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【忘れられない旅】1日20000歩以上歩いてモスクワを案内した

モスクワを一緒に歩きたい人はたくさんいる。

でも、今は、こんな国際情勢だから、あまりモスクワに来てくれない。

そして、一緒に歩きたいけれども、もう二度と一緒に歩くことができない人もいる。

例えば、私の父。
2018年6月にモスクワを一緒に歩いた。
半年後、末期の肺がんを告知され、2020年3月に永眠した。

例えば、私の母。
現在75歳。
昨年、骨折をした。
現在は、杖をついてやっとこさ歩いている。
500mlのペットボトルを1本持つのが精いっぱいで、スーツケースなど自力で運べない。
2万歩、3万歩を歩くようなモスクワ観光はもうできない。

例えば、大学の時のピアノの先生。
現在75歳。
100歳の母親を介護していて、何日も家を開けることができない。

例えば、私にロシア旅行をすすめてくれたNさん。
肺がんの手術後、ロシア旅行はできなくなった。
2020年2月に永眠。


2024年7月。
モスクワに住んでいる日本人の友達のお父様が、モスクワ観光に来ることになった。
娘さんは、モスクワに住んでいる。
「ロシア人が話していると思った。なまっていなくて、素晴らしい発音だ。」と、夫が言ったくらい、ロシア語は、ネイティブレベル。
親子水入らずで、モスクワ観光を楽しむといいと思っていた。

しかし、この友達から、「明日は、予定がありますか?」と、メールが来た。

モスクワは、珍しく猛暑だった。当初一緒に歩く予定だったロシア人たちが、暑すぎて歩けなくなったようだ。

それで、私と一緒に歩くことになった。

しかし、あいにくの月曜日。
月曜日は、博物館などが軒並み閉まっている。

どこへ案内したらいいだろう?と考えた。

お父様の行きたい場所の希望があれば、その場所へ行けばいい。
しかし、特に行きたい場所がないようだ。

とりあえず、月曜日でも開いている場所を思いつくだけメールに書いた。

お父様が行きたそうなところを3か所書いてきた。

行く順番と移動手段をどうするのか、すぐに思いついた。

そして、宿泊しているホテルのロビーで待ち合わせることにした。


1日目

郵便局

私の初めてのロシア旅行時に利用した旅行会社は、現地から3枚のはがきを送る料金もツアーに含まれていた。
ロシアから日本へのはがきの送り方を、初めての旅行時に知ることができた。
特にお土産も用意していなかったから、出かける前に急に思いついた。日本へのはがきの金額を郵便局で訊いて、切手を買っていくことにした。
絵葉書を買う暇もないかもしれないから、家にあるモスクワの観光名所の絵葉書を持って行った。

余裕をもって出かけたが、3人ほど郵便局の窓口で待っていた。

窓口は3つあるが、なにやらもめている窓口が1つあった。
2つ目の窓口は動いているが、80歳くらいのおばあちゃんが担当している。
3つ目の窓口は、以前感じが良かった人だった。しかし、ここは受け付けていなかった。
このままいくと、80歳くらいのおばあちゃんの窓口になりそうだなあ。気合を入れてロシア語を話さないとならないと思っていた。
ところが、3つ目の窓口が開いて、そこに呼ばれた。
それで、「日本までのはがきはいくらですか?」と訊いた。
「電子化にしないとならない。」と言われた。
たしかに、小包などは、そうなっているのは知っている。けれども、簡単に出すはがきは、電子化にする必要はないと思った。
実際、前日にサイトも見ていて、はがきは電子化にしなくてもいいことを知っていた。
だから、「絵葉書を出すだけ。」と言うと、「100ルーブル」と言われた。私は、120ルーブルだと思っていた。
念のために、「航空便ですか?」と訊いた。
すると、「そうだ。」と言うので、100ルーブル切手を買うことにした。
もしかしたら、120ルーブルかもしれないと思い、一応2枚の100ルーブル切手を買った。

