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ワスプ / 創作


テーブルの上に置かれた瓶一杯分のハチミツ。それこそが家の中に伝わる、唯一の愛情だった。

国内には凡そ4500種余りの蜂が生息する。そのうちミツバチと類する蜂は2種生息しており、原生種であるニホンミツバチ、外来種であるセイヨウミツバチがいる。
アリ同様、巣内には厳重な社会統制が敷かれていて、ひとつの巣には女王バチを筆頭に数万の働きバチ、通称ワーカーが犇めき、繁殖道具としてのオスバチが数百、暮らしを共にしている。このうち女王として君臨するのはたった1匹のみで「王台」と呼ばれる特殊なカプセルの中で他のハチとは異なる、ローヤルゼリーを与えられながら育つ。女王の選別から漏れたワーカーは総じてメスであるも、女王バチの分泌する特殊なフェロモンによって卵巣の発達が抑えられるため、それら一つ一つに繁殖能力はない。限りある時間を、労働能力のないオスバチと女王バチにひたすら捧げ続けて一生を終える。たったひと回りの育ちの違いで、一匹の生涯は生まれ落ちた環境に依存することになるわけである。

田舎の山奥で養蜂家として生計を立てている祖父の家は、自宅から車で3時間ほどの所にあった。年末年始と、5月の大型連休になると家族総出でここへ出掛けることが通例になっていて、年に極わずかしかないこの催しを私は心待ちにしていた。祖母は私が生まれるよりもずっと前に亡くなっていたこともあってか、祖父もまた同じように心待ちにしていたのだろう。

慣れた手つきで祖父が巣礎を持ち上げるとともに鈴なりになったミツバチが明らかになって、幼い私が「わぁ」と声を上げて手を叩く。幾度同じ光景を繰り返してみても、毎回同じだけの感動に包まれるのだった。まるまる太った女王バチの周囲を、同心円状に小ぶりの働きバチが忙しなく動いている。その姿が、とてもけなげに見えて。
遠心分離機を使って採蜜されたばかりのハチミツの味は、そこら辺で売り出されているものとは比べ物にならないほどの美味しさだった。
屈託のない笑顔を浮かべる孫を前にした祖父は余程嬉しかったのか、それから各月、遠く離れた私の家に瓶詰めのハチミツが送られてくるようになった。食パンを自らの手で焼き、蜂蜜を塗ったところにバターを乗せると言い表しようのない美味しさが広がる。生まれて初めて食事というものに期待感を覚えた。
しかしそれも長くは続かず、5年ほどのやり取りを経て、祖父は養蜂を辞めた。さらにレントゲン写真に淡い影が写ってからそう時間も経たずして、祖父はこの世を去った。

管理の届かない巣箱は家主を無くすと単なる無機質な木の塊へと変わる。葬式を終えてすぐに、両親と共に祖父宅にある荷物をトラックの荷台へ積んだ時のことを、今でも時折思い出すことがある。人の死というものがその頃まであまりよく分からなかった私でも、がらんどうになった巣箱を運んだことをきっかけとして、少しばかり大人になった。両親の胸中については知る由もなかったが、悲しみに暮れる私とは対照的な何処かさっぱりとした表情に、一握の寂しさを感じていた。祖父の生きていた証拠たるものは中型トラックの荷台一杯程度で収まり、それら全てをどこかへ運んでいく業者の姿を、丘下に消えていくまでじっと見つめていた。
それからというもの、今までのように好きなだけハチミツが使えなくなり、残されたものを少しずつ、舐めるように消費した。リビングの隣に位置する仏間に祖父の遺影こそ飾られているものの、あれは本当の祖父ではない。瓶の中に詰められた黄金色のハチミツを使い切ってしまったが最後、祖父が生きていたことすらも忘れてしまうような気がすると10代もそこそこに恐ろしく、気軽に食パンの上に塗ることなど出来なくなっていた。
お気に入りのビーズケースの中身を学習机の引き出しに開け放すと、スプーンでひとすくいしたハチミツをこの中に詰めて、引き出しの奥に保存した。

雄バチは巣の外にほとんど出ないまま一生を終える。ハチの社会を支えるのは基本的に働きバチが行うことを除いても、特別に宛てがわれている仕事も全くないため、日頃より働きバチに餌を貰いながら生活する。そんな彼らの唯一の使命は、オスという性別らしく「生殖」なのであるが、数百の雄バチと、女王バチ一匹となると無論計算が合わない。つまり、均等に与えられる仕事ではないのだ。数多の雄がいる中でたった一匹が選ばれ、交尾を行う。卵は複数産むならば、その後を追って他の雄バチがと考えたいところだが、一匹の雄バチが注入した精子は女王バチの体内でもうひとつの生命よろしく生き続けると女王が死ぬまで、産卵の種となる。残りの雄バチはというと、生命が終末を迎える冬場までひたすら餌を貰いながら過ごす。別の言葉に置き換えるなら、ただ死を待つだけの存在になるわけである。
さらに驚くべきことに、冬場の餌不足に直面すると、真っ先に間引きの対象となるのは雄バチで、働きバチの力によって巣の中から追い出される。より正確に書くならば、摘み出されるが最適な程だ。冬の寒さもスタートを切り始めた頃、巣の周りを彷徨くと時折、地面の上で散り散りになって絶命している雄バチの姿を見ることが出来るが、これは最低限の食糧を確保することを目的としたコロニーによる生存戦略の一貫であるという。

