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ちょっとの幸せがたまにあれば十分生きていける

noteを書き始めてそろそろ1年になるので、記念に3つの短編を書こうと思います。



同窓会〜お金の出納管理と信頼 is very大切〜


いよいよ年納めも近くなってきて、今年成人式の私は同窓会なるものが近づいてきました。2年前の今頃、共通テスト直前で国語が全くできなくてすごく焦っていたのを昨日のことのように感じています(ちなみに結果はボロボロでした笑)。

中学の同窓会は行く気が全く起こらないので、今回は高校の同窓会だけ参加することに。そんな中でちょっとしたトラブルがあったので書き残しておこうかと思います。



今回の同窓会、現在ドイツにおそらく留学中の子(以下Aくん)が発案して行われることになりました。

留学しながら1人で開催場所の検討や契約までやっていてくれているようで、凄いなあと関心しています。


しかし、その一方でこれはちゃんとやらないとダメだろと思うことがありました。

それが、そうお金の出納すいとう管理の明確化です。これが圧倒的に欠けていました。

私は幹事ではないので、当初は何も知らなかったのですが、いざお金を振り込むっていうときに、

「1週間後までに振り込みをお願いします。今からキャンセルするのは無しです。キャンセルする場合でも全額支払っていただきます

という断り書きが。

まあこれが側から見るとものすっっっっっっごく詐欺っぽいんですよね笑笑
だって、同窓会までまだ1ヶ月もあるのにキャンセル料100%な訳ないじゃん。
ホテル側には現時点で人数変更をすることによる損失は何もないんだから。

会費の中には余興等で使う雑費が含まれているので、ホテルに支払うお金以外は支払う必要はあると思いますよ。でも、全額支払えっていうのはあまりにもおかしいんじゃないかと。さらにいうならば、誰しもが諸事情を抱えているわけで、今頃になって冠婚葬祭が入っちゃっていけなくなりましたってこともあるじゃないですか。

無論それが同窓会当日の直前だったら全額支払うのはわかりますよ。ただ、そうでもないのに現時点で払うのはあまりにも可哀想だなって。

これが正しいかどうかはわかりませんが、もしホテル側が現時点で100%のキャンセル料を提示していないのならば、キャンセルする人が支払う金額は、

「ホテルが提示するキャンセル料+それ以外の雑費」であるべきのように感じます。

そうじゃないとキャンセルする人が過払い状態になってしまいますからね。




なので、とりあえず他の幹事の人に相談しようということになり、クラスメイトに聞いてみるとなんと、【幹事ですらお金がどう動くのかを知らない】ということが発覚。



これは着服があるかもしれないっっっ!



実際、Aくんが現役高校生のときにクラス公式Twitterを名乗って特定の人を中傷する騒ぎもありましたし、他にも素行の悪さで結構有名でした。


幹事も知らないということを聞き、急激に不安に陥ったので、Aくんが短気であることも踏まえてこんな感じで柔らかく全体グルで聞いてみることにしました。

@A
Aくん本人にもまだ明細が届いてないということを聞いたのですが、金額が先方から提示されていないのにキャンセル100%なのはどうしてですか?

僕は自分が負の感情を抱く人に対して口が悪くなることを知っていたので、余計気を使いました。


Aくんはどうやらこれを【せっかく俺が頑張ってやってるのに楯突いてくんな】と受け取ったようで、

金額は伝達されてますが口頭であるということです。
メモとったものしかないので申し訳ないです。
キャンセル料100%なのは公平性を保つためです。
あとから入るーとか入らないーとかで金額が変動したら嫌でしょ?っていう話ですね。
年末もあって銀行が動かないかもしれないということで早い段階で集金してます。

グルへの返信

そしてさらにコチャで、

 どうしても納得できないからお金は払えないということならキャンセル料は私が負担しますので来なくても結構です。
 ご連絡お待ちしてます。

コチャへの返信


はぁぁぁぁぁぁぁ、だりぃぃぃぃぃ!!!

そしてこえええええええええええ!!!!