それから、地下鉄に乗って、ホテルへ向かった。

初めて行くホテルだったが、無事に到着。友達と友達のお父様と合流した。

トラム

ВДНХへ行く。地下鉄でも行けるけれども、地下鉄は景色がないから、トラムで行くことにした。
トラムの停留所の少し先は、森だった。

トラムを待っているときは、遊園地のブランコを見ていた。

乗ってすぐは後ろの特等席が埋まっていたが、途中空いた。さっと移動した。
そして、右、左、後ろと見える建物を説明して行った。
この路線に乗るのは、2015年に夫が案内してくれた時以来だ。しかも、当時は、夫は何も案内しなかった。何があるのか、どこを走っているのか分からないままだった。
今回も事前に案内することになっていれば、下見をしたはず。しかし、急だったため、ぶっつけ本番の案内。
見える建物を見て、だいたいどのくらいの時代に建てられたものか分かるから、それを説明していった。
途中、テレビ局もあった。

トラムの後半は木が生い茂った森になった。モスクワは、大都会。しかし、あちこちに森があり、緑が多い。

労働者とコルホーズの女性

そして、下車した。
外の方が涼しかった。

下車したら、私は、ずっとしゃべり続けた。
コロナ禍と特別軍事作戦で誰も来なくなったロシアを案内できるのが嬉しかった。
その間に知ったことをすべて話す気で話した。

1925年のパリ万博のソビエトのパビリオンに設置されたヴェーラ・ムーヒナが作った『労働者のコルホーズの女性』の像。
ヴェーラ・ムーヒナは、7月1日に生まれて、女性の彫刻家で…

そして、2015年に、夫が、母と私の写真をこの彫刻の建物の前で撮ってくれた。それを思い出し、友達とお父様の写真を撮った。

それから、歩いて、ВДНХへ移動。友達のお父様は75歳。
ついついたくさん歩かせてしまうから、足が疲れていないかを確認しながら、ゆっくり歩いた。

ВДНХ

ВДНХの入り口に着いて、門の大きさにびっくりしていた。ここでも写真撮影。
「1939年8月1日にできて、まもなく85周年になるんです。」と、案内できた。

私は、モスクワで亡き父と一緒に撮った写真は1枚もない。旅行後、半年後に末期がんになるとは思っていなかったから。
だから、友達はお父様との写真がたくさん残るように、写真スポットでは、2人の写真を撮ることにした。

1週間前に展覧会『ロシア』が終わり、片付け作業の真っ最中で、立ち入りできないところもあった。

展覧会『ロシア』の展示場を解体するところを見たくなかったが、これも記録しておこうと思った。

民族友好の噴水。後ろには、オスタンキノタワーとヨーロッパ一高い観覧車もある。
この噴水は、1954年にできた。

ここの噴水は、両親を案内した最後の場所。2人が一緒に写真を撮った最後の場所。両親は、疲れ果ててひどい顔をしていたが、この写真しかない。

噴水の周りに16の銅像がある。ロシア・ベラルーシ・カザフスタン…などと1周しながら、1つずつの銅像を説明していった。16体の銅像をすべて覚えているわけではない。自分のnoteを見ながら、説明した。

気温も高いし、日差しも強くて大変だったと思う。私は、日光浴がたくさんできて、助かった。

その後、冷房がきいているカザフスタンのパビリオンで少し休んだ。

ベラルーシのパビリオンにも行った。

ベラルーシの開放から80周年の展示があった。

展覧会『ロシア』のものが少し残っていた。

ん?

