ふたりの吉勝

竹内吉勝(1581-1654)享年73
天正18年に東照宮に仕え御側小姓を勤め蔵米200俵、その後大番となり大阪の御蔵奉行に転勤でプラス新恩100俵の給料。なので合計300俵。

村上吉勝(1574-1637)享年63
天正17年に東照宮に仕え、13歳で下野國都賀郡500石、その後、駿府にて印籠を貰ったり、上総国佐貫庄の650石を貰ったり合わせて1150石の御朱印が下りました。のちに大番、番、小普請になりました。

【共通点】
名前
安土桃山時代から江戸時代初期
東照宮
2人とも息子が養子
竹内吉勝は中澤吉明が養子になる。
村上吉勝は竹内吉久が養子になる。
竹内吉勝の家系は酒井左衛門尉の家臣です。
吉久の父、竹内五兵衛某さんは酒井左衛門尉の家臣です。

同じ血族ではないかと思わざるを得ませんね。

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