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【最近のモスクワ】2024年8月

8月31日の日の出時刻は5時32分、日没時刻は19時26分です。

8月は、あっという間に過ぎてしまった印象です。特に、何もせず、最高の季節が終わろうとしています。

7000字を超えているので、お時間のある時に、目次を見て、気になるところからご覧ください。


夫から聞いた話

ある日、夫から聞きました。
夫「クラスナダールの71番学校の1年生が33クラスになるって、ニュースがあったよ。」

私「教室や、机や教科書などは、どうするんだろう?たしかに、甥と同じ学年だから、母親資本のときだけど、それにしても33クラスとは。」

夫「たぶん、ルガンスクとかドネツクとかからの難民の子も入学するんだと思うよ。」

私「母親資本でただでさえ、子どもの数が多いのに、ルガンスクとかは、ロシアになったけれども、勉強ができる環境ではないし、近いからクラスナダールにたくさん来たんだね。」

夫「33クラスで良かったよ。アルファベットが足りる。」←そこ!
ロシアでは、1A、1Б、1В、1Г、…というクラスになります。ロシア語のアルファベットは33文字だから、33クラスなら、アルファベットが足りると夫は言ったのです。

私「でもさ、1ъ 、1ьとかになった子がかわいそうだよ。」

教員が足りるのか?
教科書は貸し出し式だけど、足りるのか?
新しく購入するにしても、その子たちの学年が上がるにつれて毎年購入するけれども、翌年は、少ないのなら、在庫を管理するのも大変そうだなあ。
そもそも教室は足りるのか?
机や椅子も足りるのか?と、私は学校現場を心配してしまいました。

その後、ヤンデックスで検索したら、この話は、今年の話ではなく、2020年の話でした。

2020年の話なら、ルガンスクとドネツクなど関係なく、純粋に少子化対策の母親資本によって、子どもの数が増えたということです。

それにしても、夫は4年前の話をなぜ今頃?と思って訊いたところ、腹違いの弟から訊いたようです。

夫の腹違いの弟も、なぜ、4年前の話を今頃しているのか?

ВДНХは85周年

8月1日に、ВДНХは、85周年を迎えました。

80周年の時もそうでしたが、入り口のところに、85周年の飾りがあります。

植物

ナナカマドの実も赤くなっています。

毎年見ているのに、この時期になると、やはり写真を撮りたくなります。

ナナカマドだけでなく、他の植物も実ができています。

ライラックです。

近所のライラックは、花の時期に、皆さん、花を持ち帰るので、あまり実を見たことがありませんでした。

夫が言うには、この植物は、鳥は食べることができるけれども、人間が食べると毒になるようです。

「名前は忘れた。」と言っていました。

トチの木です。

名前を知りませんが、こんな実もあります。

散歩

無料博物館週間に、友達と一緒に博物館へ行き、その後、散歩をしました。

ニコライ・ヤポンスキーのイコンです。東京のニコライ堂を建てるのに、尽力した人です。

日本語が書かれていますが、このイコンを描いたイコン画家は、日本人のコミネユウコさんです。

日露戦争で亡くなったロシア兵を埋葬し、その数年後に、ニコライ・ヤポンスキーは日本で亡くなりました。

一緒に歩いていたロシア人が「革命前の看板だ」と教えてくれました。

値段が恐ろしいことになっていますが、日本のお菓子もスーパーで売られています。

外務省です。

ホワイトハウスです。

ここは、ヨーロッパ広場といい、ここには、ヨーロッパの国々の旗がありました。しかし、今は、全部外してあります。

ここへ来るのは、イルミネーションの時期だけだったので、噴水を初めて見ました。音楽に合わせて水の量が変わりました。

ウスペンスキーさんの命日にお墓参りへ行き、帰りのバスをバス停で待っている時の雲です。

バス停には、時刻表がなくなり、バスがいつくるのか分からなくなっていました。
あとから来たおばちゃんが、「だいぶ待っているの?」と訊いてきたので、あらかじめメモしておいた時刻表を見せて、「16分に来るよ。」と話したら、「これをどこから書き写したの?」と訊かれました。ヤンデックスの地図で見たことを伝えました。
よほど気になっていたようで、バスが来て、バスに乗る時にも、もう一度訊かれました。

