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毎日noteまとめ

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ひとりごと、日記
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#思考

浅井さんと深井さん。

深いことを考えていそうで実は、浅いことばかり考えているんだと思う。 浅いことを積み重ねてどんどん、底の深い沼にはまっていく。 沼にはまる訳とは、そういう自分(浅い考え方しかしない自分)に対して、嫌悪感を持つからだと思う。 「浅い自分が嫌だな〜」っていう、そのままの意味である。 これはただ単に、変なプライドとも捉えられるだろう。 言ってしまえば、”無駄な思い込み”とも言える。 自分の視界からも見切れるくらいのところに、その変なプライドが立ち尽くしている。 なんか急にだけ

あまーいコーヒーと自分。

今日は職場に着く途中に、あま〜いコーヒーを買った。 このコーヒー、実は、何ヶ月かぶりに飲んだ。 その理由が、カフェイン摂取がメンタルに良くないっていう情報を耳に入れたことと、飲むタイミングが分からなかったことだ。 「カフェインの多量摂取は不安感を増やし、安心感から遠ざける。」 そういえば、どこで聞いたのだろう・・・?とか、疑問も多々浮かぶけれど、自分で思い込んでいたことは事実である。 思い込みと同時に、過剰な飲み込みもあってか、1度決めたコーヒー摂取は、この数ヶ月間貫き通

共感性の話。(睡眠不足なり)

今日1個学んだ話。 と言っても、話し方が下手くそで、伝えたいけど伝わらない現象が起きるかもしれない。 私自身、共感性というものを持っていると思っていて、その共感性を、生活の中で生かせているのか?と思った。 答えはノーで、共感性と協調性がごちゃ混ぜになっていた故、共感性が正しく使えていないのだと。 共感性とは・・・例えば、隣にいる人がくしゃみをしたとして、そのくしゃみが私にとって、どうでも良く通り過ぎるものなのか、はたまた、くしゃみをした瞬間、自分の鼻にも違和感を感じる

自己肯定感の話。

仕事を辞めたら?休日という日が1日でも増えたら? 家族に囲まれて過ごしたら?一人暮らしをしたら? どうやったら”うつ状態”が改善されるのか考えたけど、どれも間違いだと思った。 要因が環境にあると言えないのは、なぜだろう。 ・そもそもの自己肯定感が低い。 だから、外に出て、自分以外の人が視界に入った瞬間、自分の持っているはずの自己肯定感が存在していないから、自らの手で自分の存在を抹消する。 「消え去りたい」という言葉の行方はここにある。 家で1人になった時、その自己

舵を取る。

今日の話。 今日は、また職場で、携帯の充電が切れるくらいに、検索しては暗くなっての繰り返しをしていた。 自分が暗くなる瞬間っていうのは、なかなか自覚出来ないけど、1つ思ったのは、自分に頼れていない時だと思った。 人に頼ることも出来ない。そして、自分に頼ることも出来なくなってしまった時。 これを、悲しみと言うこともできるけど、何もない場所に放り投げられた感覚を覚える。 自分を信じていない。 要はそういうことだ。 この時間が長くなれば長くなるほど、人は病むのだと思った。

色んな方向から力をもらって、私たちは立っている。

私は、なんだか黒か白かではっきりとしたものを好むみたいで、それが自分自身を苦しめる瞬間がいくつかあります。 例えば家族。家族があってそこに私がいて、その構図が絶対に崩れてはいけないみたいなところがあって、それを保つための私がいるみたいな。 そして、家族がいるということはその他に友達というのも存在するわけで、その”友達”という枠の中にいる人はどんな人で、その友達に対しての私は、どのくらいの私でいるかみたいな。 絵で示すと自分の思考が浮き出てくるんだろうけど、ここはnote

将来を漠然と思い描く。

「将来、結婚したい」という今までには生まれてこなかった感情と向き合った1日でした。 結婚するにあたっては、様々な壁はあると思いますが、その壁を全く考えずにただただ結婚したいという願いで、自分自身でも驚きます。 様々な壁というのは、家事や育児、それ以前に人と共同で生活することなどです。 家事は、今の一人暮らしの中から何個か得た学びもあります。ですが、人を育てていくことに関しては、なんの情報も技術も持っていません。 無に等しい状態です。 でも、これって当たり前のことで、私

何かに怯えている私。

思えば小さい頃から、臆病者だったなと感じます。 挑戦という言葉とは縁がなく、安定という言葉と共に生きてきたという方が、自分にしっくりきます。 ターニングポイントってものが人生にはあると思うのですが、私の場合は、その人生における選択は、間違ってもいなく合ってもいなく。 それは、ターニングポイントでの選択を、ある意味適当に行ったからだと思います。 適当にというのはもちろん、何か挑戦の道に進むなどということはないです。 自分の身の危険に迫るようなことは避け、自分の守りに徹してい

「気にしすぎ。」そんな言葉で片付けたくない。

私は、人の目を気にする。どのくらい気にするかということを表すのには、車で表すのが最適だと思う。 車には目というものは付いていないことは誰にでも分かる。けれど目のような形をしていて、目と同じく光っているものが付いている。 それは車の前方に設置されているランプだ。 そのランプが光って、こちらに向かって走ってくるのを確認すると、すぐさま目を晒す。 光っているそのランプが、まるで人間の目のように思うからだ。 私が人目を気にするのには理由があると思う。 それは、自分の行いを見て

いつまでも達成や完成に辿り着けない私。

それでもやっぱり書くことが辞められなくて。 「それでもやっぱり」と言ったのは、今日1日で自分には何が出来るのか、何をして生きていこうと思っているのか、自分に問いかけたからだと思う。 うーん、ブログを読んでもらうことでお金を稼ぐ?、写真を仕事にして写真を撮ることで生きていく?など。 "稼ぐ"とかダイレクトに口に出してしまっているけど良いのだろうか?とも思うけど、まぁ気にしない。 何が出来るだろうかと考えたら、出来ることや、やろうと思えば出来ることは、いくらでも浮かんでく

"夢"により思い出された事実。

めちゃくちゃ思い出したくもない過去のことが夢に出てくる。最近よく出てくる。 ここで夢の話をしても、誰にも響かないし、スルーしてもらう方がありがたい。 それは高校時代の思い出。 高校時代は部活に朝から夜まで縛られていた。 縛られていたと表現したのは、時間もだし、脳の中も全てが部活でしかなかった。 今思うと、私自身が部活になっていたのかもしれない。 で、その部活というのが吹奏楽部で、今や吹奏楽部はブラックだのなんだの聞くようになったが、それを私のいた当時に聞いていたかったと

感謝の気持ち。

今日は母の日。 人生で初めてプレゼントを購入して、母に送りました。 人生で初めてになったのは偶然ではなく、きっかけがあったからだと思っています。 そのきっかけは、ほんのここ1ヶ月くらいのことで、それまでは自分から感謝とか伝えられない人間でした。 だから、大学で家を出ても、母に対して感謝のメールを送ったこともなかったし。 それで、そのきっかけとは何かというと、自分の弱いところを見せたということだと思っています。 ーーーーーーーー 母は、私が大学の在学中にある病気を発症