以前は、白かったのに、観覧車のゴンドラが少し変わっていた。

地下鉄の駅まで歩く。
歩いている途中も、ソビエト時代の生活の話やソビエト崩壊後に義母や夫が体験した話などをした。

雀が丘

地下鉄で、雀が丘駅に到着。
出口の近くの床にこのような絵があるのを最近見つけた。

暗いから気づかなかったが、たぶん、2018年のワールドカップの頃からあったと思う。

現在は、エスカレーターで雀が丘に行けるため、少し行くのが楽になった。

展望台からモスクワを眺めていたが、雲行きがどんどん怪しくなってきた。
雲に覆われて、いろんな建物が見えなくなってきた。その後、雷雨になった。

ロープウェーでルジニキに降りる予定だった。しかし、雷雨のためなのか、ロープウェーは動いていない。さらに、入り口は大行列になっていた。
そのため、建設中のジャンプ台の下で雨宿りをして、エスカレーターで駅に向かった。

駅に着いたら、ロープウェーは動いていた。まあ、そんな気はしていた。

マル

その後、1駅地下鉄に乗って、マルへ。もとは丸亀製麺だった。経済制裁で撤退した。名前がマルになり、ロシア人が経営している。

友だちはよく行くようだが、私は初めてだった。

友だちがすすめてくれた出汁うどんにした。あとは、てんぷら。
出汁うどんは180ルーブル(約320円)で、天かすとねぎは、サービス。あと、ジャスミン茶もサービス。
日本では当たり前のお茶のサービスが、マルは無料。しかも、お茶のおかわりもできる。
ものすごく良心的だと思った。
エビの天ぷらとタラの天ぷらにした。天ぷらもおいしかった。

友だちは、ピリ辛豚にしていた。

店内には日本語もあった。

セルフサービスだから、時間もかからない。うどんは量も多くておいしいし、安い。私は、マルが気に入った。

同じショッピングセンターには、有料だが、マッサージチェアもあった。

販売していなくて、試すだけ。日本製ではないが、『JAPAN』と書いてある。

さらに、日本の洗剤や歯磨き粉、シャンプーなどを売っているお店もあった。

そして、1日目の案内は終了した。

2日目

2日目は、案内する予定はなかったのだ。しかし、義理の妹家族がいきなり来たから、私は出かけることにした。

革命広場駅

待ち合わせは革命広場駅。
コロナ禍の最中に知った銅像について、やっと案内できる日が来た。
ホームの端から端まで歩いて、案内した。地下鉄が通る時はうるさいので、しゃべるのを中断しないとならなかった。

地上に出てからも、見える建物を1つずつ説明していった。

ロシアの基準点

日本の日本橋みたいなところ。ロシアの基準点になっている。10時前だと人がいなくていい。

こんな絵があったんだと、初めて気づいた。

レーニン廟

その後、レーニン廟に並ぶ。
10時からオープンだが、10時少し前ですでに行列ができていた。

少しでも早く並ぼうと走ったら、2006年から使っていたハンドバックのベルトが切れた。

まあ、少し走ったところで、行列は変わらなかった。歩いて行けばよかった。

10時になった時に、警備の女性が、何やら言いながら坂を下りてきた。
荷物を預ける所がどうとかこうとか言っていたが、よく聞こえなかった。

そのまま、並んで待った。時々列が大きく進むが、なかなか進まなかった。

待っている途中にトイレもあるから、友達のお父様はトイレに行った。
歩いて行く方向を見ると、男性のトイレを過ぎた。
え!
女性のトイレの方に向かっていた。
違うと思ったが、もう声が届く距離ではない。
そして、女性に続いて、地下への階段も下りて行った。

友だちと大丈夫かな?と心配していたら、すぐに、お父様が出てきた。
その後、男性トイレの階段を下りて行った。

列に戻ったお父様に訊いた。
女性トイレに入ったら、「女性」と言われたようだ。
それで、慌てて出たようだ。
何事もなく、無事でよかった。

ちなみに、男性は『М』、女性は『Ж』。
トイレを間違ったことで、『女性』と言う単語を、お父様は覚えたようだ。

その後も待って、1時間10分過ぎにやっと荷物検査のところに行けるようになった。

私は通過した。

しかし、友達とお父様が止められた。

「リュックサックだと入れない。」と、言われていた。

私は慌てて戻った。

私は、レーニン廟に3回入ったことがある。友達とお父様のリュックサックを持って、外で待つことにした。

案内は、その場ですればいいと思っていたから、事前に説明をしていなかった。

入れないと分かったから、ガガーリンと片山僭さんのお墓のプレートも見てくるように、友達に慌てて話した。2018年には知らなかった有名人のお墓もあるから、それをぶっつけ本番で案内する予定だった。それが、できなくて残念。

