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みよちゃん / 創作

命の重みに違いなどないのだから、秤にはかけられないというけれど。誰かが亡くなってしまったことに対する悲しみの広さは同じだけあるとしても、私たちは年齢によって深さの棲み分けをしているような気がしてならない。例えば " 10歳の子どもが亡くなった " という話と " 99歳の老人が亡くなった " という話を同じタイミングで耳にする時、鬼籍に入った当人との血の繋がり、または日常的な繋がりを排除したなら、無意識的に同情が沸くのは前者のような気がする。
亡くなった理由なんて私たちには関係ない。それなのに、私達は気になってしまって無闇にその先を覗こうとする。有名人があまりにも早くこの世を去った場合、頭に浮かべる最初の選択肢は 「病死」もしくは 「自殺」のいずれかであって、自殺が確定した場合は過去のあれこれにメスを入れながら、墓中に聞こえないことを良しとしつつ亡くなるに至った考察を始める。亡くなった理由なんて身寄りだけが知り得ればいいものを、取り留めもない辻褄を合わせようと奔走する流れは、見ていてあまり良い気持ちにはならない。正直言って、苦手だ。

長らくテレビなんてものは見ていない。東日本大震災を皮切りとして、災害の発生確率がぐんと上がったように思えるのは気の所為だろうか。豪雨災害、地震災害。竜巻に崩落。例を挙げればキリがない。少なくとも私の中で、生命の危機が隣り合わせになったのはまさしく大地震以降のことである。
夕飯時、祖母がつけっぱなしにしていたテレビを何気なしに見ていたら、能登の水害で行方不明になっていた14歳の中学生が福井の沖合で見つかったという旨のニュース報道が流れるなり思わず箸が止まった。悲しい、悔しいとは少し違って、純粋な恐怖を脇に座らせてしまう。テレビニュースってこんなに暗いものだったっけ。
呑気に黙って見つめている間にカットが切り替わると、福井県沖の航空映像が映し出される。津波の報道で散々耳にしたものと同じようなヘリコプターの冷たい音が響き渡るなり、恐ろしさが最高潮に達した。キャスターが淡々と読み上げる着衣の特徴が形となって、見えるはずのない少女の姿をそこに見る。音を立てるように血の気が引く感覚を覚えた瞬間、右手に握られた箸を素早くリモコンに持ち替えた私は静かにテレビを消した。
暗転した画面を前に、ぶるっと肩を震わせた祖母がこちらに視線を移す。祖母には申し訳ないし、普段から人が見ているテレビを勝手に切ってしまうような性格も持ち合わせていないが、穏やかでなくなったこの気持ちを察して欲しい。知ってか知らずか訪れる、囁かな沈黙。
ひと言も発さずに再び箸に手を付けると、煮物皿に入った里芋を箸先で小突くようにして捕らえて口に運んだ。

あと少しすれば26歳の誕生日を迎えるが、みよちゃんは永遠に13歳のままだ。それ以上若返ることもなければ歳をとることもなく、彼女のことを知り得る人間が全員居なくなってしまった途端に、再びその生涯を閉じることになる。のらりくらり、日々を過ごしていたらみよちゃんよりふた周りも大きくなってしまった。

小さな街で起きたことだから、当時は物凄い騒ぎになった。体育大会まで残り二日を前にして、昼休みの教室から彼女の姿が忽然と消えた。この時、1週間前に始まった「本いっぱいコンテスト」の優勝求めて、図書室で時間を過ごす生徒が多くなった時期である。優勝賞品は先生達が独自にデザインした10枚の栞というものだった。常日頃本に興味も示さない人達が挙って集合したことで、当時の利用者数は通常の7倍ほどに膨れ上がっていたと聞けば、どれほどのものだったか分かることだろう。しかし中には「本を読みに来た」というより「話に来た」という生徒も多く、静かな空間で本を読みたい私に取っては居心地の悪いコンテストだった。

5時間目の国語が突如として自習へと変更になるも、待てど暮らせど先生は入ってこなかった。クラスの中でも一際騒がしい峰田が、他のクラスメイトの忠告を無視して窓の外を眺めている。学級委員のふたりが止めに向かったかと思ったら、やがて彼らも閉口し、外を向いたまま動かなくなった。チャイムの音を聞いてもなお窓に齧り付いて離れない上に、普段の騒がしさをやすやすと超えるような、尋常ではない峰田の慌てっぷり。
「やめなよ〜」「座ってた方がいいよ」と口にする者、静かにやり過ごそうとする者、その誰もが窓の外に広がる光景が気になっていた。

