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ロースト・ビーチ・ベイベー / 創作

キャラクター的な意味合いにばかり固執して、好きになろうと努力を続けたバンドが幾つもある。新たなることを始める上で、動機付けの強さというものは継続力に対する影響力が強いから、これまで邪な気持ちで手を出したものは殆ど続くことがなかった。こうなると、動機の紐付けが弱いバンドに於いてはいつになっても好意に変換されることはないらしい。何となく聴いた銀杏BOYZも、好きになれないことを確認した上でプレイリストから根こそぎ消した。

昼過ぎの大宮駅前は東西ともに人通りが極端に少なく、鉛のビルがスプラウトじみた伸び方をしている割にあっさりとしていた。故に人の流れがスムーズで、数多の路線が絡み合う駅構内から発車メロディが絶え間なく響く。対面の交通信号機が赤になると路肩で足踏みをしていた人間が青を待たずして歩き始めると親鳥の後を追う幼鳥のように後に続くものが現れて、停止線を超えた乗用車に待ったが掛けられている。皆往く先々はそれぞれとは言えど暑さから逃避するという目的は共通しているようで、一番街に面したビルの中に消えていく。田舎民は挙って呑気だというが、都会の人間は信号を待つにしろ分かりやすいほどにせっかちで、忠実に歩行者信号の点灯を待つ私はひとり横断歩道の手前に取り残される形になる。背後に建つパチンコ屋から流れる空気がぬるい。9月間近だというのに、どこもかしこもビルを縫う間に風が涸れていて、気持ちの悪い暑さだ。歩みを進めつつ強冷房のかかる場所を探して、築年数がいかにも古そうなビルの前で足を止めた。

ディスクユニオンで引っ張り出したゆらゆら帝国の「空洞です」を見て、そのジャケットのインパクトの強さから購入を考えた。
そこいらで買い求めるよりあまりに安いものだから、と改めて確認してみると端折られた部分がするりと開いて、新たな0が顔を覗かせる。シュリンクの締め具合が悪さをして、末尾の0が一つ抜けているようだった。
安いイヤホンを取り出して、きし麺のようなイヤホンの絡まりを解くと同時に音楽アプリを開いた。ダウンロードを済ませずに開くアルバム。右左も確認せずにイヤーピースを耳に押し込む。A面一曲目から締まりのないイントロと鼻濁音のような声を吐くボーカル。これはどうも好きになれないな、と素直に思った。

正直、分からないのが悔しかった。私には理解してやれないのだ。アルバム名と曲の調子は似通っているな、と思うのがやっとで、あまりにも面白くない。聴くところのむず痒さは相対性理論に通ずるものがある。こうなると、当てつけも甚だしく値札に印字された6万円もどことなく無意味なように思えてくる。これを買うというならば6000円のレコードを10枚買った方がいい。ジャックの根元を端末から抜き取り、きしめんの塊みたくたたみ直してポケットに押し込む。小一時間前に口に放り込んだガムの味が無くなってきたが、都会の中には悠長にガムを捨てられる場所なんてないから、諦めて噛み続けるしかない。改めて棚に向き直り、あ行から順番にジャケットを読み漁った。

相容れないと判断すれば、無闇に近付かないというのは私の中のセオリーだった。分かった気になっている人も世の中には一定数居るのでは無いかと思う。芥川賞の時期になると騒ぎ始める村上春樹狂の人間の裏側にも、同じ属性の人間が息を潜めているに違いない。私がそうした生き方をできないというだけで、どう生きようにもまた、どうでもいいのだけれど。

結局手頃な値段のレコードをラックから数枚抜き取って帰った。安物を選りすぐって買う行為も、実家から向かうハードオフで繰り出すものとまるで変わらない。
結局、来訪する数日前から浮き足立って下ろした10万円もなりを潜めたまま、幾日か前に崩した数千円を払う形で大宮を脱出した。あまりにも詰まらないから、途中書店に立ち寄って気になっていた本を探した。早川書房の棚は他の出版社に比べて小さくまとまっており、他の出版社から追いやられるような形で最下段に数冊並んでいた。店頭で翻っていたのぼりからの読み通り、お目当ての本などそこにはなかった。仕方ないと思いながらも、何か買わねばならないと身体が指示をするような気がして、平積みされている表の陳列から数冊を手に取った。
午後の陽光がまともに照り付けるこの店先では、陳列本が揃いも揃って日焼けしている。一冊目と二冊目の表表紙の差異はかなり酷く、互いに見比べても別の書籍かと見紛うほどに焼けていて、傍らにあるベストセラー!と書かれたポップアップの擦れ具合もかなり強烈だった。

3枚のレコードと5冊の本を小脇に抱えて、高崎線の下り電車に揺られる。乗り換えは少し先だから、と思うと張り詰めた気持ちも緩んで、少しばかり微睡む。線路脇に犇めく新興住宅街はいつ見てもモノトーンで退屈だ。見れば見るほどに退屈で気だるいのだ。籠原で切り離しを済ませた車輌は、群馬に差し掛かるところでスピードを徐々に緩めて、倦怠をさらに加速させる。大宮で感じた気だるさとはまた種類の違う、田舎馴染みの退屈。換気の為に開けられる車窓の隙間から流れ込む蝉の鳴き声もカラカラに渇ききっている。真夏を過ぎる前に、と間に合わせに買ったレコードのことを思い出した。ここに3枚加えると、針を落としていない盤は10枚に増えるらしい。この暑さが続く限りは、まだまだ夏も終わらない。蝉が死んでも、キャンプ場が暫し閉鎖になって、高速道路の渋滞が解消されても、私が夏と感じるからには今しばらくこの道程は終わらない。停車駅を告げる車掌の息継ぎの隙間で、家に帰ったら取り急ぎ、レコードに針を沈める約束をしよう。


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