2人のリュックを持って、赤の広場で待っていた。

2人が歩いているのが見えるから、手を振ったりして待っていた。

一通り見終えて出てきた2人。

レーニンさんのご遺体があるところは、警備の人が何人も立っている。立ち止まったり、しゃべったりすると、注意される。

それを事前に話しておいたのに、お父様が、「この人誰?」と言ったそうだ。

友だちはびっくりしたらしい。警備員さんに、何と言ったかもロシア語で通訳したら、警備員さんも噴出したようだ。

一緒に中に入れると思っていたから、直前まで私は何も説明していなかった。そのため、「この人誰?」になるのも仕方なかった。

もし、我が家に義理の妹家族が来ていなければ、私は案内する予定はなかった。2人で1時間以上並んで、「入れない」と言われたら、撃沈していたと思う。ある意味、義理の妹家族ががやがやと我が家に来て良かったと思う。

グム百貨店のアイスクリーム

その後、グム百貨店のアイスクリームを食べることにした。

お父様はバニラ味を食べたいと話していたが、チョコレート味とメロン味が少ししか残っていなかった。

とりあえず、ある味を食べることにした。

私はメロン味にしたが、シャーベットみたいになっていて、おいしかった。

それから、まもなく、アイスクリームは品切れた。

その時、11時半過ぎ。

グム百貨店は夜10時まで開いている。

このまま品切れということはないと思い、補充されると思った。

しかし、補充されるまでどのくらい時間がかかるかは分からない。

そこで、友達に、売り子のお兄さんに訊いてもらった。

すると、10分か15分くらいでアイスクリームが届くそうだ。

そのくらいなら、バニラ味を待つことにした。

それから、2,3分後、アイスクリームが届いた。

こんなにもいろんな味が揃っているのを初めて見た。

現金のみで、アイスクリームはとぶように売れていった。

私は、2つ目は食べなかったが、バニラ味とチェリー味。

その後も、行列は続いていた。グム百貨店のアイスクリームの売り上げはすごいことになっていると思った。

処刑場

その後、昔の処刑場を見た。

12時のスパースカヤ塔

ふと、スパースカヤ塔の時計を見た。なんと、12時2分前。

12時には、鐘が鳴った後、ロシア国歌が流れる。

なんといいタイミングだ。

それで、少し待って動画を撮ることにした。

「ロシア国歌が流れるよ。」と言ったのだが、聞こえてきたメロディーは、何の曲かよく分からないものだった。
間違ったかな?と不安になりつつ動画を撮っていたが、最後の方でやっと国歌らしいメロディーがかすかに聴こえてきた。

その後、歩いて、写真スポットへ。ここでも親子の写真を撮った。

シシューセフ設計のモスクワ大橋からの写真。

左端にある救世主キリスト大聖堂は、現在修復中だが、モスクワ川沿いの方は、修復の影響がないことが分かった。

前日に、「モスクワ川のクルーズができるといいな。」と言われた。しかし、チケットは完売していた。クルーズ中に見るであろう建物の写真を地下鉄で移動して撮れば、いいかもと思った。
救世主キリスト大聖堂の修復状況をここから見たことにより、写真を撮れると思った。

