ポムグラネイトに告ぐ ep.1 井原 傑 / 創作
南陵線は1963年、今から40年前に創設された。今は死火山になっている八次岳もその昔は凄まじい火山活動を起こしているような山であり、そうした地盤活動が海底だった場所を陸上へと押し上げたことで、列島から袖口のようにはみ出すように陸地が完成した。そこで取れる石炭によって何も特徴のない街が栄えて、独立国宜しく、他所の介入を許さない鉄道が出来上がったのだった。炭鉱の街で働く人間はこの電車に乗って街へ出る。駅舎なんていうものはなく、人の背丈くらいしか無さそうな汚い事務所で、無愛想な駅員が切符を売り売りしている。鉄道の待合に利用される場所も、やっとの思いで運んできたプレハブ小屋と、少し背の高いモルタル製のホームだった。多少隆起のある山間部を駆け抜ける為かそのスピードは恐ろしいほどに遅く、交通の便がこの他に無いと言うならまだしも、とっくに炭鉱も閉山されて車の移動が自由になった当時、この鉄の利便性なんてものは無いに等しい存在だった。
およそ20年前、国鉄分割民営化を機に取り壊される予定が立つも、地元住民からの根強い反対、署名によりその話も破談になった。南陵線を取り囲む山を切り崩して、線路を誘致することで都会と田舎のアクセスを円滑にするという目論見が背景にあったようだが、結局のところ山も壊されず、JRに占有されないまま時が過ぎて、隣町には東武線が足を伸ばす形で決着がついた。決着とは言ってもこの件を機にまたもや取り壊しの話が持ち上がり、当時若者であった地元の人間が好々爺となっても尚、これに反対している。付近には幹線道路も通り、東武線のアクセスがあることでこの街には何の損失も窺えない。隣町に建つ高校には地元から通う生徒と、都市圏で悪行を重ねて首が回らなくなった生徒が渾然一体となって通学する。地元の若者たちは荒くれ者の乱入を暫くは無言で許しながら、共に生活を送るのだが、時期にそれも限界となった結果、大抵高校2年くらいから日陰の豆が弾け始める。その弾け方は様々で、シンナーを吸うものや、単車に乗って暴走行為をするもの、或いは他人を殺すもの。隠れて酒を飲んだり煙草を吸う、ということにおいては可愛いものとされていて、教育者と呼ばれし大人達も、この高校で働くとなれば皆、彼らに対して諦めの念を抱いていた。こうなったのも東武線の開通と同時的に発生した事態ではあるが、それとローカル線の廃止の反対に関しては何の相関性もないのだ。
無論私にとってはそんなもの全てがどうでもいい事だが、ホームから見える景色があまりに綺麗だと皆口を揃えて言うから、実際に行ってみたことがある。なるほどそこに立つと山々を一望することができ、尚且つその山の切り口から平屋が犇めく集落と太平洋が見えた。駅から街へと徒歩で降りるには、この下の見晴台公園という場所へ階段へ下り、そこから一般道へと繋がる遊歩道が長く設けられていて、夜中は暗くて歩けたものではない。ただ昼間にここへ来ると木漏れ日が綺麗に歩道上を照らすから、私はここが何だかんだ言って好きだった。しかし状況が良くなければ、悠長に綺麗だとは言っていられない。たった今私は、その遊歩道の上で数人の若者に囲まれて殴られている。
「ジジイ、うるせぇから早く金を出せよ」
ひと言、何かを言う度に私に拳を振り上げる少年の頭の先に、キラキラと星が瞬いて見えた。殴られる度に、自分の意思に反して口と鼻から血が漏れる。マッチングアプリでマッチした女子高生に会うために、南陵線まで歩いてのこのことやってきたら、待ってましたとばかりに木陰から出てきた若者に声をかけられた。「人違いでした」 とつぶやく頃にはもう遅く、そのまま引き摺られるように遊歩道の中ほどまで連れていかれ、もう何度も地面と空の間を、頭だけが往復している。「俺次ね〜」 という声を頼りに、3人くらいの少年が交互に私を殴っていることに気が付いた。20発目で口から温かい血飛沫を吐いて、それが鼻筋を通って目の中に入ってくるのが分かった。いくら同じ体液が目の中に流れているとは言えど、染み入る痛さだ。
