「気にしすぎ。」そんな言葉で片付けたくない。
私は、人の目を気にする。どのくらい気にするかということを表すのには、車で表すのが最適だと思う。
車には目というものは付いていないことは誰にでも分かる。けれど目のような形をしていて、目と同じく光っているものが付いている。
それは車の前方に設置されているランプだ。
そのランプが光って、こちらに向かって走ってくるのを確認すると、すぐさま目を晒す。
光っているそのランプが、まるで人間の目のように思うからだ。
私が人目を気にするのには理由があると思う。
それは、自分の行いを見ている誰かがいてほしいという気持ちがあるからだと思う。
自分の行いは全部が全部正しいもので、自分の意思に沿った行いだとは思っていない。
要するに、自分の行動1つ1つに自信がない。
だから、誰かに見ていて欲しくて、私の行動を見た感想を誰かに聞きたい。そう思うのだ。
これは、人目を気にするという言葉には繋がらないかもしれない。むしろ、わざと人目を気にさせてる自分の方が真実かもしれない。
そんなこんなで、今日は帰り道にすれ違う人、自分より前にいてわざわざ振り向いてくる人たちによって、自分の消耗部分が増えた。
ただでさえ職場では、デスク周りにいる人をパソコン越しに確かめている私なのに。
パソコン越しにというのは、パソコンに目をやっているフリをして周辺の人を見るという、一種の技。
こんな技が出来る私。
この技は普通なら出来ない人が多いのだろうか?
技と呼んでいる時点で、もう「気にする気にしない」とかの言葉で片付けるものではない。そして、そんな言葉で片付けて欲しくない。
私はこのまま、この技を磨いていくのかそれとも、捨てる覚悟を持てるのか。
自分の自由だろうけど、当分のうちは、手放すことはないだろう。
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