祖父が亡くなったことの弊害として、まずは巣箱やミツバチに近づく道筋を失った。しかしそんなことは案外どうでも良いことだ。さらに大きな問題となるのが、私に優しくしてくれる人間の不在、そのものだった。
ごくありふれた家庭に生まれたと私は思っている。父親はごく一般的なサラリーマンで、母親は保険の営業を生業としていた。私が生まれてから、母親は仕事の行き詰まりを感じ、小学校へと上がる頃には専業主婦になっている。何かひとつ、私を主因とした問題が起こると「だから子どもなんて要らなかった…」と呟くのが口癖な母を、好きだとは思ったことは一度としてない。然しながらまた、憎むことも出来ないのだった。父親が仕事を終えて帰ってくると、母親は持ち合わせているだけの愛嬌を精一杯振り撒くことに注意を払う。父親は誰もが認めるほどの堅物な人間で、口を開けば成績表にどんなことを書かれ、カラーテストでは何点を取っているのかということへの関心が大きいあまり、娘の存在など見えていないようだった。その為か、父親を好き嫌いでサーブしたことは無い。しかし父親が居る9時間程度の間に提供される母親の優しさを受け取る瞬間だけは、その存在を強く感じた。母親のそれはいわゆる擬似的な愛情で、結婚した当初からずっと、真の愛情は父親へと向いていたのであろうし、私が産まれてからもずっと変わらないのである。
対して父親は特段何にも興味がなく、己の好きなタイミングで行動を選択し、尚且つ他人の介在をなるべく避けて生活を送っている。" 愛情なんて知らない " という表情を常に浮かべているが、こんな酔狂な女を妻にするほどの酔狂さを持っているとなると、何処かに自身を注ぐ場所があるのかもしれないと勘繰ってしまう。
ふたりの首からは常に「親」と書かれたプレートが提げられていて、その裏には「男」「女」と書かれている。いい大人が二人も揃って、私の前で形ばかりの「親」という生き物を演じている。時折母親が父に向けて見せる女らしさだけは目も当てられないほどに嫌っていて、心の底から侮蔑の目を向けていた。
この世で愛されて生まれる子もいれば、当然そうでない子も存在する。長い生活を続けていると、芯から愛されていないということも、私の中の普通になりえていた。荒れ狂う母の姿を、父は知らない。それらは私の中では当たり前のことだった。
その牙城が崩れされたのは、私が中学1年の頃のことだった。些細な口喧嘩が次第、怒鳴り合いに達した。母親が金切り声を上げる頃には母も私も我を忘れているような状況で、そこに父がのこのこと帰ってくるという筋書きだった。
互いに声を張り上げる姿を一目見た父親のその後の行動は、目を見張りながら後退りをし、静かに部屋に戻るというものだった。するとどうだろう、これまで母と対等に言葉を交わしていた父が一転、母親に何の忠言もしなくなったのである。それは私に対しても同様で、明らかに父親はこちらの出方を伺いながら、口調や言葉を選ぶようになった。まるでひと足踏み違えばこの場所から追い出されることを危惧しているような具合で、その頃に私もようやく、四層構造の巣箱を介した祖父との思い出をもう一度なぞることとなる。

ミツバチの天敵には様々なものがいるが、働きバチが数匹ばかり掠め取られたところで、コロニーそのものに一切の打撃はない。寧ろこの適度な循環は若い戦力を生むことにも繋がり、数が一定数まで減ると女王バチが新たな命を生み出すことで、コロニーの安定的な存続に繋がる
。コンスタントな犠牲は種の存続に於いて、潤滑油の効果をもたらすのである。
しかしながら、この本体を内側から破壊しに来る天敵がいる。それが " スズメバチ " だ。同じハチという仲間に属しながら、繁殖期にはミツバチの巣そのものを標的とする。体長はおよそ4センチで、これはミツバチの2倍に匹敵する大きさだ。花の蜜を主に摂食するミツバチとは異なり、本種は昆虫を中心とした肉食傾向の強い特徴を持つ。昆虫1匹を見つけ出して狩りを行うよりも、栄養の詰まったミツバチの幼虫を引きずり出して捕食する方が遥かに効率的であることから、時期になると巣箱を集団で猛襲する。成体に興味はなく、迎え撃つ兵隊を噛み殺して処理すると、手早く幼虫を咥えて脱出、これを本種の幼虫の栄養源とする。ただ、ミツバチの陣営もやられてばかりではない。スズメバチ一頭に対し、集団で対抗する唯一の方法を持っている。それこそが「熱殺蜂球」という手段だ。まず、スズメバチの体外を囲むように働きバチがスクラムを組むと、一斉に羽を震わせる。蜂球内の温度は最高点に達すると約48度にもなり、高温に耐えられないスズメバチは限界に達し、絶命する。一方のミツバチは50度程度の高温には耐性があるため、自身が耐えうる温度とのギリギリを攻めた状態で競合相手を圧倒するのである。なおこの能力を持つのはニホンミツバチのみであり、セイヨウミツバチも同じような蜂球というスタイルを取るが、こちらは熱によるものではなく、柔らかい組織に毒を注入するという手段の違いがある。しかし何れも、生まれが異なる故に背負った本能の衝突であって、たった今亡くなるスズメバチも、たった今スズメバチを焼き殺すミツバチも、一瞬のボタンの掛け違いがあったなら、仲間として暮らしていたのかもしれない。

中学校2年に上がった頃、東京から一人の女子生徒が転校してきた。郊外とも呼べぬほどに見窄らしい田舎町に降り立った彼女は、すらすらと自己紹介を済ませると黒板に自分の名前を、これまたすらすらと書き始める。聞いた事のない苗字に、皆が注目した。
この街で生まれた人間はこの街で生まれた人と出会って結婚するというしきたりに近いものがあって、ここに住まう人々の苗字の多くは、地域に根付いた歴史を含んでいる。どこの学校も最大2クラスまでしかないとなると、出席簿に同じ姓が連なるのも自然な現象だった。
聞くところによれば、彼女の父親は都心に本社を構える大企業の中間管理職だとかで、生まれつき転勤を繰り返してきたという。同じ制服を身に付けていても、態度や口調という細やかな部分に明確な違いを感じる。