こちらは、スターリン建築の1つの芸術家アパート。

ザリャーディエ公園

2017年9月にできたザリャーディエ公園へ。

シラカバの実の写真を撮る。

ザリャーディエと書いてあるマンホール。日本では、こういうマンホールを見かけることが多いと思う。しかし、ロシアでは、まだまだ珍しい。

友だちがふっと空を見上げたら、ハート形になっていた。

橋げたのない橋を下から見た。

暑い中、野外コンサート場の客席まで上って、写真を撮った。

追悼の場

サンクト・ペテルブルクで爆発事件があってから、追悼の場となっていた。今は、2014年から犠牲になった人たちの追悼の場となっている。

郵便局

日本へのはがきの料金だが、私のロシア語力だと心配なので、友達にも郵便局でもう一度訊いてもらうことにした。
受付番号を確認して、電光掲示板の番号を見ながら待った。
ところが、なかなか呼ばれない。
挙句のあてには、私たちよりもあとの番号が呼ばれた。
こんなことは初めてだ。それでも呼ばれなければ、また本部にクレームメールを書くよと思いながら待った。
受付番号を無視して、声をかけてくれたので、それで、やっと訊けた。
そこでも100ルーブルと言われたので、これで、安心してはがきを出せる。

立地場所柄、観光客が多い郵便局だった。ロシア語が通じない外国人観光客(ほぼ中国人に思われていたはず)で、面倒だなあと思って、後回しにされた気がした。
ところが、私もハガキの料金なら、そのセリフを暗記しているから、ロシア語で訊ける。
さらに、友達はネイティブレベルだから、「7月1日から値上がりしたが、本当に100ルーブルか?」とも、スラスラ訊いてもらった。
すぐに呼んでくれれば、秒で終わる用件だった。

地下通路

マッサージチェアの『ヤマグチ』のお店が、地下鉄の連絡通路に間もなくオープンするようだ。

救世主キリスト大聖堂

ロシア正教の総本山の救世主キリスト大聖堂へ。
イコンをお父様に見せたかった。しかし、お父様が短パンだったため、入り口の警備員に止められた。

外から見るだけになったが、大きさに感動していた。

クレムリンがよく見える撮影スポットから写真を撮った。

チョコレート工場とピョートル大帝の像と新トレチャコフ美術館。

クロポトキンスカヤ駅の入り口。

マル

そして、前日に引き続き、マルへ。天ぷらは前日と同じにしたが、ピリ辛チキンにした。
なんと、もやしが入っている!
私がもやしに感動していると、お父様は、びっくりしていた。日本ではもやしは安い。しかし、ロシアでは、滅多に見かけないし、高い。貴重な食材なのだ。日本に帰国したら食べたいものは、卵かけご飯ともやし。これが贅沢な食事になると話した。

前日には気づかなかったが、箸袋に『いただきます』と書いてある。

私は、前日に食べた出汁うどんの方がいいなと思った。

外が見える窓側の席もあるから、本当におすすめ。地下鉄駅の目の前だし。

そして、2日目は終了。

家に帰ってから

家に帰ってから、急に思いついた。

2015年に母をモスクワに連れてきたときに、母が言った言葉がある。
「いろんなところに連れて行ってくれたけれども、どこをどう歩いたか分からないから、地図に書いてよ。」と。
それを思い出した。

たぶん、気温が30度を超えていて、2万歩近く歩いて、どこに行ったか分からなくなっているだろうなあ。

ヤンデックスの地図を印刷して、乗り物での移動や歩いた場所を書き込むことにした。帰国後に写真整理をするときの参考になるし、どれだけ歩いたのかも分かる。

さらに、翌日は、海軍歴史博物館へ行く予定で、無料のオーディオガイドをネットで見つけた。
それを友達がきいて、訳して案内する予定。
現地に行く前に、オーディオガイドを聞いても、展示物を見ていないから分かりにくいかもしれない。
ゆっくりオーディオガイドを聞いて、展示物を見ていられないかもしれない。オーディオガイドはスマホで聞くことになる。スマホで写真も撮りながら、ガイドも聴くのは忙しいかも。
オーディオガイドのセリフのロシア語を自動翻訳にして、印刷することにした。
自動翻訳だから、ごそっと1文が訳されていなかったり、いろいろ問題があったりした。細かくそれを確認して、修正している時間はもはやなかった。
そんな作業をしていたら、夜中の2時になっていた。
でも、私の案内したい気持ちが強く、やる気に満ちていたから、作業は楽しかった。