もう心臓バクバクですよ笑


彼の言い分は一見するとまともに見えますが、でもよくよく考えてください。


最も公平なのはさっきも言ったようにキャンセルする人が「ホテルが提示するキャンセル料+雑費」を払うことだろ?と。

そして、
このタイミングになってなんでまだ明細や見積書が出ていないんだ?と。


色々不思議なことが浮かぶばかりなので、最初に相談した幹事の子と話して、とりあえず会場であるホテルに問い合わせてみよう、となり、早速電話。

残念ながら担当の方とはその日すぐに連絡が取れませんでしたが、次の日話を聞いたところ、

Aくんとホテルは既に契約を締結済であるが、本人の承諾なしでは、その契約内容を第三者に提供することは、プライバシー保護の観点からできない。なので、匿名という体でAくんに契約内容を開示していいか問い合わせさせてもらえるだろうか?キャンセル料を全部支払わなければならない子に対しては深く同情をするが、私どもはそれに対してどうすることもできない。



うんうん、実に筋の通っている話だし、ホテル側の対応として文句ないものだなと思いました。と、同時にそのように手を煩わせてしまうことに申し訳なさを感じました。



現時点でホテル側からの折り返し連絡は来ていないので、おそらくAくんから許可は下りなかったのでしょうね。

でも、わかったこととしては、
Aくんは契約済だから契約書を持っているはずなのにそれを持っていないと嘘をついている。さらに、Aくんが海外にいる以上現時点で集めたお金をホテルに支払うことはできないし、支払う必要もない。じゃあなぜ今こんなに焦ってお金を集めているのだろう???


ますます怪しい。。。


本人に僕が持っている全部の切り札を見せて問いただしたいところですが、これ以上グルで事を荒立てたくないので、Aくんに超絶柔らかくこんなお願いをしました。

色々動いてくれてありがとう。
外国にいながら1人で頑張ってここまでやってきてくれたのに、それに対してあまりにも言い方が良くなかったなと反省しています。
ただ、Aくんにも事情があるのと同じように、誰しも急に冠婚葬祭が起こっちゃったとか、やむを得ない事情があると思います。数日前とかだったらキャンセル100%は当然だと思うけど、1ヶ月前の時点で、しかも今すぐホテルに振り込むわけでもないのに全額払って欲しいっていうのはあまりにも可哀想だなって思っちゃいました。多くの人が大学に入って自分でお金を稼ぐようになったと思うけど、その大切なお金を頂いて使うわけだから、誰しも払ったお金がどう使われるのか/使ったのか(少なくとも僕は)気になると思う。
忙しいことは重々承知してるけど、他の人にお願いしてもいいと思うから、ぜひお金の出納はハッキリしてほしいなって思います。

長々とごめんなさい。繰り返しておくけど、決してAくんがしたことを責めているわけではないです。あくまでも一意見として受け止めてくれると幸いです。

柔らかいんかな、これ。やっぱ神経をすごく使いますね。

彼の返信は、

救済措置は作ってるつもり。
あんな人数いるとこで言っても読まない人多いしイチャモンつける人もいるからあえて言わないだけ。





それは違うだろ。

言わないことによって確かにイチャモンをつける人はいなくなるかもしれないけど、それ以上に僕のように心配する人が増えるじゃん。結局「俺についてこい」みたいな感じがしてしょうがない。

彼は自分があまり信用されてないっていう事を自覚しているのだろうか、、、、?


まだ同窓会自体は行われていませんが、私自身はお金をもう既に振り込んでしまっています。後々、お前払ってないのによく言えるよなとは言われたくないので。

ただ、Aくんはいまだに契約書類や明細を公開してくれないし、キャンセルする人への対応を一切変えていないので、状況は全く変わっていません。

とにかく今は経過観察をし、同窓会終了後に決算をちゃんとさせなければいけませんね。


これ言っておきたいんですけど、まあ言って数千円の話なんですよ。で、別に余った端数は彼の労力に免じてあげたっていいし、どこかに寄付したっていいんです。

お金の問題じゃないんです。

幹事はみんなからお金をいただく以上、出来るだけ適切な使い先に過不足なく使うべきだと思うんです。やってくれるのはありがたいけど、やるんならちゃんとやれっていうのもあります。


