく愛してます。『古代竹内一族』を調べています。 私自身の家系は、お…

竹内 愛子

古代竹内一族をこよなく愛してます。『古代竹内一族』を調べています。 私自身の家系は、お爺様曰く「九州から日本海側北陸伝いに移住し糸魚川から南下して生坂村に定住しためちゃくちゃ古い竹内」だそうです。ご指導ご鞭撻の程よろしくお願いします。

最近の記事

其々の始まり 竹内氏

竹内さん始まりの歴史。 景行帝裔諸氏 綾氏族 綾氏、景行天皇の皇子ヤマトタケルの後なり、祖を長継といふ。 綾氏家圖に友久長久ー長家ー長継(竹内又三郎)ー長吉ー長氏と見ゆ。 守部氏族 首藤氏流 守部裔首藤氏族 浅羽本山内首藤系圖に首藤通綱の子通明、號竹内と見ゆ。 菅原氏族 參議長成の二男成光の後胤なりと云ふ。 姓は菅原氏天穂日命の後、長成二男成光 竹内に改む。家紋丸に三引、梅鉢。 清和源氏、平賀氏族 清和源氏、源頼義の子義光より出づ、立家の祖氏治といふ。 京都。

    • ふたりの吉勝

      竹内吉勝(1581-1654)享年73 天正18年に東照宮に仕え御側小姓を勤め蔵米200俵、その後大番となり大阪の御蔵奉行に転勤でプラス新恩100俵の給料。なので合計300俵。 村上吉勝(1574-1637)享年63 天正17年に東照宮に仕え、13歳で下野國都賀郡500石、その後、駿府にて印籠を貰ったり、上総国佐貫庄の650石を貰ったり合わせて1150石の御朱印が下りました。のちに大番、番、小普請になりました。 【共通点】 名前 安土桃山時代から江戸時代初期 東照宮 2人

      • 源氏 竹内數馬さん

        敏久(數馬)さんの家系譜は理左衛門の官職名が付いている盛清がいるので可能性としては村上源氏系ではなかろうかと推測します。 系譜 こちらの竹内さんは支配勘定という筆算ができないといけない職に就かれています。 竹内理左衛門某(長十郎)は1667年から1723年の享年56。 竹内理左衛門繁高(理八郎)は1692年から1741年の享年49。 竹内勘左衛門繁久(數馬)は田安の勘定奉行に勤めるが…。 竹内理左衛門某(繁久の息子) 宝暦4年3月に敬って、鳥目(銭)1貫文を献上し断絶。そ

        • 橘姓 竹内御三家

          敏逹天皇出左大臣橘諸兄後胤先祖 「竹内」今の呈譜に、橘氏にして五六左衛門吉實 三河國下條竹内村に住せしより称号とすと言う。 吉実一家 幸行一家 幸友一家

        其々の始まり 竹内氏

          宇多源氏 佐々木支流 竹内氏

          家紋 丸に蔦 義壽(よしなが/興五郎半十郎) |− 女子(富永数馬守平が妻) |− 善明(八百三郎左門)    |− 善高(善太郎)    |− 某(栄蔵) 義壽は宝歴12年7月御徒にめし加えられ、のち御作事の下奉行に転じ、拝謁を許される。寛政3年11月23日小普請方となり、5年3月23日仙波御宮諸堂社及び三芳野天神等のい普請をうけたまはりてかの地に赴く。 ※推測 元禄15年頃〜宝暦8年(1702〜1758) 善明は寛政3年12月22日に初めて将軍家(家斉)に拝謁し8年

          宇多源氏 佐々木支流 竹内氏

          村上源氏 竹内

          発祥 諸家系譜には、先祖である久我右大臣従位師房公末葉≡少将尚治朝臣が竹内と称す。(佐々木某の家臣竹内左近右衛門長次。) 本國 江州(近江国)/家紋 源氏車 四目結 家伝に、久我の末流なり。青木又蔵兼重の長男 正勝が竹内盛清の養子になり、神田の館に仕う。 家系譜 【云い傳】 青木又蔵の父 青木五郎右衛門之貞は大神君に召し出され大阪両御陣に供奉。その後病身により閑居(近江國甲賀郡) 正勝(1607ー1693)近江生まれ 竹内≡少将尚治朝臣の後胤で江州甲賀郡で檜物店の長者

          村上源氏 竹内

          垪和竹内氏の系譜

          【感想】 久盛さまのルーツです♡ 豊治が垪和に移住したらしい。 垪和竹内氏の奇妙なところは為信。。。 為縁の息子に為信。 為縁の息子の為長の息子にも為信。 この為信は同一人物ではなかろうか?しかし、確証がありません。 もう一つ、為就も。。。 為縁の息子である為就が猶子に豊治の子になってるんですよねー。そうなれば、為縁はお父さんでもあり、従兄弟でもあるというややこしい関係に。 しかし、これも確証がありません。ズーン。

          垪和竹内氏の系譜

          清和源氏 竹内氏

          【家譜】

          清和源氏 竹内氏

          竹内家【公家・華族】

          竹内家(たけのうちけ / たけうちけ)は清和源氏平賀氏庶流の公家・華家。公家としての家格は半家、華族としての家格は子爵家。 概要 いわゆる堂上源氏で家系は清和源氏の一家系・河内源氏傍流の信濃源氏平賀氏の一族の流れである。大内惟信の系統である竹内信治(左近将監)・氏治(竹内大夫)父子が竹内を称したのに始まる。家業は弓箭と笙と和歌。 久我家の諸大夫だった氏治の子孫の正三位大膳大夫・竹内季治(1518年 – 1571年)の時代、竹内家は堂上家に加えられた。 竹内惟庸は冷泉派の歌

          竹内家【公家・華族】