ひとり、ふたりが椅子から立ち上がったのを合図として次々に子どもたちが窓の方へと駆け寄る。この時私はステージ側に一斉に固まった集団からひと足遅れる形で、ロッカー際の窓へと歩み寄ったのだが、敢えてその場所が避けられている理由をすぐに理解した。
体育大会の開催まであと少しに迫ったグラウンドには放送席、来賓席専用のテントが畳まれているが、その天井部の骨組みが歪な形に凹んでいた。さらにビニールカバーの部分にベッタリと血のようなものが付いている。その傍らで数人の先生が困った顔をしていた。開校当時から使い古されたテントは飴色に変色していて、そこかしこに刻まれた傷と相まって特定の色を強調させている。その傷みに染み入るような液だまりを見るなり、血液以外のなにものでもないということに気が付いたのだ。

「座りなさい」

反応は早く、一同の首が声のする方へと動いた。体育大会に向けて鍛え上げられた集団行動の成果が、確実に現れているような気がする。いつの間にか1組のクラス担任がそこにいた。驚いた全員が、静かに各々の席に着く。何に驚いたのか、体育の時間に聞くような声帯フルオープンの大きな声にではなく、身体の中にある僅かな空気を絞り出すかのような声だったからだ。

何事も無かったかのように、ワークを捲る音が教室に響き渡る。示し合わせたかのように自習時間が再開され、誰も頭を上げることは無い。先程までガチャガチャ騒いでいた峰田ですらも緊張感のある独特な空気を感じ取ったらしく、国語の便覧を静かに眺めているが、何度も同じページを行ったり来たりしていることから、落ち着かない様子が見て取れる。かくいう私も僅かに気を逸らすと変形したテントが脳裏を過ぎって、数式が塊として入って来ない。定数や符号といったあらゆる記号が無作為に並んでいるようにしか見えず、計算どころの話ではない。全員が静かになったことを確認した先生は、教室の扉をゆっくりと閉め始めた。それと同時に、シャーペンを傾ける音が数箇所の席から聞こえる。話をするぞ、、という私たちなりの合図だ。
戸締りをしっかりと改めた先生が口を開いたのは、長い長いため息の後だった。

「小田嶋 みよさんが大きな怪我をしました」

" 大きな怪我 " などとまどろっこしい表現をしなくても、みよちゃんがどのような状態なのかの想像はついていた。あの時あの瞬間、教室に閉じ込められた誰もが察したことだと思う。大きくひしゃげたテントのこともそうだけど、緊急車輌のサイレンがこちらに近付いてくるのが誰の耳にも届いていたからだ。
「今、」と話が続けられようとしたその時、ガタン!という音とともに席を立ち上がったのは、学級委員の馬淵さんだった。みよちゃん、、と呟く声の中には涙が混じっている。

みよちゃんと馬渕さん、そして私は同じ小学校だった。この学校は城東小の出身者がほとんどで、みどり小の子どもたちは極端に少ないから馴染み深い人達は仲の善し悪し関係なく、よく覚えている。
はっきり言って、みよちゃんは友達が多い方ではなかった。というより誰かと一緒にいる所を見たことがない。小学校中学年から、学年の人間関係には暗黙の塗り分けみたいな部分が存在したが、みよちゃんはその何処にも所属することのない、無色透明のような存在だった。休み時間になれば外にひとりで飛び出して花壇の花に水やりをしたり、グラウンドの端っこでどんぐりを拾う姿を目にしたことがある。
家が近いからという好で三軍とも呼べない集団に引き込まれた私は、彼女に対して密かに興味を持っていた。小学6年の頃、係決めの中でたったひとり図書係に立候補したみよちゃんの後を追うように、私も図書係に立候補している。数ある係の中でも人気がなく、余りものとされていたから誰とも争う必要がなかったのである。それから1年、中学に入っても同じ係を共にしたし、中学校へ上がっても依然として図書係は余りもののままだった。