これは、信頼と管理の問題なんです。


私はこの件でいかに、情報の公開性が重要か、そして信頼を勝ち取るのが大切かが分かりました。

私自身この件に関して自分の振る舞いが正しいかどうかまだよくわかっていません。


是非賛同してくれる方はスキやコメントなどで教えてくださると幸いです。



そしてこの件についてもそうですが、最近自分がファーストペンギンになることが増えたような気がします。

これは、良い面もたくさんあるのですが、今回の件に関しては他の人からすると、「こいつなんかAに楯突いてるぞ、何してんだ、変に空気を悪くするなよ」

っていうふうに受け取られてしまうんですよね。
仕方ないなという思いはありつつ、なんだかちょっと寂しいです。


表で一見変に見えるその振る舞いも、ちゃんと見てみると、筋の通った考えのもと動いてることもあるんだぞ

ということが改めてわかったし、他の人にも是非知ってほしいなって思います。



正直、戦場に行くのが僕だけで今後も周りから冷笑する態度を取られるのだったら、いくら体があっても多分足りないです。

僕自身は、自分の利益を守るために基本的にはこれからも動くつもりではありますが。。。









大人の世界に感じる嫌悪感


先日訳あってバーテンのバイトの時間まで2時間ほど時間が空いてしまい、最初は河川敷で本でも読みながら時間を潰そうかなと思っていたのですが、あまりの寒さにこの案を棄却。

どうしようかと迷っていたところに雀荘が。


このブログで麻雀関連の話をしていながら、実は雀荘に入ったことがないんです。全部友達としかやったことがないんですよ笑


なのでせっかくだから入ってみようと思い入店。

店名を出すのは控えますが、このお店は三麻専門店で、ハウスルール(七対子4枚使いアリ・完全先付け)が多く、店員さんが僕が雀荘に行ったことがないというのを聞いて丁寧に説明してくれたのですが、まあ正直ちんぷんかんぷん笑
(後で友達に聞いてみると、どうやらそのルールは雀荘界では一般的だったようですが。。。)


しかもノーレートじゃなかったので、全部説明してもらった後にいざ始めるとなったら、「チップと交換するので、1万円を預けていただけますか?」





ねえよ。


僕、普段から全くというほどお金を使わないので、財布に現金を全然入れてないんですよね。

この日も財布の中が1000円を切っていたので、流石にまずいかなぁと思って3000円お下ろしたばかりなんですよ。


だからこれでも多い方なんです。


なのに1万円ないと無理って言われたので、いそいそと退店。

結局早めに行って、バイトまでお店で時間を潰させてもらうことにしました笑


もちろん、雀荘はなんも悪くないです。てか、すごく申し訳ない。


普段から手持ち1000円以下がザラな僕が悪いんですが、どうもこう

「こんなにお金がかかる遊びをどうして人は好んでやるんだろう?」

と思いました。

それは半年前くらいに行った風俗街もそう、競馬もそう、パチンコもそう。

経験としてやること自体に抵抗はあまりないのですが、少なくとも僕は絶対にハマらない!!


多分僕は、色んな価値観がまだ子供のままなのかもしれませんね。お金がかかる遊びにハマれない、楽しめない。

それは自分がまだ生活を親に頼ってしまっている以上、親に余計な心配や迷惑をかけたくない、という思いがあるからかもしれません。(だから正直、親からたくさん仕送りもらって遊びまくっていたり、ブランド物を買っていたりする人は凄いなぁって思います。)

東京の大学に進学する選択肢もあったのに、親の意見を押し切って京都の大学に来てるんで。自分が選択したことなんで。


そういう大人の遊びに興じる大学生を強く批判するつもりはありませんが、僕はそういうふうになれないし、そういう人と仲良くなりたいとは思いません。差し当たり、「嫌悪感を感じる」程度に抑えておきましょう。


出来ることなら僕は、そんな大人の世界には全く浸からないで生き続ける人間でありたいものです。








ちょっとの幸せがたまにあれば十分生きていける feat.シングルモルト山崎


そろそろ楽しい話をしよう。

最近その価値や味が評価されて、人気度も増してきているジャパニーズウイスキー。

ジャパニーズウイスキーの中でも、サントリーシングルモルト山崎は最も人気のウイスキーの1つと言えるでしょう。

山崎蒸留所が今年の11月に工事を終えて工場見学が再開されたこと、そして工場見学では山崎を含めていろんなウイスキーを試飲できることを知って無性に行きたくなったので、抽選に参加。

11月分については残念ながら外れてしまいましたが、12月分に関しては奇跡的に当選することができたので、見学させてもらうことに!!
2人分当てたので、10月に一緒に旅行に行った先輩と行くことにしました。

山崎の工場自体は大阪と京都からのアクセスも良い上に、山崎蒸留所の近くにサントリー〈天然水のビール工場〉京都があったのでそこにも行くことにしました。


天然水のビール工場京都

まず最初に訪れたのは、〈天然水のビール工場〉京都です!

