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妻夫木聡×煙草×セックスは「エモい」

 エモい文章が書けたらなと思う。

 その正体はわからないが、心臓の奥を刺激する感情。

 人によってエモいと感じる瞬間やストーリー、場所や時間があると思っている。それは自身の実体験に基づいた、単なる「懐かしさ」もカテゴライズされ、反対に全く未経験未体験でもエモさを抱くケースもある。エモい文章を書くには、後者を間接的に読者へ追体験させることが必要だと私は思っている。

 フィクション作品を例に挙げた時、「私この主人公と全く同じ経験してるわ!」という人は多くはないはずだ。しかし、「へ〜こんな世界もあるんだ!」と感銘を受けられるのがフィクションの醍醐味だと思う。ノンフィクションやエッセイも同様で、作者の見た景色や聞いた音楽、触ったものを読者に疑似体験させることで脳内でもう一度ストーリーが始まるように仕向けることだ。

 もちろん、以上終わりではない。私自身、''エモい文章''の集大成だと思っている一冊、燃え殻さん著「ボクたちはみんな大人になれなかった」。2017年にSNS上などでもバズりヒットした作品である。知っている人も多いのではないだろうか。この作品の凄いところは(というと上から目線のようで失礼だが)、状況の脳内展開が容易に可能な所、名詞・固有名詞の使い方が感動するほど上手な所、そして「ボク」の感情が否が応でも共感してしまう所だと思う。

 「わたし、誰にも忘れられない女優さんになりたい」

 冒頭、「ボク」がパーティで知り合った女と一夜を過ごすシーンで女が呟いた一言。この一文でも若干エモい訳だが、燃え殻さんは120%叙情的な活かし方をしている。官能的なシーンで男女の心の住処を表現するのは難しい。本当に難しいことだと思う。肩書き目当ての女とそれをわかっていて許容する男の心情の微妙な具合を繊細に書いている。ホテルの窓から東京タワーを眺めながら放ったこの一言によって、もうこの物語は僕の中では傑作になったのだ。読者は、例え駆け出しのモデルとの経験がなかったとしても、切ないと感じてしまうことだろう。

 妻夫木聡×煙草×セックスはエモいと思っている。映画「ジョゼと虎と魚たち」(2003年)や映画「怒り」(2016年)で、彼のベッドシーンが描かれている。どちらも比較的シリアスな内容が主である。事後、必ず煙草を吸う。このシーンが堪らなく情動的でありエモい。その理由として、当然彼の演技力に非なるものはないが、''''にあると思っている。本と映像なので別物と捉えがちだが、これは燃え殻さんの創り出すエモい描写と密接に繋がってくる。妻夫木が煙草を咥えながら思いを巡らすシーンは、前述した燃え殻さんの作品の中で女が放った一言と同じ役割を果たしている。セクシュアルな描写の中で哀しさや憂いの感情を我々読者に追体験させることによってエモいシーンが出来上がるのだ。繰り返すが、簡単そうで遥に難しい作業だと思う。

 人間の喜怒哀楽を更に細分化してバランスも意識し、抑揚もつけて作品を作る。生きている間にそんな文章が書けたら幸せだと思う。


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