1人目に殴ってきた少年がこの光景を見て僅かばかり怯んだようで、これはバレたらヤバいんじゃないかと呟いたかと思えば、私は3人目の恰幅のいい少年に殴られて気を失った。次に目を覚ます頃には私は麻の袋に包まれながら、車に乗っていた。微かに獣の匂いがするそれは、下山途中に3号線沿いの牛舎から盗んできたものだろう、と呑気なことを考える。まだ体温のある人間をこうして袋に包んでいるということは、もう私が既に死んでいるものだと勘違いしているか、もしくは生きているかは関係なく、殺すつもりなのであろう。美人局というものは伝説程度に耳にしたことがあったが、まさか私がこれに見舞われるとは夢にも思わなかった。生憎私はこうなる前に財産のほぼ全てをパチンコで使い果たして、小銭入れの中を漁っても数十円しか出てこない存在になっていたから、少年の鬱憤は相当なものであったに違いない。もし私が潤沢な金を紙入れに忍ばせていたとしたら、麻の袋に包まれることもなければ、こうして殴られずに済んだのであろうか。トランクの中で包まれながら、車体が揺れる度に感じる地形の荒さが、南陵線の車内によく似ている。眠ろうと思っても眠ることは許されず、うとうとすると決まって窓枠に頭をぶつけて目が覚めた。鼻から澱みなく血が溢れているところを見ると、きっと鼻骨は折れているだろう。意識すれば尋常でない程に痛いことは確かだが、多量の出血が影響して、明らかに意識が遠のいていくのを感じる。
24歳になった頃、高校卒業後で働いた職場で経理の女性と恋に落ち、あれよあれよという間に結婚をした。5年後彼女は子供を身ごもり、元気な男の子を出産する。私はこのご時世に高卒で働くという選択をしたがために、結婚してもなお、嫁の労働もなければ食い繋げないほどの安月給だったが、それでも順風満帆な生活しか思い描くことができなかった。その1年後に、彼女の浮気が発覚する。育っていく子供を見ながら、私は何となく「この子は自分の子供なのであろうか」という疑問が湧いた。彼女にそれを問いかけたのも、夕食を済ませた後、3人でテレビを見ているうちの、ほんの軽い一言だった。
彼女はあっさりと浮気を認めた。自分から畳み掛けておきながら、想定外の出来事に頭が真っ白になった。しかし子供は無邪気に毎日育っていく。彼女と共にこの子を育てようという決意の上では、遺伝子上の繋がりなどどうでも良かった。ただ悪いことというのは続いていくもので、殆ど間を空けずに今度は私の病気が発覚する。病名は、白血病。発見時には相当なところまで来ていたらしく、赤血球数も一般的な人間と比べると半数近くまで減少していた。急速な貧血が引き起こす倦怠感から、屋外が日に日に暑さを増しても、私だけはずっと冬の中にいるみたいだった。結果として、不本意ながら30歳で脱サラ。同じくらいのタイミングで離婚も確定した。育ち盛りの赤子を抱えて、こちらの心配もなく彼女は家を出ていった。思えば実子が産まれて以降、一度も「パパ」という言葉を聞けないままの別れだった。13畳1DKの部屋を独りで宛てがわれ、生きる希望すらを見失っていた時、ある日に何となく眺めていたマッチングアプリを通じ、私は今サナギのように包まれている。自業自得であるけれど、これから病魔に侵されて確実な死を迎えるより、他人という強制力から葬り去られるのであれば、何ら心残りもないように感じる。
停車してすぐ、渇いた金属音に伴って車外へ、袋ごと放り出された。夜凪の海の波の音が、麻袋の間を伝って耳に届く。音の大きさからして、砂浜から少し距離はある。海岸より手前に佇立する野磨(のすり)断崖あたりで車を停めて、何やら考え事をしているようだった。
そのうち、私を殴ろうと口火を切った少年によって意見がまとまったものと見えて、またも一瞬、渇いた金属音が響く。少年たちはスコップで穴を掘っているらしい。てっきり太平洋に放り投げられるものだと思っていたから、流れを変えた拍動も不思議と落ち着く。リアス式海岸をこさえた地形だが、この辺一帯は少しばかり海岸が本土をえぐるようにして窪んでおり、岬から遺体を流したところで、少々荒波に揉まれる程度で結局は海流に乗って本土へと流れ着いてくるから、結局のところ隠蔽は叶わない。それに年に一度くらいは、身投げをした者たちが白粉を施した状態でこちらまで漂流してくることを、この街に住む誰もが知っている。そうしたことを考えれば、" 沈める " ことより " 埋める " ことを選ぶ計画は、若いながらによく考えて導き出した選択なのだろう。