こうした背景に加えて、とにかく天真爛漫なその性格は、携帯の電波すらもまともに届かないような田舎町の人間を打ち解けさせるには困らない。都会での華やかなる経験談を携える彼女は、ファーストインプレッションを好調な状態で発進させた以上、その後の学校生活の成功すらも約束されているようだった。
人は皆平等であると教科書にこそ書いてあるが、私はそうは思わない。先天的な部分には、ここに列挙しきれない程の大きな作用があって、後追いで身に付けたものすらその壁を越えられない。この教室の中で都会での生育を経験しているのは彼女だけであって、この街の歴史を煮詰めたような容姿とは桁の違う、長い足や大きな目、キメの細かい肌を持っているのも彼女だけだった。

「昔、おばあさんがこの街に住んでたんだよね」

彼女の呟き、教室のざわめき。並の新入生では構築できない演出に、初日から彼女の強さをうかがう。どこ?どこ?という言葉が飛び交う隙間を一際澄んだ声がよく抜けて聞こえる。彼女が「あっちのほう」と指を指すと先程よりも少しばかり大きく湧いた。校舎の南側から見える住宅街のちょうど中央の部分には立派な門構えの邸宅があり、門前の池の中では鮮やかな色をした鯉がふわふわと泳いでいる。これほどに狭い街だから、老若男女問わず誰しもが知っているのだろう。それが証拠に、十代端くれの私たちでも、方角を指定されただけで話が通じる。
あの大きな家だよね?と呟くクラスメイトの声に、柔らかに同調する。貴方はこんな家に住んでいそうね、と一人ひとりを見定めることは難しくても、彼女ひとりを基準として考えるには容易いものだ。
高貴な見てくれはもちろんのこと" おばあちゃん " とは呼ばず、 " おばあさん " と呼ぶおしとやかな部分を含めても、それ相応の環境に居ることを勝手に想像させるのだった。
「そうね、あのおうち。でもただ大きいだけで、みんなのお家と変わらないよ」
彼女がそう返すと、いやいや、という声があちこちから飛び交う。同年代に気を遣って大袈裟な返事をしているのだろうかと邪推すると、今度は同調することができなかった。今どの部分を読んでいたかを忘れて、一度でも傾けかけた彼女への視線を、改めて手元の書籍に目を移す。私の思いと重なるクラスメイトは幸いにも居ないらしく、話し始めと変わらぬ様子で彼女に探りを入れている。
私たちの生活環からかけ離れすぎているあまり、彼女が反芻する謙遜の言葉たちも、この場所への皮肉に感じた。

目新しいものなんてそうそう見つからないのがこの街だから、初日を終えてもずっと、クラスメイトは彼女を離さなかった。それは大人も同様で、いつでも一目置いて接しているようで、いつでも机の周りには人集りができていた。もう、私以外に話していない人など居ないのではないかと思うほど、羨望と興味の塊となって日々は流れる。
そんな学級のガヤガヤとした空気に疲れて、ある時一時間ほど授業を休んで図書室に籠った。在中している支援員がこの場所を切り盛りしているものの、教員という立場ではないからか、その時間中はどんな過ごし方をしていようと、何も言わないのだった。図書室に居る間は自学自習の時間として場が設けられているものの、いつもこうして積読本を切り崩している。
業務用の大型エアコンがぶおんぶおんと呼吸を繰り返している中でページを捲っていると、心の底から安らかな気持ちになるのだった。一瞬たりとも手を止めずに本を読み耽っていると、他の教室から歌声や、机を動かす音が聞こえる。教室に居る時こそ騒々しく耳を刺すものたちが、少し離れた場所からはほんの少しばかり心地好く聞こえる。
「失礼します」
の声とともに扉が開くと、その耳触りで声の主が誰であるかが分かった。彼女である。入室してからきょろきょろと室内を見回す所作から、まだこの場所に慣れていないのだろうと察することができる。今この瞬間は、時間割が数学であるということを、脇に挟まれたテキストの印字を見ながら思い出した。
入口を入ってすぐ最前にある椅子に腰をかけるのかと思いきや、つかつかと歩いて来て私の目の前の椅子に深く腰をかけると、持っていたテキストなんかを全て長机の端に投げ出したかと思えば、私に向かって話しかけてきた。
「山内さん、だよね?」
そうだ、私は山内だ。学年全体を辿っても、同じ苗字を持つものが4人もいる。古い木造建ての借家が並ぶ自宅の周辺一帯には同じ表札を掲げた家庭が何件もあって、宅配業者も迷うほどにカオスな状態だった。指し向かいになった彼女がこちらを向いて呼ぶものだから、それが私に向けた言葉と分かるというだけで、もしこれが教室での出来事なら、私は瞬間的に気が付くことはできないだろう。
仕方なしに本を置いて、ナズナの押し花が施された栞を間に挟んで本を閉じる。

一瞬の思案の末、ゆっくりと頷くと、彼女は私の手元を見ながら、優しい声色で呟いた。
「それ、ナズナの花だよね?花そのものは小さいけれど、可愛い見た目で私、好きなんだ」
ナズナは、別称ぺんぺん草とも呼ぶ植物で、果実の部分を器用に引っ張ると、中に含まれた種子の揺らぎに伴ってちゃらちゃらと音を立てる。生前、祖父が私にそんなことを教えてくれた。巣箱の整理をする合間に足元に生えた一本のナズナを少しあしらっては、私の耳元で優しく振ってくれたものである。手元の栞も、祖父の没後、趣味で残してあったものを小学校時代の司書さんにラミネート加工してもらったもので、それ以降、この栞を手に取るために本を読んでいたと言っても過言ではない。