ある日、バルコニーへ行くと、月がきれいでした。

満月ではなかったようです。

私のカメラでは、あまりきれいに撮れません。

そして、また、別の日。

夫が外から帰ってきたら、「満月だよ。」と。

日本のチーズケーキ

友だちが、「ペレクリョスタクには、日本のチーズケーキが売られているよ。」と教えてくれました。
私が行った日は、賞味期限が近付いているから、割引になっていました。

懐かしいなあと思う味のチーズケーキです。

夫と半分こにして食べました。

元の値段では、高くて買う気がしないので、割引になる日を待っていますが、なかなかタイミングが合いません。

お茶にはまる

1月下旬から2月上旬に日本からモスクワに来た友達とランチをしました。
その時に、友達が「シミとかしわにいい、美容のお茶がメニューにある。」と言いました。
私は全く知らなかったので、試すことにしました。
それが、これ。

ロシア語で、アブレピーハというお茶です、英語だと、シーバックソーン、日本語だとサジーと言います。

この時初めて飲んで、気に入りました。

そして、4月。展覧会『ロシア』のお土産売り場で、アブレピーハのジャムを見つけて、買いました。

でも、歯が心配なので、まだ開けていません。

さらに、7月に友達のお父様が日本から旅行に来て、その時も、アブレピーハのお茶を頼みました。

そして、その友達とある日、散歩をし、教会の売店に立ち寄りました。
そこに、アブレピーハのモルスがあり、友達がすぐに見つけました。さらに、友達は、セルギエフ・パサードの砂糖が入っていない飲み物を見つけて、大喜びで店員さんに大興奮で流ちょうなロシア語を話していました。
値段を訊いたら、高いなあと思ったので、私は買いませんでしたが、友達は買いました。
家に帰ってから、友達が「おいしかった。」というので、私も欲しくなりました。
見つけた教会は中心部にあり、残りは1本だったので、在庫が確実にあるかどうか分かりません。地下鉄に乗って行って、在庫がなかったら、ショックなので、近所の教会の売店に売られているかどうか探すことにしました。

教会は2か所あるので、まず近い方から行きました。
売店に着くと、鍵が閉まっていて、開いていませんでした。
開店時間のはずなので、もしかしたら、休憩中かなと思い、少し待つことにしました。その予感は的中し、10分ほど待ったら、売店の売り子さんが現れました。
そして、店内に入って、アブレピーハのモルスがあるかどうかを見ました。
残念ながらありませんでした。
そのかわり、アブレピーハのお茶があったので、それを買いました。

その後、この売店の他に、もう1軒売店があったなあと思い、そこも見てみました。中に入ると、冷蔵庫らしいものがないので、すぐにないと思いました。

しかし、店員さんとお客さんが、何やら話しています。

聞こえてきたのは、「ニコライ・ヤポンスキー」という単語でした。

何回も言っています。

そのうち、「日本人はニコライ・ヤポンスキーが好きだ。」などとも話しています。

思わず、「私は日本人です。」と2人の話に割り込みました。カタコトロシア語なのに、割り込む度胸はあります。

すると、2人のおばちゃんたちは、興味深々で、いろいろ訊いてきます。おばちゃんたちもべらべら話し、店員さんの娘さんは、日本語を学んでいて、1か月日本に行っているようです。

こんな風に、見ず知らずの人と気軽に話せるのもロシアのいいところです。


その後、さらに歩いて、もう1つの教会へ行きました。
そこには、大きい冷蔵庫があり、アブレピーハのモルスがありました。他にもリンゴジュースがあったり、イワン・チャイや、チャーガ茶などもたくさん売られていました。
店内をいろいろ見て、アブレピーハのモルスと

リンゴジュースと

チャーガ茶を買いました。

店員さんに、アブレピーハのモルスはいつもあるのかどうかを訊いたところ、夏だけということでした。
家に帰って、早速飲んだら、おいしかったので、翌日も買いに行きました。あるうちに買うのが鉄則なので、2本買いました。
さらに、違う味のモルスも気になったので、それも買ってみました。

