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★東日本大震災:被災地を訪ねる★①東松島市・野蒜地区【前編:仙石東北ラインを通って】
2011年3月11日に発生した、東日本大震災。私は当時、職場である西新宿の高層ビルの16階にいて、大きな非常に長い揺れに驚きつつ、隣のビルが目に見えて大きく振動する状況にいました。その後のテレビ映像で美しい東北地方の海岸線が津波により飲まれていく姿、福島第一原発の危機的状況、住んでいる近所にあった商業施設の駐車場が崩落する恐ろしい災害など、土木技術者としても、一人の人間としても、とても衝撃を受けたことを覚えています。発生から間もなく12年を迎えようとしていますが、その状況をできるだけ目に焼き付けて、忘れずに語り継ぎ、少しでも災害を減らす取り組みをしなくてはならないという思いがあります。
先日、東北に出張する機会があり、少し時間ができたので、東北地方太平洋岸の津波で被災した東松島市野蒜(のびる)地区を訪れることができたので、それをレポートしたいと思います。
■東松島市 野蒜地区とは
東松島市は、仙台から東に約35㎞、日本三景で有名な松島のすぐ東に位置します。その西端にある野蒜地区は、奥松島と呼ばれる宮戸島付近への玄関口になっています。
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今昔マップで昔の地図を見ると、「東北須磨」駅を名乗っていたことがあります。この地を開発したかった、仙石線の前身である、「宮城電気鉄道」が、神戸の須磨を見習って開発したかったので、この名前をつけたとか。
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右の地図は、高台移転後の新しい野蒜駅に移動した状況です。
■野蒜地区の東日本大震災での被災状況
東日本大震災により、野蒜地区は津波により壊滅的な状況となりました。象徴的だったのは、仙石線の電車。野蒜駅ですれ違った電車のうち、仙台行き上り列車が津波により被災し「くの字」に曲がった4両編成の映像が衝撃的です。逆に下り列車は奇跡的に高台で停車し、被害を免れました。
その野蒜地区、その後震災復興による高台移転事業が進み、2015年に、JR仙石線は高台移転地区を通る新たな線路に切り替えられました。移転前の旧・野蒜駅周辺は震災遺構を残す公園として保存されています。
鉄道の被災から復旧までをまとめた記事は、こちらがとても秀逸です。
そんな野蒜地区のいまを、歩いてきました。
■仙石東北ラインで東松島を目指す
東松島市へは、仙台駅から電車に乗って向かいます。野蒜駅までは、東北本線と仙石線を短絡させた「仙石東北ライン」が最速です。
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ペデストリアンデッキがとても発達しています。
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東北本線は交流電化、仙石線は直流電化と電化方式が違うので、
この列車は電車ではなく、ハイブリッド気動車による運転です。
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通勤電車のようなハイブリッド気動車が、線形が悪く、各駅停車との追い越し設備の少ない仙石線と平行に走る東北本線を高速で走り、新設された渡り線で仙石線に入ります。
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目新しい軌道がつながっているのが見えます。
渡り線を空から見た光景をGoogle Earthさんから拝借しました。元々私鉄の宮城電気鉄道を国有化した仙石線と、この付近は山のほうを走っていた東北本線を複線化する際に新設された東北本線の海側を走る線路が並ぶ場所。ここに渡り線をつけたら、高速で走れる東北本線と、西側は曲線が多く、駅が密集し列車本数が多いので、なかなか高速列車が走れない仙石線とを結ぶと、石巻が近くなるのでは、という鉄道ファン的発想が実現した、仙石東北ラインのプロジェクトです(笑)。
■野蒜駅へ
野蒜駅付近の仙石線の車窓から。この辺りの車窓は、海岸線に沿い、バックに奥松島の島々が見える、とても美しい場所です。こういう場所だからゆえ、津波で被災した場所だそうです。震災後少し線路の嵩上げを行い、防潮堤も嵩上げされているのだとか。
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夕刻の野蒜駅に到着です。高台移転後の新しい街の玄関となる場所にできた駅。
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思った以上に閑散としていました。
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冬の夕方だからか、寂しく荒涼とした感じに見えます。
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ちょっと寂しいかな・・・。
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後ろに見えるのが、高台移転して新築された宅地群です。
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跡地を利用したものなのだとか。
【事業施行者 東松島市、受託者 都市再生機構
施工者 大成・フジタ・佐藤・国際開発・エイト日技JV】
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以前の賑わいとは違うのでしょうね。
今回はここまで。次回は津波の遺構として残された、旧野蒜駅や、津波で被災して廃線となった線路跡などを歩きます。
■終わりに
東日本大震災からの被災地を目に焼き付け、その復興状況を見守ることは、震災を知る人としての責務であるような気がしています。高台移転が完了し、新しい街が作られた野蒜地区。しかし人気の少ない駅前や、荒涼とした雰囲気の昔の市街地の跡などを眺めて、震災からの復興というのは、土木事業が出来上がってからも長く続けられる必要があることを再認識させられた感じがしています。
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