たった一言「東京にも生えてたの?」と問い返すと、彼女は露骨に寂しそうな表情を浮かべた。何か気に障ることでも言ってしまったのだろうか、と彼女の顔を伺うと、見たことがないほど神妙な面持ちをしていた。暫し考え込んだかと思えば、いつもの声より低いトーンで私に問いかけてきた。
「私は他の人と違うって、山内さんも思う?」
要領を得ないばかりか、やや的外れとも受け取れる回答に、私はすぐに答えられなかった。そうして思案の限りを尽くしている間に、彼女は私の手を取ると通用廊下の先にあるトイレへと、終始無言で導いた。
「私ね、東京がイヤでここに来たの」
彼女がそう呟いて窓を開けると、窓枠に取り付けられたL字型のストッパーが、窓の開放を邪魔する。僅かに開いた隙間からは緩やかに風が射し込んで、ひゅうひゅうと音を立てている。
彼女が絞り出すように話を始めたのは、それから間もなくのことだった。
「東京に住んでいた頃、勉強も何も上手くいかなくて、その姿を見た父と母は私を咎めた。両親が心配しているのは娘の問題じゃなくて、私の家が他人からどう見られるかという心配でしかなかった。都会にはね、全てがあるようで何もないの。私が花に触れても、それは他人の手によって無理やりに育てられたような花であって、本当に伸びやかに生きているものに触れることが適わなかった。だから私は東京を出て気持ち新たに生きていきたいのに、誰もが私自身ではなくて、私がどう生きてきたか、とか、私がどんな家で育っているか、そういう話ばかりを並べる。私だって皆と同じ14歳なのに、まるで違う生き物のように私を眺めて、期待に合っていれば勝手に喜んで、違っていれば勝手に落胆する。私は何処へ行っても皆と同じになれないのかと思うと、辛いんだよね」
捲し立てるような口調が段々と緩やかになってきて、辛いと締める瞬間には声が震えていた。
何となく私も、分かる気がする。私も彼女も心の底から愛を求めているかは別として、少なくとも私たちは多感な時期でありながら、自分自身に目を向けられていないという不足を抱えていることは確かだった。いつも通りの私なら、金持ちの皮肉じゃないか、と曲がった解釈をしていたかもしれない。彼女の潤った瞳を見つめているととてもじゃないけれど、そんな皮肉なことは考えられなかった。
ここで、私の育ちを洗いざらい告白するのも簡単なことだけれど、やまびこのように同じような話をして返すのは得策ではないと感じる。彼女の顔の横に見える薄桃色のタイル。剥がれた部分からモルタルの塊が露出しているのが見えて、それすらも崩れかけているのが目に入った。下手なことを言ってしまえば、お互いの殻を剥ぐようなことにもなりかねないことを、勝手に解釈してみる。
そうして彼女の両腕を掴みつつ、顔を近付けてじっとその目を見つめて、唾を二回呑んで、ひと息に。
「2本の腕、2本の脚、長さは少し違うけど…ほら、目も鼻も口も、同じ数だけある。お互い屋根のある家に住んでいるし、同じ制服を着ているんだもの、つまり…私たちは一緒、私たちは…」
呼吸を忘れながら話すと、息が詰まって苦しくなった。息が続かないあまり、部活ではチューバを下ろされて、私は逃げるようにして金管パートに落ち着いている。己の肺活量の無さの賜物だった。

彼女がハッとした表情を浮かべるものだから、咄嗟に掴んでいた両腕を離した。少しずつ表情が変わって、微かに口許が綻んだかと思ったらケラケラと笑い始めた。
「山内さん、沢山喋れるんだ。クラスに居る時に一度も話すのを見たことがなかったから私、びっくりしちゃった。でも嬉しい。山内さんだったら、私のことを分かってくれるのかもしれない。ちょっと腕が痛いけど、ありがとうね」
腕に目を落とすと、真綿のように白い腕に私の指圧が転写して、ほんのりと色付いている。一本一本の間隔の短さ。私の小さくて短い手の跡が、くっきりと残っている。

小学生時代は、そこそこ言葉を喋る子どもだった。今だって家に帰れば、口数の多い母親と対等に話ができるほどだ。昔から、何を伝えるにも人一倍言葉を必要とした。パズルを埋めるかの如く小さなピースをやっとの思いで並べて、相手に物を伝える必要があったのだけれど、その口数の多さを一度級友に指摘されてからというもの、上手く話が出来なくなっていた。" あなたを分かってあげられる " という思いの丈を彼女にぶつけると、それを何の不満も漏らさずにすくい取ってくれている。この時私も、彼女なら分かってくれる、と心の何処かで感じていた。
こうして互いの真意を確認していると、終鈴が鳴った。校舎の中がザワザワと音を立てる様子を耳が拾う。さっきまで感情豊かにやり取りをしていたふたりも、黙りこくったまま教室へと戻った。教室へ一歩足を踏み入れると、彼女の元にクラスメイトが集まってくるなり心配を含んだ言葉をかけているようだった。その集まりの横をするりと抜けて席へ着き、国語の教材を一式、机の外縁に沿うように置いた。この頃は短歌の分野に入り、詩的表現を一切読み取れない私は少しばかり退屈だ。
引き出しの左端に締まってある読みかけの本を取り出すべく引き出しをまさぐると、そこに本はなかった。ようやく、図書室に置いてきたことを思い出した。私も彼女も、教室へ帰るとそれぞれの役割に徹する。不本意ながらも隊列を引き連れている彼女の表情の切り替えは本当に卓越で、心の底から笑っているように見えた。とてもじゃないけれど、先程まで涙交じりに話をしていたなんて思えないくらい、コロコロと顔付きを変えて話をしている。20のやり取りの中から1つくらい、いいなぁ。というクラスメイトの呟きが聞こえる。やはり彼女は羨望の的であり、同時に期待の的にもなっている。彼女の嘆きをもう一度頭の中で噛み砕いて、よくよくその内容を理解する。短歌の面白さというのもいまいちピンと来ないものがあって、教師の話など半分も入ってこないのだった。

ハチという生き物は種族が違えば生活体系が違って、ことスズメバチに於いても、地中に巣を形成するものから、木の洞に形成するものまでおり、そこには様々な生活がある。中には別の種類の巣を小集団で略奪して居を構えるものまで存在する。こうした生活の違いは人間になぞらえられる部分もあって、数多の人間の声を聞く度に、各家庭の文化規範のようなものを肌で感じる。