開けたら24時間以内に飲み切らないとならないので、添加物も入っていないものです。

ここの教会の売店には、イワン・チャイがたくさんありました。スーパーでは見かけない味もあります。

チャーガ茶もたくさんあります。

さらに、帰り道に別の教会の売店に寄ってみました。
ここにもイワン・チャイとチャーガ茶がたくさん売られています。

そして、前日には気づかなかったけれども、チャーガ茶もありました。

店員さんも顔を覚えてくれて、「気に入ったの?」と訊いてきたくらいです。顔見知りになっておけば、これからも散歩を兼ねて、気軽に行けます。
4月に展覧会『ロシア』で購入したお茶も合わせて、このようになりました。

お土産として日本に持ち帰ると、箱がつぶれそうですが、美容や健康が気になる方のお土産にぴったりだなと思っています。
特に、美容が命の妹には、このアブレピーハのお茶のお土産は欠かせないと思っています。

そして、探しているときは、不思議なもので、シンクロニシティーが続きます。
いつも行くスーパーなのに、今までずっと気づきませんでしたが、今回、アブレピーハのジャムが売られていることを知りました。

しかも、値段も手ごろです。

ヨーグルトが余っていたので、入れて食べてみました。もうこれは、絶品です。

また、パンケーキに塗って食べてみました。

これで、アブレピーハとチャーガを一通り手に入れ、どこで買えるかも分かったので、しばらくこのマイブームは続きそうです。

そして、私のシミと白髪はどうなるか?その実験もひそかにしたいと思います。

バッグが直った

7月に、友達のお父様がモスクワ旅行に来て、案内している最中に2006年の初海外旅行の時から使っていたショルダーバッグのベルトが切れました。

その後、どこで修理ができるかを調べ、口コミなどを見ました。

さらに、修理する場所はどんなところかも事前に見に行きました。

8月になってから、やっと修理にバッグを持っていくことにしました。

ところが、お昼休みなのか、人がいません。

いつ戻ってくるか分からないので、とりあえず、スーパーで買い物をすることにしました。

スーパーへ行くと、その建物の地下1階にも修理ができそうなところを夫が思い出しました。

それで、そこに持って行って、直せるかどうかを訊きました。

受付嬢(おばちゃんだけど)が、「職人さんに訊く。」とバッグを持って裏へ行きました。

奥から職人さんが出てきて、「金具が少し変わるけれども、直せる。」と言いました。

金具が違うとかは気にしないので、修理をお願いしました。

修理代金は800ルーブル。1256円くらいです。

2006年の海外旅行の時から、海外旅行専用のかばんにし、2017年にモスクワに住むようになってから、出かけるときはほとんどいつも使っていたほど、防犯面に優れたかばんです。
同じようなかばんを池袋の西武で見かけたことはあったけれども、めちゃくちゃ高かったので、ずっと使っていました。

そのため、修理してでも、使えるのなら使いたいと思いました。

翌日、修理が完了し、戻ってきました。

直すのも早いし、安いし、きれいに直っていたので、本当によかったです。

ロシアの人たちは、物を大切にし、壊れても修理をして、長く使います。修理できるお店もあちこちにあるのもいいです。

2年2か月ぶりの美容院

去年の10月くらいに髪の毛を切りたいなあと思いました。

それで、モスクワで髪を切った直後の写真を2回分見返しました。

しかし、なんだか微妙な仕上がりです。

日本で髪の毛を切ったのは、中学生の時にカットをしてくれた美容師さん。当時は新人さんで、しかも、私の髪の毛を初めて切った美容師さんでした。
その後、独立し、この美容師さんが切った髪の毛の美しいことったら。他の美容師さんにはできない技術があります。
そのため、ある程度、髪の毛が伸びてきてもいい感じでした。