みよちゃんとは、係仕事の合間に時折話をした。仕事に関わるやりとりが大半だったが、たまにみよちゃん自身の言葉で聞いた話をよく覚えている。「あそこの森の中には小さな祠があるんだよ」とか 「つくしは枯れた後にすぎなに生まれ変わるんだよ」なんて話を聞かせてくれた。歳が追いつかないほど色々なことを知っていて、何も知らない私は目を輝かせながら頷くので精一杯だった。図書室でこれだけ話したのだから、すぐに仲良くなれると子供心に考えていたがどうも一筋縄にはいかず、休み時間はひとりで過ごすことを徹底したみよちゃんとは月に数回、図書係として顔を合わせる時のみ話す間柄だった。今思えば、それがみよちゃんなりの気遣いだったのかもしれない。そんなみよちゃんをまた私も無理に付け回すこともしないまま、程よい距離感を保っていた。

小学6年生の時に一度だけ、みよちゃんの机の上に花が置かれているという事件が起きて、学年内でちょっとした問題になった。その主犯とされていたのは4、5、6年と同じクラスだった馬渕さんだった。
地元生まれの親を持つ家庭が多い中、馬渕さんは両親とも東京出身だということを風の噂で聞いたことがある。小学生の普段着なんてたかが知れている中でも、一際小綺麗な格好をしていた馬渕さんは小学校入学時までオーストラリアで暮らしていた過去を持ち、その珍しさから学年はおろか、学校の中でも一目置かれた存在だった。周りに集まる者たちが家来だとしたら、彼女は王女だった。しかしそれは決してアニメで描かれるようなプリンセスのようなイメージとは違う。敵対視する人間を見つけては、取り巻きにそれとなく嫌味ないし悪口を吹き込んで、取り巻きが勝手に動くのをただ外で見ているという悪の典型のような振る舞いをしていた。敵と認定される条件は様々で可愛いシュシュを付けてきた子が標的になったり、馴れ馴れしくしてきた子が標的になったりする。時には男子に対しても同じやり口で攻撃を仕掛けることもざらで、誰もそのやり方に不平を言うものもいない。彼女の居る場所が、ひいては誰も口出しすることの出来ない縦社会へと変貌する。
大人にこの事が判明すればこれ以上良い結果はなかったが、毎年学級委員をつとめる彼女には支配力のほかにもうひとつの能力があった。それが発揮されたのは新型コロナウイルスの影響によって合唱コンクールが中止になった時のことである。神妙な面持ちで音楽の先生が中止を告げる中、たった一人しくしく泣き始めると「みんなでいっぱい頑張ったのに…」と呟いた。泣きながら発声しても、中身が綺麗に読み取れるほど絶妙に加減された名演技は大人の心を打ったらしい。音楽の先生と来たら、彼女の頭を柔らかく撫でながら貰い泣きをしている。

面倒を見る大人など何処にもいない放課後の教室で「私は歌わない、喉に悪いから」とだけ吐き捨てて椅子に深く腰掛ける彼女の姿は、誰の目にも焼き付いていただろう。大人を軽々と騙す演技を耳だけで聞いていた私は、戦慄のあまり全身に鳥肌が立った。
" みよちゃんのお花事件 " で彼女に疑いが向いた際にも、その名演技が炸裂した。机上に置かれたスズランの花。それは彼女の自宅周辺を囲むように植えられていたものだったからである。度重なる犯人探しに痺れを切らした男子児童が 「馬渕さんだとおもいます」と端を発した数秒後には
「酷い、みよちゃんは私たちの仲間なのに!」
半狂乱の馬渕さんが呟き、慟哭したことでその男子児童が悪者のような構図になると、別の教室に移されてしまったのである。彼女が犯人であるということなど、誰もが知っていた。しかし大人が管理する家畜場の中で、誰も真実を晒すことができなかったのである。一連の流れを聞いていたみよちゃんは、周囲の目線も気にすることなく " みにくいアヒルの子 " をじっくり読み進めていた。あの時のことをどう思っていたかなんて、あれから一度として聞くことはできなかった。両手で顔を抑えながら、馬渕さんはその裏で笑っていたのだろうか、絵本を読みながらみよちゃんはその裏で泣いていたのだろうか。とにかく立派な鎧を付けた彼女の真価を見極めることはやはり難しかったようで、私たちの代の中で酷く寵愛された彼女は絶対君主としての地位から陥落することもなく、中学校に上がった。住む地域が異なるとはいえ、城東小出身の子どもたちも彼女の邪智暴虐さを理解していたから、通う校舎を変えたところで彼女の地位が揺らぐこともない。
馬渕さんが涙を流すと、見えない瞬間冷却装置が作動して教室内全体が固まってしまう。「みよちゃん、みよちゃん、、」もごもご良いながら教室を後にするふたりの姿が見えなくなっても、30人の息遣いが響くのみ、静まり返っていた。こういう時こそ峰田が騒げばいいと願ったが、馬鹿正直な峰田も黙ったまま机の上の消しカスを捏ねくりまわしている。

