いつまでも達成や完成に辿り着けない私。


それでもやっぱり書くことが辞められなくて。


「それでもやっぱり」と言ったのは、今日1日で自分には何が出来るのか、何をして生きていこうと思っているのか、自分に問いかけたからだと思う。

うーん、ブログを読んでもらうことでお金を稼ぐ?、写真を仕事にして写真を撮ることで生きていく?など。

"稼ぐ"とかダイレクトに口に出してしまっているけど良いのだろうか?とも思うけど、まぁ気にしない。

何が出来るだろうかと考えたら、出来ることや、やろうと思えば出来ることは、いくらでも浮かんでくるのだけど、それが、私〇〇(本名)が絡むと、出来ることは限られてくるのだろう。

あくまでおそらくの話になるけど、デスクワークと呼ばれるもの、机に向かってひたすら制作をしたり事務的な作業に打ち込んだり、そういったことは、私には出来ないことだと分かった。

じゃあなぜ、こうやって書くこと、文章にすることは出来るのか?と聞かれれば、制限をするようなストッパーがどこにもないからだろう。ストッパーとは、自分の中の完璧さを求めるストッパー。

完璧主義と呼ばれるそれ。

ものの制作、ウェブページの制作など、目に見えるもの視覚で感じるものを完成させる時、私の中のストッパーは発動するのだ。

それを実感したのは、それは昔々、小学生の頃かもしれない。小学生の教科の1つである図工の授業。あの授業内で作る制作物を、完成させられた覚えがない。

友達はみんな完成させることが出来ているにも関わらず、私だけ何故かいつも中途半端だし、遅れが生じていたのを、はっきりと覚えている。

何故遅れるのか、何故完成できないのか。子供だけの小さな脳では分からなかったのも当たり前だ。

今思えば、完成させるまでの経過途中に、いろんなことがあり、色んなことに惑わされ、いろんなことが迷わせた結果、私の脳は、完成の2文字を完全に消し去った。

色んなことっていうのは、制作物の色であり形であり、そして、ひとつひとつのニュアンスであり、だと思う。

「気にしなくても良いよ」なんて言葉は、子供の私には通用しなかった。

そんなこんなで、気にしなくても良いものは、私の中では、ダントツに気になるものなのだ。

だから私は、いつまでも完成に辿り着くことが出来なかった。


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