モスクワのカットは微妙だし、物価高で値上がりしているだろうし、このクオリティで高くなっているのなら、切るのを辞めようと思いました。

次に迷ったのは、1月でした。友達が日本から来るということで、切った方がいいなあと思いつつ、微妙な仕上がりになったら嫌だなあと思い、その時も切りませんでした。

そんな感じでずるずる切らずにいました。

でも、短ければ、シャンプーも少しでいいし、いろいろ節約になります。
重い腰を上げて、やっと切ることにしました。

住んでいるアパートの1階に美容院がある(近いではないか)ので、行くと、今は予約が必要になったらしく、その日に切ることはできませんでした。

予約した日に行き、日本で切った直後の写真を見せて、「このようにしてください」と伝えました。

すると、「分かりました」ということで、切り始めました。

2020年に切ってくれた美容師さんです。この美容師さん、左右の長さが違った人です。
しかも、シャンプーもすることになりました。ロシアの美容院で初めてのシャンプーです。
シャンプーの時に日本だと顔にタオルや紙などをかけるけれども、何もかけません。まあ、どうやっているか見えるので、ある意味いいです。
シャワーも弱めで丁寧に洗ってくれました。リンスはなしです。
その後、切り始めました。
前回左右の長さが違ったので、心配でしたが、丁寧に切っていきます。
左右も確認しています。
そして、ドライヤーでブローをしたら、写真と同じように仕上がっていました。
今回分かりましたが、口で言うだけでなく、写真を見せるとイメージしたとおりに仕上げてくれると思いました。
しかし、カットの値段は、倍以上になっていました。といっても、日本で切るよりも安いけれども。

日本から留学生が来た

友だちの知り合いが、10か月間留学することになりました。
友だちから、「なんで、ロシアが好きになったか知らんが、失望せん程度に助けてやってほしい。」と言われました。
ロシア語で留学する人なら、レーニン図書館を案内したいなあと思っていましたが、その人は、キリル文字から勉強を始める人で、初心者ということが分かり、レーニン図書館よりも先に、バスの乗り方、スーパーでの買い物の仕方など、生活面で支援が必要だと思いました。

私が、モスクワに住み始めた時は、少なくともキリル文字は読めたし、旅行でトラブルが発生した時に習得したフレーズは知っていました。さらに、夫もいたし、義母も義理の妹も同居していたので、何か困れば、訊いて、助けてもらったから、なんとかなりました。
特に義理の妹と甥と一緒に散歩へ行くと、日常の様子がよく分かるし、散歩のついでに立ち寄るお店などで、どういうものが売られているとかも見ることができました。

生活が軌道に乗るまで、少し手助けをしようと思いつつも、まだ会ったことがないので、到着当日、空港のお出迎えをしようと思い、地下鉄に乗りました。
ところが、飛行機が順調で、到着時刻よりも20分も早くついてしまいました。
モスクワ市内に3つの空港がありますが、一度もお迎えに行ったことがない空港で、到着ロビーがどこにあるか分からず、荷物検査のお兄さんに、何階かを訊いて、エスカレーターを駆け上がりました。

それで、待っていましたが、旅行会社のお迎えの人もいる気配がなく、本当にここであっているのか?と思っていたら、「もう税関をすぎて、旅行会社の人とも会った」とメッセージが来ました。
どう見ても、私が待っている場所にそういう人はいません。
別の場所だったかと諦めました。
ただ、入り口のアルファベットと見えるものをメッセージで送ってきたので、同じ階を少し歩きました。
歩いていたら、旅行会社の人の顔が見えたので、留学生に会えました。
旅行会社の人とは2018年9月に会ったきりだったので、6年ぶりです。向こうも覚えてくれていました。

それで、一緒にタクシーに乗り、留学生の住む家に行きました。

住所登録をしてくれる大家さんが見つかったのは良かったけれども、掃除をしていない部屋で、なかなか大変そうだなと思いました。
家賃を現金で払うらしく、日本で唯一、円からルーブルに両替できるところを探して、そこで、両替してきたらしいです。
なんと、100ルーブル札でしか両替ができなかったらしく、枚数がすごいことになっていました。
こんなのを二度と見ることはできないと思ったので、写真を撮りました。
お札が立っています。

必要な日用品が出てきて、大型スーパーへ行った方がいいと思ったのと、備え付けの家電の不具合があり、これは、夫が行かないとどうにもなりそうにないと思い、休日に夫と一緒に行きました。
スーパーの案内もして、野菜の買い方などなんとなく分かったと思います。野菜が安くて、「自炊楽しい。」と喜んでいました。
そして、そこのスーパーでは、懐かしいロゴを見つけました。

値段が恐ろしいことになっているけれども、撤退したはずのスターバックスのコーヒーが売られていました。

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