この無料のオーディオガイドの有効的な活用方法を思いついたのも大収穫だった。

https://izi.travel/ru

このオーディオガイドは、モスクワだけでなく、ヨーロッパの都市もある。
ロシア語だけでなく、英語・ドイツ語・スペイン語・フランス語・イタリア語・オランダ語・ポーランド語・ルーマニア語・スウェーデン語・中国語がある。
場所によっては、自分の分かる言語の説明でない場合もある。その時は、自動翻訳をすれば、少しは分かると思う。

3日目

3日目の待ち合わせ時刻は、今までで一番早い。7時には起きないとならないが、6時に目が開いてしまった。
支度をして、ホテルのロビーへ向かった。

お土産市場

その後、お土産市場へ。
快晴で、少し湿度が下がった。
やっとモスクワ本来の気温になった。
前日、救世主キリスト大聖堂の中に入れなかったけれども、ここの木造教会に入れた。
簡単に、教会内部の説明と、十字の切り方などを説明した。

このあたりは、ロシアらしい建築が多いから、建築についても少し案内した。

アイスクリームのロボットもあった。

結婚何周年のロシア語の言い方。

お土産市場でお土産を見ているときに、私が思っていたことが起こった。

1日目の朝、鏡を見ながら支度をしていた。
友だちのお父様は75歳。しかし、若く見えるということで、50代くらいに見えるかな?と思った。
友だちは、私より8歳若い。髪の毛は黒くて、実年齢より若く見える。実際、職質をした警官には、20歳くらい若く見られたようだ。
私は、最近白髪が増え、実年齢より老けて50代以上に見える。2年前に日本で髪の毛を切ったきり、美容院に行っていないから、山姥みたい。
3人で歩いていたら、私は母親に見えるのではないか?と思った。

そして、お土産市場を見ていたら、売り子のお兄さんが、「お母さん、見て。」と言ってきた。
やっぱりそう見えるよねと思った。
友だちは、この売り子のお兄さんとロシア語で値段交渉をして、だいぶ値切っていた。

マヤコフスカヤ駅

その後、地下鉄で移動した。途中、マヤコフスカヤ駅を通ることに気づき、途中下車をした。ホームの端から端まで歩いて、この美しい駅を案内した。

2013年、この天井のモザイク画を1枚ずつ写真を撮っていたら、空港へ向かうアエロエクスプレスに乗り遅れた。そんな思い出のある駅。


新型車両

その次に来た車両は、最新の新型車両だった。

このまま地下鉄に乗って行けばよかった。
しかし、隣のベラルーシ駅もホームの装飾が素晴らしいと、思い出し、下りた。
ところが、天井に何もない。
美しいのは5号線のホームで、2号線はシンプルだった。案内ミスをした。

その次にホームに入ってきたのは、ソ連時代の旧型車両だった。

海軍歴史博物館

その後、トロリーバスに乗って、目的地の海軍歴史博物館に到着した。
蓮の花が咲いていた。

川の駅です。

海軍歴史博物館については、また別の記事にする。
タイミングよく無料公開日に行くことができたのがよかった。
オーディオガイドも印刷しておいてよかった。
全部を読んで見学する時間はなかったけれども、ポイントをざっと見ることはできた。

お父様は、海のことに詳しい。ロシア語が分からなくても、これは、あれだ、これだと逆に、説明してもらった。
友だちは、ロシア語を学んだ時に、受講した講座で専門用語も学んだようだ。展示物のロシア語をよく訳して説明してくれた。あらためて、語彙力のすごさに感動した。
2019年に1人で行ったときは、全然分からなくて、何となく見て終わった。今回は、友達とお父様のおかげで、私の方が勉強になった。