火山性土壌で形成されていることから、地質は非常に硬く、水はけの良さから一般的なスコップでは掘削は困難なほどに地盤は硬い。しかしそれは労働に勤しむ年増の人間による感覚というだけで、まだまだ血気盛んで力も有り余っている少年に至っては、そんな心配も無用なのだ。作業も滞りなく進んでいるようで、また暫く時間が経つと 「これくらいで良いだろう」という声が聞こえた。
麻袋から放り出されたのは、最後の救いだったのだろうか。いずれにしても、彼らはきっと人を殺すことに慣れている口の人間では無さそうだ。もし私が殺める側なら、特に考えることもなく「せーの」で穴に埋める。たかが金を毟れなかったという結果から、私を消そうとする。その背景にあるものは 「警察にチクられたら困るから」くらいなもんだろう。そういうところが若いのだ。より考えがあるなら私を消さないという選択は当然のようにも思えるが、街から見放された若者たちが行き着く行為と云えば、こういうことに違いない。
混濁する意識の中、少年一人ひとりの顔を見つめる。一連の流れで鼓膜に傷でも入っているのか、何をこちらに喋っているかは聞き取ることができなかった。名前を知らないので、一人目の殴ってきた若者、また二人目、という数え方しかできない。その中に一人だけ、見覚えのある顔があった。私は布巾で口許が結ばれているのも忘れて、二人目に殴ってきた若者に頻りに話しかける。目元の黒子が人違いか、という疑問を払拭させる。やはり彼だ。口をもごもごと動かしているうちに布巾の結びが解け、やっと音が声になった。「お前、隆二じゃないか?」と問い掛けると、無言で一発、左頬に蹴りを食らった。やっぱりそうだ。宮前隆二。離婚した彼女の異父兄弟に当たる、宮前家の長男である。彼女は複雑な関係で育ち、一人っ子として育ってきたが、彼女が15の頃に母親が弟を産んだ。陸上部でエースだった姉によく似て、生まれつき頭のみならず運動神経が良く、県内有数の進学校に通ったこと、家を出て行った元夫のエッセンスが非常に薄く、母親と瓜二つだったということを、結婚当初に彼女から聞いたことがある。彼の存在を象徴するものとして中学校入学当時の写真しか見せてもらうことがなかったが、彼女の家計に生まれ落ちた人間は揃って特徴的な顔をしていたから、一度目にしてからそう簡単に忘れられるものではなかった。ここで「あ、おじさん!」となることを想像したのは何も私だけでは無いと思う。正直、30そこらの人間が「ジジイ」呼ばわりされることも、2人目の少年がこちらに向けて口を開かなかったことも、何だか納得はいっていなかったが、そういうことか。10代そこそこの人間は歳上の人間を見ても「おじさん」という言葉における上手い口語訳はない。産まれたばかりの赤子が喃語を通して徐々に人間の言葉を喋るように、こいつらは言葉を使った育ち方はまだ未発達なのだ。もうひとつ。彼は確実に私のことを知っていた。駅から見晴台へ、そこから遊歩道へ私が転がる鞠のように毛手繰り回す最中も、彼は私に口を開かなかったが、彼だけが私の目をじっと見つめていたような気がする。何だか全てが腑に落ちて、と思う瞬間に、3人目の少年からもう一度、今度は反対方向から強烈な蹴りが繰り出される。「うるせぇなジジイ」という言葉が、絶命する前に最後に聞いた日本語だ。私が死んだことを確認するため、3人目の少年は半ば半狂乱になりながら、持っていたラッキーストライクで血溜まりになった眼球を焼いた。少年3人の尽力によって掘り進められていた2メートルの深さの穴に半袖ハーフパンツのまま埋められ、この世から初めて姿を消す。今の私なら南陵線を復活ないし改築して、私鉄の誘致を妨害するほどの精神は残っていたかもしれない。
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