救急車と消防車が一台ずつ到着してから、救急車がもう一台やってくる音が聞こえた。馬渕さんが運ばれる分なのだろう。自習の時間も撤回されるどころか、一年生ワンフロア、丸ごと帰り支度を開始することになった。掃除がなくなって良かったわ、なんて誰も言わない。子どもたちが机を動かそうが荷物を動かそうが、廊下の騒がしさには勝てない。「廊下は走りません」という校則も、この瞬間はあってないようなものだった。

みよちゃんの訃報は、保護者への連絡を通じて各家庭に知らされた。体育大会へ向けて高まっていた上向きのムードも中止連絡によって散り散りになる。メールを見た母は悲しげな顔をしていたが、私の背中にそっと手を当てるだけで言葉はなかった。小学校時代、係で時間を共にした時の話を幾度となく母にはしたから、どうにも言葉にならなかったのだろうか。
夜遅く、バタバタと帰ってきた父はおかえりなんて言わずに、身なりを整えた母とともに足早に家を出て行く。
ラップのかけられたご飯を冷たいまま口に運びながら、ポロポロと涙が零れてきた。馬渕さんが涙を流す時、必ず頬の外側を伝う。私のは目の内側から溢れ出てくる。私の涙は本物なのだ、そう思いながら、冷たいままのハンバーグを無心で掻き込んだ。

しばらく日を空けて学校が始まっても、人の出入りが収まる気配はなかった。スーツを着込んだ偉い人達が職員室を出たり入ったりしているのを、何度も目にした。学校へ通っていなかった数日間、どこからかテレビ局の人がやってきて大変だったらしいという話を近所の人に聞いた。あることないことを記事に書き殴った週刊誌もあるらしい。いつになっても先生は愚か、親も友達も、みよちゃんの名前ひとつ口にしないのが不気味だった。お葬式に行くべきかと思い、ある日の夕方母にそれを伝えると 「もう家族だけでさよならしたんだって。」と告げられた。みよちゃんのお父さんもお母さんも、どこまで知っていたのかは分からない。けれども家族以外の人を呼ばなかったということは、何かしらの疑問を抱いていたに違いない。

事情を聞くことと、メンタルケアを目的とした聞き込みが行われる頃にはひと月が経とうとしていた。峰田は数少ない目撃者のひとりだったようで、話を終えて教室へ戻る頃には見たことないくらい憔悴しきった顔をしていた。

「みよさんが悩んでいたことってあったかな」

という質問が物凄く他人事に聞こえて、少しだけ寂しい。アンケートによる聞き取り調査で何らかの収穫があったのだとすれば、全員に話を聞く必要もないはずなのに、クラスメイトが次々に呼び出されている。
教室の中であったことを洗いざらい話してしまおうと頭では考えていた。しかしよく考えると馬渕さんへ疑いがかけられた事件が多数あったというだけで、彼女がみよちゃんを攻撃している明確な証拠はどこにもなかった。
" みよちゃんをいじめていた噂がありました " 日頃から目立ちもしない、教室の片隅に居るような私がそんなことを伝えたところで、大人たちは信ぴょう性が低いと判断するに違いない。

30分ばかりの話し合いで、随分と噛み合わない回答をしたような気がする。みよちゃんに関わる質問が重なる度に、首を振る回数も多くなった。物知りであることや、一人で遊ぶのが好きだということを知っていても、みよちゃん自体何を好んでいて、何に興味があったのかすら、私はよく知らなかった。みよちゃんの目に私はどのように映っていたのかも、よく分からない。みよちゃんの話が途切れてからどのような話をして解放されたのか、まるで覚えがなかった。