〈天然水のビール工場〉京都

この工場は、阪急京都線西山天王山駅近くにあるビール工場です!
写真左側に見えるたくさんの柱はビールの貯蔵庫で、高さはなんと20mもあるそう。

ビールというとサントリーの他に麒麟・アサヒ・サッポロなどが思い浮かぶと思いますが、数ある大手ビール会社の中で、天然水を使ってビールを製造しているのはここサントリーだけだそうです!

工場見学は試飲も含めて約70分なので結構ボリューミー。

途中にはこんなふうにパッケージングしているラインも見学することができます。
これなんの商品だと思いますか?

何の製造ライン?











正解はストロングゼロ!


見えるところだけで何人分泥酔状態にできるんやろ。。。
このライン自体は、各商品ごとにあるわけではなく、ストロングゼロを段ボール詰したら、次はビールのように時間や日によって扱う商品が変わるそうです。

試飲会場までの道は何とバス移動!!
工場の敷地面積が球場6つ分ととんでもなく大きく、工場見学で真反対まできたので、バスで最初の場所に戻るんだそうです。

バスのルートも商品をトラックに積み込む様子や使い終わったビール樽などを見ることができます。

でけえ


工場見学を終えたらいよいよ試飲の時間です!

試飲会場


今回試飲するのは、
・ザ・プレミアムモルツ
・ザ・プレミアムモルツ 香るエール
・ザ・プレミアムモルツ マスターズドリーム
の3つです!


まず最初にプレモルで乾杯した後、3種類のビールを飲み比べ。
そしてこれは、写真を撮り忘れたのですが、最後にはお好きなビールをもういっぱい飲むことができるんです。

何とまあトータルで3杯も飲むことができるんです!
しかもCRATZという最高のおつまみ付きで。



この量何分で飲むことになると思います??








20分よ。


もうベロベロにさせに来とるやん笑

僕は全部を飲むことはできず、最初のプレモルを半分ぐらい残したのですが、結局2.5杯飲むことになりました笑笑(マジでビール工場見学直後が一番酔ってた)


ダイヤモンド麦芽とファインアロマホップ

これはオマケですが、試飲会場では、ダイヤモンド麦芽という一般的にビールの原材料として使われる二条大麦に加えてプレモル特有の香り豊かさをもたらしてくれるダイヤモンド麦芽を食べることができます。

一見そのままじゃ食べられないんじゃねって思うかもしれませんが、これこのまま食べられます。結構美味しいです。

奥にチラッと見えているのは、ビールの苦味のもとホップ。
サントリーではファインアロマホップというホップを特別に利用しているそうです。

これは流石に苦いので食べられませんが、匂いを楽しむことができます。名前の通りアロマのような華やかな香りがしました。

以上で見学は終了。

みなさんこれ見学料いくらだと思いますか?














タダ。





いやマジでタダ。

元取れんのか?

広報活動の一環としてしていることなので、採算は取れないそうですが、私自身はツアーガイドのHさんがお薦めしていた期間限定で12月19日に新発売されたばかりのザ・プレミアムモルツ黒ビールを後々購入しているので、モロに広報効果を受けてしまっていますね笑

さすがっす。

お手製シチュードリアと黒ビールとnote作成





山崎蒸留所

そこそこ酔いが回った状態でビール工場を後にし、お隣にある山崎蒸留所へと向かいます。

山崎蒸留所は西山天王山駅の次の駅である大山崎駅の近くにあるので、徒歩で向かいます。大体20分弱ぐらいかな。

途中お昼ご飯を食べて、無事蒸留所に到着。いよいよご対面です。

山崎蒸留所


「山崎」という名前の由来は、大山崎駅の近くにあることからも分かるように地名です。
大山崎駅自体は京都府大山崎町にあるのですが、実は山崎蒸留所の正確な住所は大阪府島本町なのです。。。