スーパー

20分ほど歩いて、地下鉄駅に向かった。途中ショッピングセンターがあったので、スーパーを少し見た。

日本製のように見せたウィスキーだと思ったら、正真正銘の日本製だった。

アヴィアパルク

地下鉄に乗って、お土産を買うためにアヴィアパルクへ。

夕方6時にお昼というか夕ご飯を食べた。

このカルボナーラはおいしかった。

サラダも3人でつまんだ。

そして、シミ、しわにいいシーバックソーンのお茶も飲んだ。

蜂蜜入りか、蜂蜜なしかを選べたから、蜂蜜なしにした。

ここのカフェは、注文も支払いも画面だった。
ウェイトレスは料理を運んで、お皿を片付けるだけだった。

隣のテーブルは、ロシア語を話せない外国人。英語を話せるウェイトレスを呼んで、英語で注文していた。

カフェに入ってすぐ、私たちを見たウェイトレスが、「中国人」と言っているのが聞こえた。友達と全力で否定し、日本人だと伝えたら、驚いていた。

ショッピングセンターの中には、こんな水槽もある。水族館に行かなくても、無料で魚を見ることができる。

パスタを食べた後だし、4時間しか寝ていない。魚を見ていたら、癒され、眠くなってきた。

その後、大型スーパーでお土産の買い物に行った。眠くて、ぼーっとしていた。

本当は、このあとホテルまで行って、割れ物にプチプチを巻き付けてなどする予定だった。しかし、このショッピングセンターの最寄り駅で、友達とお父様と別れた。

帰国後

ロシアから出したはがきのゆくえ

お父様は、モスクワの郵便局から、自宅宛てにはがきを出した。
日本郵便はロシアへ配達をしないが、ロシア郵便は航空便で日本へ配達している。

そして、8月のある日。無事にはがきが着き、大喜びだと連絡があった。
帰国後もはがきが届くかな?と楽しめるので、旅先から自宅へはがきを出すのはおすすめ。

SNSの情報と違う出入国

そういえば、SNSで、
『日本は非友好国だから、入国時に別室でスマホなどを調べられた。』、『入国審査に2時間かかった。』、
『出国時にスマホを見られて、手数料として4000ルーブル請求された。』
『特別軍事作戦についてどう思うかと訊かれた。』
などというのを見かけることがある。

SNSで投稿していないで、在ロシアの日本大使館に情報提供をしているのだろうか?と、いつも不思議に思う。
もし情報提供をしていれば、在ロシア大使館から注意喚起のメールが来るはずだが、一度も来たことはない。
何かトラブルがあったら、SNSでつぶやくのでなく、大使館に情報提供をすればいいのにと思う。

今回、お父様は観光ビザで入国し、入国審査は数秒で終了したそうだ。しかも、ボールペンのインクが出なかったため、審査官と笑いながら、入国したそうだ。
出国時も普通に出国している。

SNSの投稿って、あまりあてにならないといつも思う。
ロシアに対してネガティブな情報ばかりが上がってくるように仕組まれていて、ポジティブな情報は上がってこないようにしている気がする。

まとめ

久しぶりに日本からの旅行者を案内できて、本当に楽しかった。

現在、ロシアからヨーロッパへ行くのは難しくなった。私が行きたい国は、ヨーロッパばかりだった。しかし、ロシア人に対する風当たりも強く、英語よりもロシア語の方が出てくる私もヨーロッパ旅行は難しいと感じている。

今は、モスクワを案内する旅のお手伝いをするのを楽しみにしている。

早く国際情勢が落ち着いて、以前のように、モスクワ旅行に来てくれる知り合いや友達が増えるのを願っている。

こんなに長い記事を最後までお読みいただきありがとうございました。

【8月6日の過去記事】

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