教室から机がひとつなくなると、後期の図書係に峰田が就いた。誰かが勝手にそうしたのではなく、峰田自身が希望してなったものだ。どうして?と思うところはあるけれど、聞く勇気すらない。みよちゃんと違って手際が悪く、そそっかしい部分にはほぼ毎回イライラされられていたが、そうしたところも含めていつも通りの一日になった。
12月の雨の日、放課後の時間に少しだけ用を言い渡された私たちは、図書室の隅っこで栞のラミネートを切っていた。細かい作業が得意な私は、一枚一枚丁寧に四隅の尖りをトリミングする一方で、峰田は栞を2枚、3枚と組み合わせながら端を切り落とすという何とも乱暴な作業をしてみせる。「バリが残るからやめなよ」と注意をしても一向に耳を貸そうとはしない。私が7枚目の栞を手に取り、峰田が3枚の栞を束にしていたその時、図書室の引き戸がゆっくりと動いた。
半分ほど扉を開けて顔を出したのは、みよちゃんのお母さんだった。みよちゃんよりも少し高いくらいの小柄な人で、細く切れた綺麗な目元が、みよちゃんによく似ている。ふたりして軽い挨拶を交わすと、本を返しにきたとのことだった。会話の相手が司書教諭に回ったところで、バーコードで本を読み取り、そのまま棚へと戻しに向かう。一緒に行くという峰田には「場所、分かんないでしょ」と突き放す。
本当は、みよちゃんが読んでいた本に少しでも目を通したかった。ライトノベルの棚は文庫本棚の陰にあるから、隠れて読むには丁度良い場所である。裏表紙に書かれたあらすじをよく目に通しつつ、そっと本を開く。長い時間みよちゃんの家に置かれていたからだろうか、扇型に開いた紙の隙間から仄かにみよちゃんの匂いがする。1ページ目からおびただしい量の文字が並んでいて、エッセイ本くらいしか手に取らない私には読み進めるのに時間がかかりそうだ。後で借りるなどしてゆっくり読み進めようかと考えていると、後ろから私の肩を叩く者がいた。みよちゃんのお母さんだった。何か言わなきゃ、と口ごもる私に向かって「ありがとう」の言葉と共に頭を深々と下げると、再び室内に向かってお辞儀をしてその場を後にする。前触れもなく、突然私を相手側に引き摺り込むかのような振る舞いも、これまたみよちゃんによく似ていた。

驚きのあまり落としてしまった本を拾おうとすると、本文用紙の淡いクリーム色の連なりから、桃色の紙がたった1枚だけはみ出しているのを見つけた。その紙に記されていた内容は以下の通りである。

「つまらないから 死んでしまおう という思いと とりあえず 生きていようか の狭間で生きることが 私にとって なによりつまらないことだったので 私はこれにて失礼します みなさんさようなら」

教室の前方に掲示された模造紙には大きな文字で学級目標が書かれていて、クラスメイト一人ひとりの似顔絵で囲われている。みよちゃんの似顔絵は事件後すぐになくなって、29枚で構成された楕円は一つだけ隙間が空いている。生徒用に配布される名簿からも覚えのある名前が消えている。修正機で雑に消されたかのような不自然な空白を見ても、誰が口を開くこともなかった。事件後しばらくは静かにしていた馬渕さんの振る舞いも、すぐに元の勢いへと戻った。皆で変わらない一日を過ごし、皆同じだけ歳を取った。まるで初めからみよちゃんなんて人は居なかったかのように、ごく自然な形で時は流れた。私の代の卒業生は成人式こそ出席したものの、同窓会は行われないまま、皆別々の道を歩んでいる。馬渕さんは中学を卒業するタイミングで家庭都合で転居したきり、その後のことは誰も知らなかった。

手紙に書かれていた " みなさん " は誰のことを指したものだったのか、はたまたこの手紙は誰に宛てたものであったのか、それはみよちゃんにしか知り得ないことである。もし一度生まれ変わる権利を得られるのであれば、みよちゃんに聞いてみたい。自死を選んだきっかけが「つまらない」という漠然とした理由で、あれから十数年、靄が取れないような気持ちでいる。13歳という年頃で生を断ち切るほどのつまらなさを感じていたことを考えると、遅かれ早かれみよちゃんは同じ選択をどこかでしていたのかもしれない。私が生きる理由を問われても、「冷蔵庫にプリンがあるから」みたいなエネルギーを感じられない性質を持った理由付けで、みよちゃんの表すつまらなさはこうした場所にあったのかと考える。あの手紙を見つけたのは 後にも先にも私だけで、みよちゃんの本当の思いは誰にも告げていない。たった今も自室の壁の真ん中に、画鋲止めされたみよちゃんの人生最後の告白が残ったままである。未だに私とともに生きていたなら、どんな大人になっていただろうか。命の重みに違いなどないのだから、秤にはかけられないというけれど。






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