まあ大体京都府と大阪府の県境にあると思ってもらえればOKです。

この山崎はかねてから、桂川・宇治川・木津川の合流地点であり、人や物の行き来が盛んな場所でした。

川の合流地点で水がとても綺麗なので、サントリー初代社長の鳥井信治郎はこの地に1923年、山崎蒸留所を建てることにしたのです。

工場見学で色々なものを見たので共有します。

ウイスキーの原料:モルトをすり潰す機械
ここのフロアだけ全く香りが違う
ポットスチル


こちらはウイスキーを蒸留するポットスチルです。よく見るとそれぞれのポットスチルで形が違うことがわかります。ポットスチルの形がほんのちょっと違うだけで味は大きく変わってしまうそうです。

右手前にあるような真ん中が膨らんだ形のポットスチルの方が外気と触れる量が多くなるので、すっきりとした味わいになるそうです。

北海道の余市にあるニッカウイスキーの工場ともまた違う形をしていたので、まさにポットスチルが味の決め手と言っても過言ではないかもしれませんね。


貯蔵庫
樽に入れられた年度が書かれている
一番古い樽は1924年

そしてこちらは貯蔵庫です。1枚目の写真ように樽がズラッと並んでいます。上下のどちらかに置くかでも味が変わるそうです。本当に繊細なんでしょうね。

そして3枚目の写真はこの貯蔵庫にある樽の中で一番古い1924年の樽です。
山崎蒸留所がウイスキーを製造し始めたのが1924年なので、まさに蒸留開始当時の樽になります。

流石に中身のウイスキーは既に抜かれてしまっています。

写真には残していませんが、ウイスキーがまだ入っている樽のうち一番古いものは1976年だったので、実に47年前のウイスキーになります。山崎55年としてまた300万円ぐらいで売るんですかね。。。流石に買えない。。。



工場見学終了、いよいよ山崎の試飲に移ります!

試飲会場

今回飲むウイスキーはこちら

多い
おつまみも多い

ビール工場と違って山崎蒸留所は見学料が3000円かかるので、おつまみや出てくるウイスキーも豪華です!!!

おつまみはチョコレートとミックスナッツとスナック
そしてお酒はこちらになっています↓

①〜③が山崎の原酒3種類で、それぞれ

①ホワイトオーク樽
②ワイン樽
③ミズナラ樽    になっています。

そして、④〜⑤がシングルモルト山崎になっています。

まずは、①〜④を匂い・色を確認し、ストレートで飲んだ後に加水してトワイスアップスタイルで飲みます。

何の樽で熟成しているかで味が全くと言っていいほど違います笑

ホワイトオークがおそらく一般的なウイスキーと似通った味になるかと思いますが、ワイン樽はフルーティーな味になりますし、ミズナラ樽はバニラのような味がします。

個人的にワイン樽のものが一番美味しかったです。

そしていよいよシングルモルト山崎を試飲。





うまい、うまいぞ!!!
年数が入っていないにも関わらず、味に奥ゆかしさがあります。バニラのような風味も感じるし、トワイスアップにしても美味しい!!

⑤は氷を加えてオンザロック、そこに炭酸を加えるハイボールで乾杯をします。

ハイボールにするとまた全然違うんですよね。
炭酸によってウイスキーのアルコール感が薄まって香りがダイレクトに来ます。





本当にいい経験をさせてもらいました。

工場見学者限定で、全員に山崎のロゴ入りテイスティンググラス、1人1本までになってしまいますが、シングルモルト山崎を定価¥4950(tax incl.)で買うことができました。







まあ買うわな。めっちゃ迷ったけど。

最強

手に入れた山崎は100周年記念ラベルのものでした。これボトルだけでも数十年後に超絶価値がつきそうですね笑笑




さらに山崎蒸留所内にあるウイスキー館で他のお酒も試飲できるので、山崎12年を飲んでみました。

販売カウンターもかっこいいもんよ
お手頃(一部を除く)

15mlしかありませんが、結構十分です。
山崎12年をたったの300円で飲むことができるんですから。




山崎25年の値段は見なかったことにしましょう。。。


見学者全員に配られる山崎のステッカーと、ギフトショップで買ったピンバッチをお土産にお家に帰宅。たった3000円でこんなに貴重な経験ができるなら安いもんです。本当に。





3次会


これで終わりだと思うなよ??

朝からずっと活動していてお互い疲れていたので、一旦解散して仮眠を取った後に再び僕の家に集合し、3次会を行いました!

