清和源氏 竹内家

竹内氏はいろんな地域で生まれてきた中でも、最もメジャーな公家の竹内さん。

竹内家(京都)
【清和源氏、平賀氏族】

清和源氏、源頼義の子義光より出づ、立家の祖氏治といふ。
平賀盛義の後なり。武田系圖に義光の子平賀盛義、公家竹内祖と見ゆ。竹内系圖に大內惟時-信治-氏治(竹内太夫)-仲治-清治-重治-豐治-基治-秀治-季治-長治-孝治-俊治と見ゆ。俊治の後は惟庸-惟永-惟重-惟久-惟榮-惟德-惟敬-惟和-惟賢-惟忠-。現今子爵。

【家譜】

竹内氏 公家1
竹内氏 公家2

公家の竹内さんで最も有名な季治さん。世々久我家の諸大夫たりしが、永禄3年正月将軍・足利義輝の執奏によって竹内家は堂上家に加えられた。季治の妻が義輝の乳母だったようで将軍家とも親しい関係だった。しかし、季治は織田信長のことを「熟したイチジクの如く木より地上に落ちるだろう」と評したために信長の逆鱗に触れ、元亀2年(1571年)9月18日に近江永原で斬首された。

季治の法華経への熱い思いが自らの首をハネてしまった。
「口は災いの元」を教訓とさせていただきます。

参考文献
改選諸家系譜続編、群書類従、系図纂要、諸家知譜拙記五、

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