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✣メメントモリ〜オフィーリアに花を✣ Les Fleurs pour Ophélie レ フルール プール オフィーリア

♢♢テーマイメージ♢♢
愛しい、愛しい、愛しいあなた。
悲しみも、怒りも、後悔も、
この涙と共にどうか水底へ沈んでおくれ。

川へと捧げた献花が緩やかに流される。
結ばれていない花束から、
はらり、はらりと溢れるように、
1つずつ花が水面を散らばっていく。

柔らかな薄衣のドレスが広がるように、
あなたの手を放した最後の別れのように。

愛しい、愛しい、愛しいあなた。
声も、姿も、温もりも、
この花と共にいつか想い出も沈んでいく。

木漏れ日を弾く水面はいやに輝かしくて、
その眩さが私の世界を白く塗り潰し、
色褪せて見せているに違いない。

全てが変わらず何時も通りのようで、
全てがまことしやかな嘘のようで。

唯一、あなたが居ないことが真実。

ラテン語の警句「メメントモリ」から着想し「オフィーリア」を連想した作品です。
死生観という個々人の思想に強く関係する内容です。悲しさや苦しさ、辛さという感情とは切っても切れない、とても難しいテーマです。特に今作品は受け入れがたい人もいるかもしれません。

「オフィーリア」は、ウィリアム・シェイクスピア作の4大悲劇と名高い戯曲「ハムレット」の登場人物です。悲恋物語としても有名な文学ですので、あらすじをご存知の方も多いでしょうが「ハムレット」では登場人物の殆どが死んでしまう結末を迎えます。

主役ハムレットの恋人であるオフィーリアは、復讐に狂う恋人の過ちにより父を殺された後、静かな狂気に囚われた末に川へ転落。乙女は美しい小唄を口ずさみながら溺れて儚くなった、とされています。

メメント・モリ “memento mori” はそのまま訳すと「死ぬことを覚えていなさい」という言葉です。
歴史を経て様々な意訳がなされ、現代では主に「いつか必ず自らに死が訪れることを忘れるな」という意味で「死を想え」などと表されています。ここから汲み取られる訓戒として、わりと両極端な以下2つの内容が挙げられています。

メメント・モリ “死を想え” の2種類の訓戒……
いつか必ず自らに死が訪れる、

  • だから今を楽しみ大切に生きよう

  • だから生に執着してはならない

現代では主に前者の意味を示すことが多いようです。

戯曲ハムレットでは登場人物の殆どが亡くなってしまいます。まさに「いつか必ず死が訪れる」といった状況です。
今作品では、メメント・モリから「献花」と「河川や海へ流す」動作のインスピレーションを得ました。そしてこれらの着想がオフィーリアの最後のイメージに繋がりました。

この戯曲は主人公が狂人を装うという設定から様々な解釈があり、実はハムレットはオフィーリアを愛していなかったのではないか、という解釈さえもあります。
彼が「走れメロス」の如く、大変に誠実で正直な人間として記されていたらきっと、彼の真意を知ろうとする劇中と現実の人々によりこれほど多くの解釈はなされなかったでしょう。

オフィーリアのための墓所で激しい慟哭をあらわにするハムレットの嘆きは疑われているのです。
自らの真意を偽るという、彼自身の選択によって。

ハムレットが復讐という激しさを見せる一方で、オフィーリアは知性や穏やかさすらある狂気を見せます。
王妃ガートルードによれば、少女オフィーリアの最後は「自身の災難も分からぬ様子」で「人魚のように体を浮かせ」「まるで水の中で暮らす妖精」だったそうです。事故であるとも、自らの意志で入水したとも解釈されているシーンです。
「川に茫洋と浮かぶ女性」という鮮烈なイメージを残したジョン・エヴァレット・ミレー(ミレイ)の絵画は、この王妃が語るオフィーリアの最後を表しています。

王妃から見た彼女には、川へ転落した驚愕も、溺れる恐怖もない様子だったのでしょう。それは彼女が現実から離れ、静かな狂気の中で生きていたからかもしれません。
ですがもしかしたら、父を殺されたオフィーリアはその時既にメメント・モリ “死を想え” という言葉の意味を経験していたので、生に執着する必要を感じなかったのかもしれません。

……しかしまぁ、王妃もよく細かにオフィーリアの様子を眺めていますね。川の中で口ずさまれた小唄が「古い歌」だと分かるほど、近くで聴いていたようです。
眺めることしかできなかったのか、眺めることしかしなかったのか。
実際にオフィーリアを目撃していたのは別人で、王妃は報告を受けた立場、という可能性もあり得るかもしれません。いずれ溺れた人を救助するのは難しいものです。

王妃は前夫が亡き後、早々に前夫の弟(劇中では王)と再婚します。その振る舞いは奔放と捉えられることも多いようですが、ある意味「無邪気」とも言えるでしょう。
無邪気な彼女は “死を想う” ことはあったのでしょうか?
あるいは王妃も “死を想う” がために、オフィーリアとは逆に、 “今” をできる限りに楽しんで生きていたのかもしれません。

もし私がハムレットであったら、きっとシェイクスピアの代表作は1つ減ってしまったことでしょう。私は彼女に伝えなかった言葉を思い、後悔を胸に抱き、彼女へ花を捧げに行きストーリーを変えてしまいますから。
劇や小説などの何かしらのストーリーを通して感情移入し、そこに仮想的な自他の死を見て考えることもまた “死を想う” という行動なのだと思います。

あなたは、ハムレットに、オフィーリアに、そしてメメント・モリという言葉に、何を想いますか?
どうぞ良ければ、川を眺めながら少しだけ物思いに耽ってみてください。

デンマークの王子ハムレットの悲劇
The Tragicall Historie of Hamlet, Prince of Denmarke
(1564〜1616年 William Shakespeare)

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