12月の中旬くらいに2人でライブに弾き語りとして出演していたので、その打ち上げと忘年会、その他諸々含めたパーティーですね笑笑

3ヶ月ほど前にバーテンダーのバイトを始めてカクテルを作る楽しさに目覚めた僕は、実はこっそり家にリキュールを揃えていたので、オリジナルカクテルをこれでもかと振る舞いました。

もちろん、こっちはお酒代がかかっているので、代わりにケンタッキーを買ってきてもらいましたが(結局ちょっと足りないなってなって、即興でチーズリゾットを作りました笑)。

パーティー!!!

甘いカクテル、さっぱりしたカクテルなど豊富な味のバリエーションをお互い4、5杯ずつ飲み、ペンギンズの映画を脳死で見たのち、ドキュメンタルを1シーズン分一気見。。。

大体5時間程度のパーティーでした。






お互い高頻度でこんな集いをしているわけでもなく、普段はどちらかというと落ち着いた生活をしているのですが、この日だけは

「諸々の出来事を含めて今日1日すごく楽しい日だった」

という感想を抱きました。




ああ、幸せだなぁ、と。


大学って正直恋愛至上主義なところがあると思うんです。
初対面の人との会話で大抵二言目には「彼女はいるんですか?」って言われるぐらいですから。。。



何で彼女いないの?彼女を持つことに興味はないの?
って正直塾の生徒からも他の周りの大人からも言われます。


でも、今日の出来事でやっと自信を持って言えるようになります。

「恋愛に縛られない形の幸せを楽しむことができていて、あまり彼女を持つことに興味を持てないので、今のところは大丈夫です」


と。もちろん煽りの意味ではなくね。


加えて、今回味わった幸せは大金を叩いてはたいて生まれたものではないです。シングルモルト山崎の値段を含めても1万円は要らないぐらい。

でも、それでも僕は思わずnoteにまとめたくなってしまうほどの幸福感を得られています。


ああ、僕はこんな些細な非日常で簡単に幸福感を得られるんだなと。
その単純さに対してちょっと嬉しく思いました。



でも、これが毎日、毎週ないといけないというわけではないんです。

こんな非日常は1ヶ月/1ヶ月半に1回ぐらいがちょうどいいんです。
もしこんな日々が毎日のように起こったらそれがいつしか日常になって、それだけじゃ物足りなくなってしまいますから。

別に普段、必要最低限程度の生活水準でいようとは思いませんけど、この些細な幸せが些細な幸せ以上のものとして味わうことができるなら、日常生活は平凡なものでいいな、と。そして、自分はそういうような生活スタイルに耐えることができるし、何なら好きだなと、そう思います。


人間は今や生活水準が上がってきた影響で簡単に満足感が得られないようになってきているように感じます。
だから、ブランド物を買ったり、お酒を煽るように飲んでしまったり、高い金払って遊んだり。


そんな日常を過ごしている人からすると、きっと僕の生活は質素でつまらないものに見えるかもしれません。

でも、僕は少なくとも去年のサークルや恋愛に追われる激動の日々よりも今のようにやりたいことをやれる自由で質素な生活の方が好きです。



ちょっとの幸せがたまにある生活。


「足るを知る」を根幹からわかった今、それ満足できる「最強の状態」に僕はなりつつあります。






幸福の哲学の講義レポートに記載した僕なりの幸福論

せっかくなので、今期受けた幸福の哲学の授業に記載した僕の幸福論をここにも載せておこうと思います。


Q.内在的な幸不幸と、外在的な幸不幸の区別を用いると、ネーゲルによる「彼」の事例はどのように分析されるか。

(前提として、「彼」の事例は成人男性が脳の致命的な損傷により幼児に退行してしまったときに彼自身は幸福感を得られているものの、側から見たときには幸福には見えない事例についてである。)