春の終わりごろからバレーボール部に所属した彼女は、その運動能力の高さを発揮して夏の大会でも好成績を収めていた。毎朝過酷な練習をこなし、クラスメイトの誘いを受けて遊びに出掛けているらしい。夏休みに入る前より、教室の中でも彼女と会話を交わせるほどの関係性に落ち着いていたが、私の地の活力の無さを知ってか知らずか、クラスメイトは交遊の場に私を誘ってくることはなかった。
校舎脇を横切るサイクリングロード、その中途に位置する道の膨らみは、枝振りの良いクスノキがほぼ一年を通して日陰を提供してくれる場所で、入学からまもなく、市費が投入されて2台のベンチが完成した。その場所が私たちの約束の場で、部活終わりにすれ違う度に 「あそこね」 というひと言で通じるまでになっていた。無論、部活を除いた生活に大した動きもない私は、2、3文話したところで弾が切れると、終始聞き役に徹することにする。彼女の私生活を指先でなぞるように淡々と話を聞いていると、いかにも若年らしい人生を送っていると感じる。感じることができても、私には到底できる気がしない。
ゲーセンを周回し、クレーンゲームで会得した赤子大のぬいぐるみを抱えながらカラオケに行き、今流行りのJPOPを歌い明かしてから、学割で100円のドリンクバーで喉を潤す。ホームセンターで買いもしない犬猫に軽く挨拶をして、袋詰めの花火片手にアイスキャンデーを舐めながらに夜を待ち、夜が耽けたと同時に花火の先に火を点ける。燃え滓が溜まったバケツを自転車のカゴに引っ掛けて、それぞれの家路に着くまで…話を聞いているだけで私は十分だった。最も合奏一周分で体力の限界を迎えてしまう私のことだから、着いて行ったところで、ゲームセンターを飛び出す時点で大きく疲労を抱えてしまうと思う。真夏らしくギラギラと照り付ける陽の光を前にしては、何をするにも無条件に降伏せねばならないほどの、微弱な体力しか持ち合わせていなかった。

「海へ行かない?」

そう彼女が言い出したのは、8月を迎えてから間もなくのことだった。呆気に取られている私には目もくれず、遠くの方を眺めながらただ海の話をする。彼女が画面を目の前に広げて、指の端を置いた先には、青々とした綺麗な海が写っている。生まれてこの方、一度も海を見た事のない私は、想像の全てを尽くして、知らぬ青い水の塊を頭に浮かべた。人一人居ない穏やかな浜辺で、寄越しては引いていく波を見ながら、彼女とふたりで取るに足らないような話をする。冴え渡った快晴の下で、知らない島の形を見ながら、取るに足らない話をする。考えるだけで十分、という横槍が入ってくる様子もなかった。
「うん、あっついもんねーーーー。」
こんな具合に言葉を畳めば、突然の誘いすら、最もらしい理由になる気がする。役所の本庁舎が、川を挟んだ向こう側に見える。そしてその脇に取り付けられた電子温度計は27度を指していて、日陰の中に居るとは言えど焼けるような暑さだ。正午へ近づくほど、めきめきと上がっていく気温の中に居ると、身体が自然と海を欲する。これだけ暑くなる日々が続くと、いつか地球が灼熱に包まれるなんていうネットの囁きも、中途半端に疑えないような気もする。
お待たせ、と叫びながらクラスメイトがぞろぞろと自転車に乗って坂を降りてくる頃には、彼女の姿もろともだいぶ遠くなっていた。バスケ部に所属するクラスの女子集団と帰る予定を交わしている彼女に気を遣って、正午の鐘が鳴るタイミングで解散するのがここ最近の日課と化している。互いの役割をはっきりと分けること。その役割には無闇に干渉しないこと。特に約束を交わしたわけでもないけれど、この生活に慣れるとそれも些か悪い気がしなかった。

祖母の大きな家に比べたら彼女の家は小さく感じるも、新興住宅地の中に建っている彼女の自宅は注文住宅らしくデザインも凝っている。御影石で出来た表札を眺めながら緊張しながら彼女を待つ。夜遅くに降った大雨を経て、一段と暑い一日だ。人と出掛けるという久々な感覚に絆されて、久しく付けていなかったコンタクトを嵌めて来た。眼鏡で見る世界とはまた異なる鮮明な視力と、目の上の明らかな違和感。馴染むには少し時間がかかると思う。
待ち合わせ時刻から5分過ぎて、玄関の扉が開く。温まった空気を逃がすように、大きく深呼吸をする。
「あれ、自転車で来なかったの?」
彼女が目を丸くしている。上手く状況が飲み込めなくて、少し遅れながらも、同じように目を丸くした。彼女に言われるがまま自転車を一緒に取りに戻ると、その足で駅を目指してペダルを漕ぎ出す。駅前大通りにずらりと並ぶ木立の中から、蝉の鳴く声がじわじわと聞こえる。

しばらくすると、私たちは車両に乗っていた。新幹線でも急行電車でもない、普段から利用するタイプの電車に乗っている。てっきり私は、彼女の家族の車か、若しくはそれに近しいもので海へ向かうものとばかり思っていた。電車という考えが無かったわけでは決してない。それはあくまで彼女らしい生活に乗っ取って考えたものだったが、こうして各停の車両に腰を据えている。聞くところによれば、これから5回ほど乗り換えを経て海へ向かうという。私は心の中で大層驚いていた。これこそがいつだか彼女が言っていた「勝手な期待」そのものなのだろう。彼女への気まずさはもちろん、私の中に明確な差別心が内在していることが心底ショックだった。
今思えば、私がこうして壁を隔てていることを、彼女自身も端々から感じ取っていたのかもしれない。話し始めてからすぐに私の得意な話と苦手な話を上手に振り分けて話をしてくれていた彼女のことだから、それも至って自然な話ではある。