 この事例について外在的(世界外在的も含む)幸不幸から分析すると、多くの人が彼に対して不幸だと考える人が多い。なぜ彼自身は幸福だと感じているのにも関わらず、我々は不幸だと考えてしまうのかというと、それは彼が幼児に退行しなかった場合に得られる様々な経験などが得られなくなってしまう(剥奪されてしまう)ことに対して、自分はそうなりたくないという拒否感とそうなってしまった彼に対する同情が芽生えるからだと考える。
 ただ、この事例において重要なのは、そうなってしまったことが彼自身において不幸なのかということだと考える。では、内在的幸不幸という観点から彼の事例を分析するとどう考察することができるだろうか?
 ここで、考えるべきは彼にとって幼児に退行することが「不幸」だと仮定した場合に、彼が不幸だと彼が感じるのはいつかということだと考える。幼児に退行する前では、彼はまだ現前たる事実として幼児に退行しているわけではないから、彼が感じうる不幸感は世界外在的なものでしかあり得ない。一方で、彼が幼児退行の状態から脱し、自分がそうだったという事実を知った場合についても彼は自分が幼児に退行することで剥奪された様々な経験について自分は不幸だったと考えることができるだろう。
 では、彼が幼児に退行しているまさにその時点についてはどうだろうか?彼自身は自分が成人男性であり続けた場合に得られたであろう様々な経験について不幸だと感じることはできない。もしこの仮定が正しいとするならば、彼は少なくとも不幸ではないといえるのかもしれない(今回の事例が、彼が幼児退行ではなく、植物状態になった場合において、つまり彼が幸福そのものを感じられるかどうかについても議論の余地がある場合も十分に検討するべきだと考えるが、今回の課題がそれにそぐわない以上割愛することにする)。
 ここで浮かぶ疑問は、全ての不幸(もしくは幸福)において、事実として不幸だとされる瞬間と彼が不幸だと感じる瞬間は同時でなければならないのかということである。私はこれは正しくないと考える。つまり、その人が現に不幸であるときに不幸だと感じなければならないという条件は不必要だと考える。
 私の実際の経験に照らし合わせて考えてみると、こんな具体例を出すことができる。私は現役で〇〇大学の✳︎✳︎部に入学した。この事実について合格発表をされた時点では何の不幸感もない。しかし、後に知った点数開示では、私は☆☆学部にも入学することができていた。私自身、当初は☆☆学部が第一志望であったが、入試直前に✳︎✳︎部に落としているのだ。この事実を知ったことで、「私は☆☆学部に出していたらもっとよかったのにな」という感情に苛まれることになる。この事例において、不幸だという事実と不幸だと感じた瞬間にはタイムラグがある。もし、この事例が先ほどの条件を棄却するのに足るものだとすると、条件を緩める必要性が出てくる。つまり、その人が現に不幸であるときに不幸だと感じる必要はないということになる。
 となると、彼の事例において、内在的幸不幸の観点からにおいても、彼が幸福だということは首肯し難いものになるのではないだろうかと考える。