海へ着くと同時に、私のコンタクトを褒めてくれた。かつて私が初めてコンタクトを嵌めた時の、笑いや皮肉が籠ったような誰やらの褒め方とは異なる、柔らかい言葉を貰った。無我夢中で貝殻を拾って、ビーチサンダルの行方を見失うほど、初めて見る波間を蹴りながら、普段の生活からかけ離れた状況に心酔した。少し舐めた海水の味。想像していたほど塩辛くなく、寧ろ優しい味がしたのは、心の底から多幸感を享受していたが故の副産物なのかもしれない。濡れた両足が渇かないうちに、砂粒も払わずに水族館へ向かうと、巨大水槽の中をゆらゆらと泳ぐジンベエザメを見る。ぬらりとした肌目に等間隔で浮かぶ白いスポットは、浜で掬った砂によく似ていた。あっという間に時間が過ぎ、最寄り駅にて互いの家へと向かう頃に彼女が放った、
「山内さんさ、よく笑うようになったね」
という言葉も、これまで掛けられてきたどんな言葉よりも純朴に受け取れるものだったと思う。あの時、ひと言でも " あなたのおかげ " と伝えられていたなら、私や彼女の運命は少しでも陽の引力に吸い寄せられていたのではないか、と思うことがある。

長い時間をかけて拾い集めた貝殻の15枚ほどを、ホームセンターで買ってきた鍵付きのケースに収めて、クローゼットの隙間に仕舞いこんだ。次いでに、ハチミツをたっぷり詰めたビーズケースもこの場所に移しつつ、丁寧に鍵をかける。祖父との思い出に匹敵するほどの十分な思い出だった。
帰り道の電車で本を開くと、挟まれていたはずの栞が無くなっていた。それはそれで悲しい出来事に変わりない。しかし栞の不在に気が付いた彼女が 「海に流れて、別の島へと旅に出掛けているかもしれないね」 などと言うものだから、身体が勝手に温かな海へ流れ着くことを鮮やかに想像する。もしそれが本当だとしたら、ナズナも生えていない島へ行くのだろうか。

新学期初日、教室へ向かうと彼女の姿はあれど、そこを取り巻く雰囲気が一新されていた。
今まで何処を行くにも貼り付いていて回っていたクラスの人間がどことなく距離を取っている。その取り方もなかなかに露骨で、彼女の机を中心に、半径数メートルそこそこの窪みができていた。
ふたりきりの旅路から外れた私は、長期休暇の残りがあっても家からほぼ出ることなく、部屋の中で一日中本を捲っていた。そんな中、彼女を含めたバレー部員は男女一緒くたになって食事へ出掛けていた。この街では通例になっているショッピングへ繰り出し、日も傾いてきたから帰ろうという時、男子部の部長が彼女に
「この後、時間ある?」
と声をかけると同時に、一行は解散することになる。彼の言う " 時間 " というのはいわゆる " 告白 " を意味するものだったようで、月並みな告白を受けた彼女は突然の事態に驚くも、自身の思いに嘘偽りなく、はっきりと断りを入れた。後日、そこまでの流れを彼女があっけらかんとした様子で話すと、女子部の部長の逆鱗に触れてしまったという。こうして怒りの籠った火種は彼女に降り掛かり始めた。
老若男女のどこを取ろうが人そのものの少ない田舎町のことだ。想う相手が重なることなど、よくある話で……そう感じ取るのは私を含めてごく少数派であることが、教場を包む空気が物語っている。しかしなぜ、これしきの出来事でクラスメイトの大半を巻き込むまでの大事になっているのか、よく分からない。部長という肩書きがあっても大多数の人間を渦中に引き込むほどの力はないようにも思える。聞き耳を立てつつも、本を読む手は滞りなく進んだ。しかし製本の活字を目で追うより、四方八方から聞こえてくる音ばかりが気になる。噂の締め括りにあったのは、彼女自身の話ではなく、彼女の父親についてだった。ネット上に揺蕩う情報の波の中から、過去のニュースを拾い上げたのは誰なのか、定かではない。同年代の人間のみならず大人までもがその内訳を知っていて、このうち意地の悪い何割かの人間が吹聴していることを、後々知った。

その出来事というのが、彼女の父親が過去に痴漢で逮捕されたことがある、というものだった。もう5年も前の話で、尚且つ父親はもう社会に戻っているのだからと内心思うが、トラブルの渦中にいる彼女を完膚なきまでに傷付けることを目的としている人間たちにとって、その話題は格好のエサであるらしい。
狭い田舎町で起こることについては、その内情をよく知っている上に、今更驚きもしない。同じ地域に住まう人間が悪事を働くと、その親類までもを巻き込んで噂のタネにする毒々しい現象は、物理的な娯楽のない人間ばかりが集まる片田舎ではよくある話だった。私は決してそれを認める訳では無いにせよ、体を張って守った人間すらも槍玉に挙げられた話を聞いて育った限りは、黙ってやり過ごす他はなかった。無言で静観するのは認めることと同義であるということも、よく分かっている。しかし、私にはどうすることもできない。叫び出したいくらいの複雑な気持ちを抱えながら、ただじっと席に座っていることしか出来なかった。大人たちはその事実を知っているであろうが、誰もがいつも通りの振る舞いをしていて、かえってそれこそが不自然に見えもする。
紛らわしに本を開いても、中身などまるで頭に入らない状態で、栞のない本の天頂を通して彼女の姿をじっと窺っていた。彼女自身、悲哀に溺れているというよりかは、半ば諦めのような気持ちを抱いているようにも見えるがまた、いつもと変わらぬ様子で窓の外を涼しい顔で眺めている。たった今何を見ていて、何処に意識があるのか、掴めるわけもない。
授業中の合間に彼女の姿に倣って窓の外を眺めてみてもますます、何を考えればいいか分からなくなるばかりだった。