 私自身、幸福とは何かについて考えたことがある。その是非についてはわかっていないが、僭越ながらこのレポートに記載させていただきたい。
 今回の講義は、幸福という概念を科学的に考察しているように考える。つまり幸福か、不幸かについては何かしらの線引きがあるのだという前提のもと議論を展開しているように思われる。しかし、私はそもそも全ての科学の分野は「近似の学問でしかなり得ない」と考えている。
 私は、あらゆる物事が自然的なものである以上、人間が手を加えようとする線引き(境界線)には必ず問題点が発生すると考えている。そこで、次のような事例を提示させていただきたい。
 それはジェンダーについてである。近年色々な性別に関する主義主張を掲げる人が出てきたように感じる。そのどれもが自分が男性でありながら女性のような感覚を持っているなど男性的男性、女性的女性でないことに苦しんでいることから生まれているように感じる。ただ、私はこの苦しみは取り払えると思っている。なぜなら、性別ですらも人間が人工的に作り上げた概念である以上、問題がつきまとうものになってしまうからだ。例えば、半陰陽について考えてみよう。きっとその人たちは生物学上はどちらかの性別に振り分けることができるのかもしれないが、男性器と女性器のどちらもを併せ持っている。この人たちは言わば男性でありかつ女性でもあるのだ。ならば、その分類方法が不適切ということになる。つまり、性別でさえも離散的なものではなく、連続的なものなのだ。私自身、性別も性自認も男性であるが、自分の中にも女性的な面があると思っている。つまり、私自身も完全なる男性ではないし、誰しもが完全な男性・完全な女性ではないのだ。私はここでメビウスの輪を提示するのが適切だと感じる。仮に表を男性・裏を女性とすると、全ての人はこのメビウスの輪の上に存在し、それは決して完全なる表裏ではなく、表を歩いていたらいつの間にか裏になっているような連続的なものになると考える。もしこれが妥当ならば、連続的なものに勝手に線引きをしたら、それは当然境界付近の人が苦しむに決まっているのだ。
 この事例を踏まえると、全ての科学は連続的なものであり、どれだけ境界を精査しようとも、その境界に辿り着くことはできないように感じるし、そもそもその境界は存在しないのではないかと考える。だから、科学で原子が最小単位であると考えられていたにも関わらず、クオーツや超ひも理論が登場することが起こってくるのだ。
 幸福哲学においてもこれは効果を発揮するのではないかと思う。つまり、何が幸福で何が不幸であるかということに明確な境界は存在せず、私たちは極限的にそれに限りなく近づこうとすることしかできないと思うのだ。
 これにより、私はとりあえず客観的リスト説を棄却し、「幸福感を得られるかどうかはその時の状況で変わる」ということを提示させていただきたい。これは、内在的にも外在的にもそうであると考えている。
 まず、内在的な場合について。例えば私が昔非常に貧しい仮定だった場合を想定しよう。そのときにはどんなに質の悪い米であろうと美味しいと感じたし、付け合わせもたくあんとかで満足ができていた。しかし、奇跡的に宝くじに当選し急激に裕福になったとしよう。裕福になったことにより、美味しいものを食べられるようになったため、質の悪いコメがまずいと感じ、付け合わせもたくあんなんかじゃダメになってしまう。つまり、同じものに対しても、その人の状況によってそれが幸福かどうかは変わってくるのだ。
 次に外在的な場合について。これは、桜木紫乃さんの「蛇行する月」という作品を提示させていただきたい。この作品は主人公の女性が、東京に不倫相手の男性と駆け落ちした友達から「今幸せだから、ぜひ一度東京に来てみてほしい」という趣旨の手紙を受け取って、いざ彼女の生活を目の当たりにしてみたところ、無残な生活(服はボロボロ・部屋は狭い・食生活もままならない)をしていたという話である。つまり、同じような状況においても、主人公と駆け落ちした女性の境遇によって大きく幸福かどうかが変わってきてしまうのである。
 以上のことを踏まえると、幸福であると感じるのは、現在の状況からプラスに動いたときであり、マイナスに動いたら不幸に感じるとしか言えないのではないかと感じる。であれば、上の2つの事例はどちらも適切であるといえる。さらに、プラスに動くための必要条件は、快楽主義が掲げるような快楽のみならず、「人間らしい生活の上での快楽」という付加的な条件も必要になってくるのではないかと考える。
 要約すると、幸福は明確な境界線があるわけではなく、その時点からプラスに動いたら幸福、マイナスに動いたら不幸であると考える。これはある意味では欲求実現説と類似する点があるかもしれない。私たちはその上でより良く生きるためには、プラスをプラスと感じ、マイナスをマイナスをマイナスと感じないスキルを持つべきだとも考える。

レポートより



実に14000字を超える文章になってしまいました。何日もかけて書いていたのですが、その度に自分の考えが正しいのか再考することができ、とても楽しかったです。

これからも、自分の考えを文字としてまとめ続けようと思います。



では。









P.S.



塾でめっちゃ勉強頑張っている子けど勉強の燃費悪い子にすれ違ったときに、急に驚かれたから事情を聞いたら、
「B先生(後輩)が、そんな効率悪い勉強の仕方をしてるとまたちゃっぴい先生に怒られるぞ」って言われたので驚きました、と。

後輩の舐めた態度はまあ良いとして、まずB先生は自分の指導の内容を僕に責任転嫁してくるな!!!

確かに僕は、その子に「勉強しないよりかは良いと思うしそれでやる気が出るなら良いと思うけど、効率は良くないよね」とは言ったけども。

僕としては、せっかくたくさんの時間を割いて勉強してるのに勿体ない感があるというか。


それに加えて、これは言ってないけれど、その子には【自分の行動の理由を他人に置くな】と思います。

その価値観で生き続けると、きっと何かあったときに、


人のせいにし続ける人生になるぞ、
自分の行動に責任を持てない人間になるぞ


と。僕はその子の勉強スタイルよりも、その価値観が心配です。

以上、これまでで1番長い追伸でした。

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