下校前のホームルームが終わると、教室を出た生徒たちが幾つかにまとまって下校する。本来なら部活に向かう頃合いだが、テスト直前で部活は一定の停止期間を設けているから、私たちが向かうべきは校門一択だった。廊下で待ち受けていた学年主任に呼ばれた彼女が隅の空き教室に消えていく中、他の生徒は蜘蛛の子を散らすようにして帰って行った。教室の端で教材をまとめるフリをしながら、扉の奥から彼女が出てくるのを待ち続ける。放課後の時間が、いつもより長く感じた。
「待ちなさい」
という声とともに教室の扉が開いて、彼女が長い髪を振り乱しながら廊下を走っていくのが見えて、私は慌てて通学カバンを後ろに背負う。追いゆく人間がひとり増えた学年主任は私のことも呼び止めたが、ここで半端に止まるわけにもいかない。名前を呼ばれれば素直に応じる普段の素行を放棄して、一目散に駆け出した彼女の後を追いかけた。力のない肺がチクチク痛むその最中でさえも、すらりとした体躯を生かした走りを彼女が弛めることはない。下駄箱で靴を履き替える数秒でぐっとその距離が縮まって、校門から出た数メートルほどのところでようやく、彼女のエナメルバッグに腕を絡めることが出来た。
「違うよ」
彼女は呟く。続けて、パパはそんな人じゃない。と吐き捨てるように言った。声の震えは涙によるものではなく、鮮やかな怒りを含んでいるように見えた。同時に、それは真実に限りなく近いというよりも、彼女自身の祈りであるようにも受け取れた。一度は掴んだエナメルバッグの斜め掛けを静かに離す。

「冤罪だったの」そう呟いて、彼女は続ける。
「こっちの電車とは違って、朝の通勤ラッシュで電車の中は人でいっぱいで。パパが左手に持っていたビジネスバッグを持ち変えよう、とした時にカーブに差し掛かって電車が揺れて、目の前にいたおばさんのお尻に手が触れた。ただそれだけなのに、おばさんも周りも、痴漢だ痴漢だ、と騒ぎ立ててパパは捕まったの。電車が止まったことでニュースにもなったし、今のクラスの子達みたいにみんなが私を、私の家族を悪者みたいな目で見てきたんだよ。おかしいでしょ。パパは悪くないのに」

小学校低学年の頃、すし詰め状態の電車の中で、他人の手によって身体を触られた経験がある。急行電車が次の駅に着くまでの間、私のそれよりもうんと大きな掌が、私の臀部をガッシリと掴んでいるのをグレンチェックのスカート越しに感じ取った。辛うじて自由の聞く片方の腕で母親の腰辺りを引っ張っても、まるでこちらに注意など払ってはくれない。
それ以来、大人の男性に対する恐怖心が私のアイデンティティを包み込んでいる。それは自身の父親も例外ではなくまた、一度しか顔を合わせたことのない彼女の父親に対しても同じ眼差しを抱いていた。同じようなニュース報道を見る旅に身が竦む思いをし続けてきた自分自身のことだから、真実がどうであれ、彼女の父親の話を聞いて醜く思ったことは純粋な気持ち以外の何物でもなかった。彼女の父親を訝しく思うことこそが、彼女を傷つけるという証明になったとしても。

ただ私は、彼女を置いていくことが出来なかった。ゆっくりと手を取って、鍵の着いた自転車もそのままに歩き出す。
溌剌とした彼女の隣に居る間 " 私って、可哀想なのかもしれない " そう思った経験は、一度や二度ではない。海の話ひとつするとなっても、私はたった一度彼女と眺めた話をすることで精一杯であるというのに、数多の海を眺めてきたであろう彼女の口からは私の知らない美しい部分が少しずつ露わになる。こうした経験の隔たりは、ものの見方や世界の捉え方に至るまでのすべてを侵食した。割合近くに居たところで、どこかその存在を遠くに感じていたのである。
そのためか、彼女の近くを着いて回る人間の気持ちを理解することは尚更難しかった。そんな取り巻きがガラリと目の色を変えてしまう光景を目の当たりにすると、隣に居る彼女の存在は彼ら彼女らに取っての一種のステータス、道具になり得ていたのではないだろうか。もしそれが真実であるならば、必須要素であったのは彼女の外側にあるものだけで、彼女の内側に関しては皆、何ら興味がなかったということになる。彼女の表面に照り輝いていたメッキを剥せるだけ剥がしてしまえば、その身体に用はないということだ。
孤独であることについて、私はそれを悲しいとも、可哀想だとも思わない。
ただそう感じているのは私だけで、世間一般的に直せば、独りでいるということは可哀想とされている。たった今なら、彼女への眼差しを以て分かるような気がする。
彼女の涙が渇くまで、河川敷の縁をひたすらに歩き続けた。白い運動靴がぬかるみの泥に嵌ることがどうでもよくなるくらい、思考を続ける余白が私の中には無かった。歩みばかりが軽やかで、その世界を包む、長い、長い、沈黙。


その翌日から、彼女は学校に来なくなった。

驚くべきことに、彼女の突然の不在が判ったところで、誰も顔色を変えることはなかった。彼女を主成分として形成されたコミュニティは、核を失った状態であっても依然ピンピンしていて、試験と試験の隙間に編み込まれた休憩時間になると1つの席に小さく固まったまま、なにやらひそひそと話をしていた。中央部分がぽっかりと穴を開けた構図に対して、大人たちは少しの疑問も抱いてもいないようである。
子どもは愚か、大人までもが彼女に降り掛かった不幸のあらましを理解していたから、誰しも、ほとぼりが冷めるまでそっとしておこうくらいに思っていたのかもしれない。

9月の中頃、サイクリングロードに蝉は居ない。しかしまだアスファルトの敷かれた往来は熱を持っている。呑気にその場に留まろうものなら、玉のような汗によってたちまち身体が呑まれてしまいそうだ。しかし、月の後半になればこの暑さが嘘のように温くなることを10代端くれの私でも知っている。列島中央よりやや太平洋側に偏りを持つこの場所は、来たる時期になると台風の通り道としっかり重なるという特質を持っている。襲来を前に、倒木の危険性ありと判断された老木が次々と切断されたというニュースを、今朝方見たような気がする。確かに、鬱蒼と生い茂っていた木立の背丈は僅かばかり低くなっていて、ちょうど良いところにあった日陰も根こそぎ無くなっていた。嘗て私たちが日除けとして用いていたベンチにすら、まともに陽光が照りつけている。設置からさほど経っていないにも関わらず、雨風を頻りに浴びた代償として、レモンイエローのペイントのあちらこちらが剥げている。秋らしく薄雲が空を駈ける、そんな状態になると、より遠くの景色は淡く白飛びを繰り返す。真夏であれば難なく眺められる県境の山の稜線も、秋の景色に溶け込んで見えなくなっていた。ベンチの傍を通り過ぎようという時、奥のベンチに彼女が座っていることにようやく気が付いた。秋が織り成す景観と、その者が身に付けている淡いシャツの色が重なってよく見えなかったのである。

「海へ行かない?」

じとっとした暑さと同じように、ゆっくりと来た道の方向へと爪先を向ける。漆を塗ったように艶々としていた髪の毛からは潤いが消えているのが分かった。シルエットのあちらこちらから縦横無尽にぽやぽやと毛先が伸びきっているのを見て、それも長らく整地されていないであろうということを悟った。そこに彼女の面影はなく、声を聞かなければ誰であるかも分からないほどだった。
「海へ行こう」という誘い。蝉の雄叫びが響いていた真夏日から比べるとまた違った響きに聞こえる。雲ひとつない青空の下で見るコバルトブルーの漣も、うろこ雲を引っ掛けたような今では鉛色に見えるだろう。夏休みの最中に確かにあった お金の余裕と、気持ちの余裕が、私の中にはなかった。そんなことも知らず、彼女はつかつかと駅の方向へと歩き始める。知らないうちに、彼女が向かう方角の空には黒黒とした雨雲が立ち込めていた。もうすぐ雨が降りそう、帰らなきゃいけない、そう思う。

小さくなろうという背中をぼーっと眺めながら「行かない」
と呟く。届いていないようで、歩みを止めずに歩き続ける彼女に向かって、大きな声で叫んでみる。

「私、海、行かない」

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橋の欄干に手をかけながら見る街中は絶景だ。街の外れにかかった橋から県庁、それを囲む南の街を望む。家族揃ってここから、花火を見たことをふと思い出したけれど、あの日のように明るい街の面影はない。この頃には雨雲がすっぽりと空を包み込んで、遠くの方で轟々と風が鳴いていた。サイクリングロードからここに来るまでの20分。私が絶叫した折からふたりはずっと静かで、風鳴りがより大きく聞こえる。塗装の禿げた鉄製の欄干に彼女が腰をかけるまでの流れを、黙って見つめ続けた。正気の私であったら登る暇すら与えずに、止めていただろう。
彼女がこの街に来たことを契機として、人々の異常性が明らかになった。みんなおかしくて、彼女と私だけがずっと普通だった。なんて、思っていたけれど、誰よりも異常であったのは他でもなく彼女であったに違いないと、たった今ポケットから取り出された栞を目にしてようやく気が付いた。栞は落としたわけでも流されたわけでもなく、彼女がずっと持っていた。
" 返して " という声とともに、身体は勝手に前のめりになる。伸ばした右手から逃げるように、栞を握る彼女の身体が川の向こうへと傾いて、目の前から姿を消した。
水の流れが切り裂かれるのもほんの一瞬、水面を見下ろしても、一切の澱みなく水は流れ続ける。川上のあたりはもう台風が肘をかけているようで、幾分早く水が流れていた。よくよく考えずとも結果は明らかで、2日後に彼女は二つ隣の県境で変わり果てた姿で発見された。葬式へ出掛けても、棺桶の中までは見せてもらえなかった。

ミツバチの巣内から、何らかの理由で女王バチが居なくなると、抑制されていた働きバチの生殖機能が目まぐるしい速さで復活する。こうして働きバチも産卵行動へと移ることが出来るわけだが、働きバチというのは幾ら雌であろうとも雄バチと交わることができない。
無精卵を無心で産み続けるハチの目に映るのは本能に付き従っての行動なのか、一族の存続にかける思いが多少なりとも存在するのか。何れにしても如何様にしても変更が不可能な種族のルールを背負いつつ、無精卵を巣枠の端に産み付ける。ここから産まれてくるのは全てが雄バチで、産まれたもの達もまた、本能の通りに働きバチから餌を貰う。繁殖の全てを担う女王を失ったとなっては、二度と次世代の女王を育てることもできなければ新参の働きバチを迎え入れることさえできないのである。
雄バチの増殖に伴い、その割合と反比例的に減少していく働きバチの数々。育ての主の不在が明らかになっても、雄バチは厳重に包まれた要塞の中でひたすらに餌が来るのを待ち続ける。やがて空腹に限界が訪れると、それからは個体数はひたすらに減少の一途を辿り、一族の本当の破滅を迎えることになるのである。

死人に口なし、無論、意思もない。全校集会で彼女の死が告げられるよりも遥か前から、誰もがそのことを知っていた。この出来事を境に、彼女に悪口を差し向けるものも居なくなったようだ。形ばかりの哀悼というよりかは、姿形も消えてしまった今、同じ方角を向いて座るクラスメイトの誰もが、彼女への興味そのものに蓋をしているらしかった。
この後、思春期の盛りに入った女子の誰もが彼女のような立ち位置に就こうと奔走するも、どんぐりの背比べのような状態で、そうしているうちにも時間だけは過ぎて、紅白のペーパーフラワーがあしらわれた柵をいくつも潜った。それからのことは、あまりよく覚えていない。
彼女と散々拾い尽くした貝殻は、庭先の土に埋めてしまったし、今更掘り起こそうにも見当は付かない。ビーズケースに詰められたハチミツを棄てる前に、少しばかり舐めてみたこと。それだけはよく覚えている。薄暗い場所に仕舞われていたことを示す埃のような香りに、そうっと感じる海の匂いはほんの思い込みであっただろうか。






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